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鎌倉トンネルの怪〜終章

意識は、遠く澄み切った山の冷気のごとく透徹に凛とした佇まいであり、今となっては恐怖の感情すら昇華し、あるひとつの輪郭だけが支配していた。あの辺りをじっと見つめ、覚めた足取りで歩み寄りよーく目を凝らす。映る光景は薄ぼんやりながらやはり人影に違いない。緑色っぽい衣服の上下に見える。ふと背後に気配を感じ、振り返ると二人も車から下り恐る恐ると前方に視線を投げかけている。そうして全員でゆっくり少しづつ足音に注意を払い、呼吸を整え、更に謎の人影に迫っていった。ひとりが小声で「あれ男ですよ。うん、完全に人間」もうひとりも「何か拾って袋に入れてますよ」見れば確かに中年以上の緑色のジャージ上下の男が山中斜面沿いに木立の合間を縫うように歩きまわり、ビニール袋のようなものを手に何かをしきりに探しているようだ。謎は増々もって好奇で満ちあふれだし、我々が尚も接近していくに従い視界は現実味に彩られ、そのリアルな一挙一動が目のあたりになる。何とその男は空き缶を拾っているではないか!手にしたものはまぎれもない、あの赤いコーラの缶である。
夜空から朝の空へと山々の情景も変化を遂げていた。辺りは白っぱげた均一な薄明かりに被われ、山鳥のさえずりもちらほら聞こえだす。見間違いなどない、目の前には歴然とした人間が空き缶拾いをしている、グレーのハンチングも被ったその姿はもはや明解であった、私もあとの二人もそう認識した。男は気がついていたのかどうか、そんな私達にはついに一瞥もくれずにやがて斜面を駆け上がり、木々の向こうへと山の奥深く姿を消してしまった。

「結局ですね、こんな結末なんですよね。でも最後はちゃんとオチもありでいい冒険でした」ハンドルを手に余裕の一服をくゆらせながら、久しぶりの笑顔を見せる。後部の部下も「あのカーブ曲がったときには度胆でしたけどね、人間らしいって分ったとたんに、恐さは飛びましたねえ」 私達はすでに朝日をうけながら、都心へと向い、車中の雰囲気は日常を取り戻していた。実際、私もほっとしていた。あれが人でなかったらおそらく生きた心地はしなかったろうし、その場でどうなっていたかも想像できない。やがて走りゆく道路にも車の数が増えはじめ信号待ちなどをくり返す頃になると、そろそろ疲れも出てきて目を閉じたりもし、まどろみを覚えてもよさそうな朝の時刻になっていた。今日はこのまますぐに布団にもぐろう、まるまるようにして眠りたい、などとたゆたうように思っていた時、後ろの席から切羽つまった声で「何か変じゃないですか、何であの時に・・・」と話し始めるなり、私の中でも同じ疑問符がすっと沸き上がってきた「そうだよなあ、ボランティアか何かしらんけど、何もあんな暗い時間に缶拾いすることないよなあ、明るい方がみつけやすいし、第一、最初に見たときはほとんど夜だったじゃない、懐中電燈かなんかないと、足下も見えないはずで、何で又、あんな人里離れたところにいるんだよおうー、おかしいよ絶対」すると運転しながら隣が「きのことか珍しい花とかそういうやつ探してたんじゃあ、朝方に咲くとかさあ」「それでもさあ、ライトなしっていうの、どう考えても変だよ、まわり見えないだよっ、危ないじゃない山ん中だぜ」もうそれ以上は詮索したくなかった。さっきから鳥肌が小刻みに立っては消え、現れては体中を被っている。再び、車の中は凍てついた空気に包まれながらほとんど無言のまま帰途へとついたのであった。

あの出来事は今でもよくわからない。極めつけのオチは不吉な様相で宙ぶらりんになったまま、決してその素顔を見せることはない。同乗した内、運転のW君は思いだせる。もうひとりがはっきりしない、失礼ながら名前も忘れている。お二方、もしこのページを読まれたならぜひ連絡がほしい。多少の歳月は流れているが、あなた達の中であの不可思議な体験は、どう受け止められているのか、そして現在も時折、夢に見たりはしないだろうか。私は髪がオールバックだったHです。


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