山本愛の塾内日記 2003年3月 2月2日 高田高校の試験を受けて 数学からだった。私はどんな難しい問題が出るんだろうとドキドキしていた。しかし、実際に出た問題といえば、学校の教科書に載っていそうなありきたりな問題ばかり。正直がっかりした。高田の数学ってこんなもんなのかな。次は英語。これもまた簡単すぎた。過去問をやってみたら、年々高田の英語が難しくなっていたので緊張していたのに・・・。今年から六年制編入も試験が同じになったので、難しくなることは予想できた。なのにどういうことなんだろう。しかし、やはり高田。すべてが簡単なはずもなく、最後の教科、社会で私は飛んだ。わけがわからなかった。社会を難しくするなんて、性格が悪いのもいいところである。とりあえず、みんなも社会ができなかったことを願いたい。 2月5日 今日は三重高。三重高の数学と英語は、高田に比べ量も多く、難易度も高いはずなので心の準備をしていた。が、「なんだ、こりゃ?」 そこには、高田に比べれば難しいが、過去の三重高入試問題の中では最低レベルといえる問題が並んでいた。私達、受験生をなめてんのか?って感じだった。しかも、残りの国・社・理も決して難しいとは言えないものだった。「こんなんじゃ、みんな受かんで」 これが私の感想。 2月6日 朝の会の時だった。先生が「今から高田の結果を言うから、廊下に出ろ」と言った。私は今日が発表だとはあ知っていたが、まさか朝するとは思っていなかったので、かなりあせった。と、そうこうしているうちに私の番に・・・。 私は6年制を受けたのだが、塾の先生によればボーダーは220点だという。受かるわけがない。社会があまりにもできなさすぎて、どう考えても220点には届かないからだ。 突然先生(学校)に握手を求められる。慰めのつもりだろうか。しかし、先生の口からは予想もしない言葉が・・・「六年制おめでとう」「へっ?」 思わず耳を疑う。先生はコクリとうなずいた。「ヨッシャー」 私は叫びそうになったが、あえて声を押さえた。恥ずかしかったからだ。しかし、顔がにやけるのを押さえることはできなかった。 ところで、よく考えてみたら、みんな受かってる気がするんやけど・・・。そのへんどーなん、高田高校? 2月8日 第1回開明学院土曜講習が行われた。何をしたかというと、開明学院の先生が作ったテストを受けたのだ。 テストは津新町の開明学院へ行って受けた。最初、開明に着いたとき、どうしていいのか分からず、とりあえず外で立っていたのだが、しばらくして開明の先生らしき人に声をかけられた。「れいめいの子?」 私がウンウンとうなずくと、その先生は私をナかに入れてくれた。と、その時その先生はこう言った。「れいめいよりはきれいやで」 突然のその言葉に私はただ苦笑するしかなかった。そして、その言葉のとおり、れいめいより何十倍もきれいだった。「これが”塾”っていうものか・・・」 私は思わずそうつぶやいてしまった。 教室に入った。すでに何人かの生徒がいた。その時点ですでにさわがしいかったのだが、一人、また一人と生徒の数が増えるたび、どんどん声はでかくなっていった。さらに驚くべきことに、その一人一人が個性的なのだ。その個性的っぷりといったら、まさに「三年B組、金八先生」を思い浮かべるほどだった。 先生が入ってきた。三年B組の生徒達が静かになったころ、先生がしゃべり始めた。「今日は、れいめい塾の子にも来てもらってます。まあ、開明とれいめいは親戚みたいなもんや。似とるやろ?」 (金八先生やっ!!!)私は心の中でそう叫んだ。「じゃあ、れいめいの子、手を挙げて」 そう言われて私達はとまどいながら手を挙げた。「そういえば、何か知らん子おる!!」 誰かが大声で言った。 テストはなかなか最低だった。数学がさっぱり分からなかった。これでは一位は無理だろう。この土曜講習はこれから毎週ある。まだまだ私の挑戦は続く。 |
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