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序章3 夜歩く


今日も星がいっぱいだ。山下昇は今しがたまで、グラス片手に気分が広がり又特異点のような空間に去来する自分自身へと穏やかに酔うにまかせていた。そして、いつものように逡巡の先、気がつけば酒場を後にトレンチコートの襟を立てゆったりとした足取りで、帰途につきながら夜空を見上げている。この町の夜道は都市部のそれに比べれば相当に暗い。帰省した当初は自然的闇と形容したいくらい、もの静かで淀んだ夜の漆黒に戸惑い、なぜか一抹の哀惜さえ覚えた。が、やがて歳月を経るにつれ、夜の帳に信頼に近いある冷静さを宿した、親密な孤独感をしみじみと感じるようになっていた。夜にまぎれこむのはいい気持ちがする。酩酊の手前あたりの心模様は、あらゆる感情を飲み込んで、涅槃の静寂へと導かれるからだろうか。
昇は帰宅すると全自動的な着替えをすませて、床の中でまどろみの彼方にいた。

思わず庭先に飛び出すと、夜の天空高く、圧倒的な威厳と沈着な威光を秘めた、かつてあり得なかった光景が上空に展開している。巨大な宇宙船。どっちが船主か船尾さえ不可解で、まるでSF映画に登場してくる超大型飛行空母のように見える。これはとんでもない事になってしまった。物体は赤や青に点滅し、夜空は異空間へと一瞬にして凍結してしまった。しかし昇は呆然と視線が釘付けになりながらも内心動悸を抑えつつ、あの夜道の冷静な親密な感覚が沸きいでるのを消し去る事が出来なかった。やがて自衛隊戦闘機らしき編隊が、未知なる制空権の侵害者に対し、無感情に飛翔していく様が現れる。
昇は知っていた、これから天空のスクリーンに映し出される活劇がハルマゲドンであるということを。
静かに哀感は訪れたが、いつしかそれはとてもやわらかな絹のようなものに優しく濾過され、夜空を見上げるまなざしは限りなく清澄であると感じていた。

昼すぎ、祖母の声で目を覚ました昇は、頭痛がするの覚え、ああ〜、昨日もよく飲んだと苦笑する。さき程までのあの終末的な情景はすっかり夢の中に置き忘れさっていた。それより、起き上がろうとするとズキズキこめかみ周辺に鈍痛が走る。飲み過ぎるといつもこうなのだが。ああ〜、そういや、昨日、酒場のマスターも頭痛で、頸椎ヘルニアとか言ってたな。しばらく休んでたもんなあ。
「我々はヘルニアを能動的に自覚する、ショッカーのヘルニアンである」とか、いかれた事話してた。まあ、いつもの妄想だろうけど。又、店の掲示板に変な書き込みしてるような気がするなあ。後で見てみよう。
「昇〜、ラーメン出来たよー」階下から、元気な祖母の声が届く。「は〜い、今いく」