(その2)
那智参詣曼荼羅との出会い
そこに描かれた女性の眺める桜は
時を経て今も咲いているのだろうか
歴史をたどりながら桜をさがす旅の始まり

出会い
熊野古道と桜について思いを巡らすうち本の中で那智参詣曼荼羅を目にしました。
戦国時代から江戸時代にかけて「蟻の熊野詣」と言いたとえられるほど大勢の人が熊野を訪れるようになったのは、熊野の修験者(しゅげんしゃ)や比丘尼(びくに)が全国に散らばり手引きをしたからであると、何かの文献で読んだ覚えがあります。
口伝だけでは、そこまで広まらず理解されないのではないか?
どのようにして布教や勧進をしたのだろうかと疑問に感じていました。
そして今回、彼らがこの参詣曼荼羅を持ち、那智の風景と信仰を絵解きしながら、まわったことを知ったのです。
補陀洛山寺の庭

1本の桜と女人
その曼荼羅の絵の中でふと気にかかる光景がありました。
それは、浜辺に近い森のそばにたたずむ女性と、その女性がながめる1本の桜の木です。
他にも桜が描かれていますが、ひときわ大きくて、またその女性の衣装など、どこか高貴な雰囲気を漂わせ心惹かれます。
「なぜこの女性はこの木をながめているのだろうか?」もしこの曼荼羅に描かれた景色が今も残るなら、この桜の木もあるはず・・・私は、「この桜が今も那智で咲いているか確かめてみたい」と思うようになりました。
そして4月2日地図を持ち、小雨の降る中を那智へと向かったのです。
桜を求めて
私の住む海山町から熊野市まで車で1時間ほど、それから七里御浜の海岸線を左にながめ新宮へと向かいました。
30分ほど走ると三重と和歌山の県境、熊野川にかかる橋を渡ります。新宮市内を抜け、那智勝浦に差し掛かりました。
海岸沿いにある景色が頭にこびりついているため、浜辺を目指すと、いつのまにかホテルが立ち並ぶ勝浦の温泉街にいました。こんもりした森や絵によく似た建物と出会うたび、何度も車を止めては地図と見比べます。
堤防から浜を一望し、昔の面影をさがしました。見知らぬ土地の見なれない風景が広がっているだけです。時折ぱらつく雨のせいもあってか、いろんな感情がわいて来ます。
気をとりなおし、もう一度絵と現在地を比べると、自分が那智川を行き過ぎてしまったことがわかりました。そこで国道から「那智の滝」へと続く道に戻り、その道を山に向かって走りました。少し進むと寺院らしき建物があるのに気付き、あわてて車を止めました。
勝浦の海岸近くにあった神社

絵の中の建物
駐車場の看板を確かめると、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)となっていました。絵の中の赤い大きな鳥居のすぐ上に描かれた建物です。
ここが補陀洛渡海の出帆基地であることを、後になって知りました。(それまで補陀洛渡海の意味など知る由もありません)
そのお寺の横に並んで建つ古い建物は浜の宮王子(現在は熊野三所大神社)です。絵と実際の距離感が。まるで違うことに気付かされました。
絵の中の建物が姿を変えてはいるが、ここにこうして実在していることに胸が高鳴りました。桜のある森は思うよりもすぐそばではないのだろうか?
熊野から新宮、那智勝浦の海岸にはこのような風景が多く見られる。
これは、勝浦温泉の近く。

補陀洛山寺 補陀洛山寺の建物の一部 浜の宮(熊野三所大神社)

森は何処
補陀洛山寺から浜辺の方を見渡すと岸に近い所まで人家が建っていて、どこにも松林や森は見当たりません。
おそらく浜辺だった所が埋め立てられてしまったのでしょう。
お寺に住職か世話人のような方がみえたので、絵の中の桜についてたずねてみました。
そのような桜はもう今はないけれど、この辺一帯に桜は多くあったそうだとおっしゃていました。
なにか手がかりはないかと、となりの神社の方へ行き、案内板を読むとその末尾に右のように書かれていました。
渚の森(社寺前の森を云う)
昔の面影はないが「紀路歌枕抄」にもあり古来和歌によく読まれた名勝の森
  続古今集 衣笠内大臣
「むらしぐれ いくしほ染めてわたつみの 渚の森の 色にいづらむ」

渚の森
もっと時間をかけて確かめなければはっきりしたことはいえませんが、その案内に書かれた「渚の森」こそ絵の中の森であり、そこに私の探す桜の木があったに違いないと思いました。
桜をさがすことは出来ませんでしたが、近くに森が存在したことを知ることが出来、いくらかあきらめがつきました。「なぎさのもり」というロマンを駆り立てる名前にも満足を覚えました。

女性は和泉式部?
気にかかる絵の中の女性が和泉式部ではないのかと寺の方に聞いた所、彼女がここを訪れたという事実を記したものは何も残されていないという。
本に書かれているように単なるモデルとして那智の広告に一役買っただけなのか。
寺の裏山にひっそりと残る歴代の渡海僧の供養塔に参りそこを去りました。
那智大社の枝垂れ桜
その後、那智山にある西国三十三所の一番札所の青岸渡寺と熊野那智大社を訪れました。
大社の境内に34度の熊野参詣を果たした御白河上皇が手植えしたと伝わる枝垂れ桜があるからです。
平日だったので、見物人も少なく15分程待つだけで、案内して下さいました。入り口でお祓いを受けた後、境内に入ることができました。上の写真がそうです。
桜の後には結神(牟須美神)を祭る第一殿から第四殿までの社殿が並んで建っています。桜の左側に建つ社殿が改装中で思った場所から撮影できなかったのが残念です。心のどこかでこの桜に上皇の魂が宿っているような気がして写真をとるのに、緊張しました。
大社の方によると一般の人は桜の咲くこの時期しか境内に入ることが許されないらしく、本当に1年で僅かの間ですとお話して下さいました。
青岸渡寺の庭から撮影した那智の大滝。手前の桜が滝の雄雄しい風景に優しさを添えている。

1枚の絵だけが手がかりの旅でしたが、これまでにない楽しい充実した旅になりました。いろんな事柄に興味がひろがり、歴史を学ぶきっかけにもなりました。
那智の滝からの帰り道、休憩したところが、偶然にも「熊野曼荼羅の郷河川公園」だったのです。公園の周辺に今も曼荼羅の道が残っているそうな。
次にここを訪れる機会があれば、是非、昔の人が通った道を歩いてみたいと心に決め今回の旅に別れを告げました。

熊野古道と桜は熊野古道の最終目的である熊野三山のひとつ「那智」へと、ひととびに行ってしまいましたが、他にも桜にまつわるお話があれば、これからも増やして行きたいと思っています。


熊野古道と桜(その1)はここ


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