三重県
熊野古道と桜

始神峠
■紀伊長島町三浦発電所の桜■
(宮川第二発電所)
紀伊長島町三浦 2002.3.30

三浦発電所(宮川第二発電所)の桜は、熊野古道のひとつ、始神(はじかみ)峠の東の登り口(紀伊長島町)にあります。
毎年、この時期には、花見客でにぎわい、熊野古道がブームになってからは、ますます、訪れる人が増えました。にぎわうと申しましても、広い敷地なので、思い思いの場所で、ゆったりと過ごすことが出来ます。国道42号線のすぐ脇なので、ドライバー達も花盛りには、桜に目を奪われ、どこかのろのろと走っている気がします。
また、隣の海山町側から、登った時には、峠の降り口となり、桜並木が、疲れを忘れさすかのように、優しく出迎えてくれます。

二百年以上前の越後の文人、鈴木牧之(すずきぼくし)が、残した、吟行記「西遊記神都詣西国巡礼の中に、このはじかみ峠の事が記されております。

          はじかみ坂は 西国礼所一、二の険難なりしに
          いまだ東雲近き折から 海上の絶景やゝ眠を覚すが如く、
          東方既に明なんとして、暁の雲紅に海日車輪にひとしく、
          ほのぼのとさし上れば、鶯もなどか左右に啼かはしぬ。

            
待ちかねて 鶯啼くや 日の出しほ
       大洋に 潮の花や 朝日の出


このように鈴木牧之は、三浦(紀伊長島町)と馬瀬(海山町)の間のはじかみ峠で、日の出の美しさに魂を奪われるほどの感動を味わっている。
また、違う時代に書かれた「紀伊続風土記」に於いても、絶賛された展望を持つ峠で、晴天には、海上はるかに富士山をも見ることありと記されている。


始神峠からの眺望 江戸道を三浦(紀伊長島町)側へ降りると桜たちが優しく迎えてくれます。2002.3.24

また牧之は、先に訪れた、紀伊長島町の入り口、荷坂峠の印象について、こう記しています。
ニサカ峠に見渡せば、海上の絶景筆に尽しがたく、世の人の只熊野路は、恐ろしき噂のみ聞へけるにさはなくて、長島の町まで一目に見おろす風情いわむかたなし・・・と。
現代に生きる、我々であっても、しばらく故郷を離れた後、バスや車での帰路に、荷坂峠より眺める、海原とトーンを変えながら重なり合う山並み、点在する島々の光景は、ある種の感動を覚えます。ああ、紀州へ故郷の地へ帰ってきたんだという実感が、たちまち湧き上がって来るのです。
ある時は、空と海が溶けあい、海全体が宙に浮かんでいるような錯覚を受け、また、ある時は、雲の間から差し込む日に照らされた海面が金色に輝き、そこだけが、別天地のような印象を受けます。
深い、山ばかりの道を歩いてきた、古(いにしえ)の旅人であれば、荷坂峠からの眺望は、いかほどの感動を覚えたことでしょうか。
大内山村から紀伊長島町へと続く、ツヅラト峠の頂上から、今も、その景色が望めます。

熊野古道の桜にまつわるお話 
海山町から尾鷲市にかけて、熊野古道随一の古い石畳の残る、馬越(まごせ)峠があります。峠には、江戸末期の俳人、可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑があります。
桃乙は近江の国(今の滋賀県)の俳人で海山町、尾鷲に滞在し地元の人たちに俳句を指導したという。

 
 夜は花の 上に音あり 山の水 
この句は桃乙が、麓で夜桜見物の時に詠んだものと言われ、句碑は地元の弟子たちが嘉永7年に建てたものである。
句碑の近くには茶屋の跡があり、その辺りが旅人の憩いの場所であったことが想像できます。
その峠道から尾鷲の方に下ると、谷川のそばに赤いレンガ造りのお堂があり桜地蔵が祀られています。近くに山桜が多くあったことからこの名前がつけられたそうです。
馬越峠を海山町側から登ると
峠までこのような石畳が続く
桜地蔵 前を山水が流れる 夜泣き地蔵

「西遊記神都詣西国巡礼」
寛政8年1月8日(1797年)に越後塩沢を出立した鈴木牧之が、伊勢大神宮に参詣した後、宮川沿いに東熊野街道を経由して、熊野三山参詣を果たし、さらに西国三十三ヶ所巡礼を済ませて帰国する。その旅が終わって、三十余年後の文政13年(1830年)牧之63才の時に書かれた「秋月庵発句集」の中に、この吟行記「西遊記神都詣西国巡礼」が、収められています。
参考文献:熊野道中記より鈴木牧之「西遊記神都詣西国巡礼」小倉肇氏執筆
ほかにも、小倉先生の了解をとり著書など参考にさせていただきました。

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