階段


私は子供の頃より怪談、いわゆる幽霊や祟りなど気色の悪い話をなぜか好んだ。無論、人から聞くのも本やテレビなどでその類いを見るのも恐いし、決まって終いには半べそをかいた。それでもお化けがお気に入りであった。中でも小学の頃に読んだ、上田秋成「雨月物語」には心底、感銘をうけた。その静かなる叙情性と幽玄、典雅な物語り世界の語り口にはいわゆる子供だましな色合いはなく、お化け屋敷の見せ物小屋的安易さも感じられない。深く霧がかって感情をも大にせず、沈思黙考による末に忍び寄ってくる影のような佇まいの恐さであった。もちろん平易に訳された児童向けの一冊ではあったが、そのかもしだされる異界の情緒は、低年齢ながらある程度は享受していたように思う。
歳月は流れ、今ようやくここに自らの手で怪談を紡ぎだそうと試みている。おそらくホームページという場の設定がなければ、活字を駆使して文を連ねる事もなかっただろう。きっかけは常に不透明だ。そしてこのモチベーションがはたしてどのくらい持続するかも正直言って先は見えない。年少のあの頃のきらきらしていた夢とロマンは悲しいかな枯渇してしまっている。そんな思いことごとそぞろに内省していた矢先、階段から転落した。別に考えながら落ちたわけではない、正確に記しておこう。平成16年1月10日のことである。自宅の2階最上段よりの転落である。いや明確にはすべりり落ちといったほうがよい。ちょうどすべり台を下っていくような格好で階下まで直撃落下、あっと言う間の移動だったが、両目に流れゆく情況は実際の時の推移より少し長く感じた。足をすべらせ勢いよく落下していくまぎわ、意識の中でこれは途中で止まることが出来ると両脇の壁面に腕をやったが、まるで歯が立たず、絶望感を抱いたまま結局、一番下の廊下までどどどっと一直線、尾てい骨やら背中やら肩をぶつけまくり最後は思いっきり尻からダイブした次第である。瞬間、以前にぎっくり腰を患った記憶がフラッシュバックされ、失意が脳天から突き刺さった。横たわったままうなることしばらく、足先に鋭い痛みはあるものの意外と腰の方には特に損傷はないようだ。そして上半身をゆっくりと起こしてみると幸い頭部だけは打ち付けておらず大事に至らなかったが、かかとやらひじにはあおあざができ、手や腕がすりむけていた。奇跡だっ!思わず、落下のショックよりも怪我らしい怪我もなかった強運にエールを送り、心の内では好機の旗降りにゆらめき躍った。
当日は身体にさしたる違和感もなかったが、一晩寝て起きてみるとやはりあちこち痛みが走り、何となく軽い吐き気がするというか胸くそが悪い、当然食欲もない。それでも頭にダメージがなかったからと安心を決めこむ。今、現在は胸の悪さは多少治まったものの、今度は肩から首筋にかけて明らかに打撲とわかる不快さを感じている。

怪談話しを披瀝し階段より落ちる・・・何か符牒めいてはいないか、などと少し訝しながらこれで明日あたり血栓か何かで状態が悪化激変して、黄泉の国へと引導を渡されていたらこれが絶筆、遺書になるかも知れない。そんな不吉な思念がさっと横切り、ああ寝る前に雨月物語を少しばかり再読してみようかなと思ったりもする

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