理由なき反抗8 化粧なおしも簡単にはやる気持ちをおさえながら加也子は、普段着のまま自転車にまたがり家を後にした。夜風を切ってペダルをこぎながら、郷愁をおびた幼い頃の墓地でのひとり遊びの無垢な喜びが想い出された。 喫茶グリムは市内の商店街の外れでひっそりと営業している。ドアの一部かガラス張りになっているので、中に様子が少しだけ伺えた。二組のカップルと一人の男性が見える。 加也子は深呼吸するように気分を整え、おもむろに入り口に開いて、いかにも軽く立ち寄りましたといった風情でさり気なく笑顔を投げかけると、カウンターの奥の店主は心得ているとばかりに、「いらっしゃいませ」と明瞭な発音で迎えた。 みつおはカウンターの隅に枯れ葉のような落ち着きで、一人ぼんやりと腰掛けている。すかさず「あら、みつおさんじゃないですか、お久しぶりです。こちらにいらっしゃったんですか」と驚きをソフトな喜びに変えてみせて好感で表現した。 「あっ、三島さん、映画以来ですが、みなさん色々ありましけどお変わりはありませんか」みつおはいつになく明るい声で、見事に好感を受けとった様子。加也子は二席空けて腰をおろした。カウンターには他に客はいない。 みつおはこちらに体を傾けると、グラスを手前に持ちながら乾杯の仕草を見せる。ビールを飲んでいるようだ。 「今日はお早いんですね」まだ宵の口である。加也子は夕食もまだだった。後で何か食べものを注文すればいい。「マスター私もビール下さい、よく冷えたの」クスッと笑いながら、みつおの乾杯に応える。しかし、実際には手元に運ばれたグラスを合わせることは、あえて行なわなかった。あくまで平静を装わなければ。 みつおはもう一本、注文する。その様子も自然な視線で見送ろうとした場面であった「夕暮れ時から飲むビールは麻薬的においしいもですね、加也子さん」とあのセリフの言い回し、例の渇いた口調が耳に突き刺さるように飛び込んできた。 表情に変化のない加也子に対してつなげるように「実はですね、今日は貴女のことをここで待っていたんです。僕に何か聞きたいことがあるのでしょう」と淡々と喋る。 これには戸惑いが隠しきれず真顔になり「何でそんなことわかるんですか、いきなり」するとみつおは目元を下げるようにして「僕は知っていることしか知らない。貴女はこう言ってました、いつも謎めいているのかってね」 思わず手にしたグラスの中身をこぼしそうになりながら「そんなお話、いつしたの、私には何やら」「夢の中です、今朝、僕の夢に貴女が現れてこう話してました。数珠の番号が先に進めないって」加也子は体の温度が下がって、平衡感覚を失っていくようなどこか未知なる領域に連れて行かれるあの感触に過敏に反応した。そしてこのひんやりとした感覚こそ、郷愁に彩られているという実感を得た。 みつおは相手の顔色に同調する素振りなく「おそらく僕は三島さんの夢で、こう言ったと思うのです、肝心なのは眼が見えないってことだと」加也子は魔法にかけられてように頷いてしまう「そう長くはお話できません、だからよく聞いて下さい。数珠には番号がふられてましたが特に意味はありません、例え無数に細かく書きこまれていたとしても、それはカレンダーのようなものです、過ぎ去る日々と同じく。注意すべきは数珠が円環に閉じているという形状の方なんです。これは限界と無限の世界を現しています、つまりは往還の永遠性です。僕が言いたかったのはこれだけです」 「それでは、あのいつも謎めいているというのは一体」「ここにあります、今がそうじゃないですか、おわかりでしょう。二重三重になろうが同じことです、円環は閉じている、眼で見ればですが。見えなければ閉じてはいない」それだけ言うとみつおは席を立った。 「もうお帰りなんですか」加也子は拍子抜けした声を出す。 「僕には時間がないんです、でも又お会いできますよ、夢の中でね。そしたら」「そうしたら」「又、ここで待っています」「みつおさん、聞きたいことまだあるんですけど」「夢は短いのがいい、それと謎は謎であることによって呼吸してるんです、息を止めると謎は死んでしまう。貴女の謎は僕には謎だ、僕の謎は貴女には謎なんです」 「えーでも、私の謎とか夢を知ってるじゃないですか」 みつおは最期にこう言い残すと店から出て行った「僕は知っていることしか知らない」 まるで映画のままのキャラクターではないか、これはどう解釈すればいいというのだろう。 カウンターに残された加也子は、すがるような眼で店主の顔を伺ったが、彼はただ静かに黙りこんだ表情をしているだけであった。 |
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