理由なき反抗6


夕暮れ時の窓の外。夏の日は長いとはいえ、夕映えの景色は別れの予感に笑みを見せながら、ため息に大きく染まる。
明日への架け橋は虹にような形状を示さない。血は稀釈され、新たな命へと揺曳される。私たちの想い出とともに、、、
その思春期のあてどもない戯れ、黄昏が迫りくるのも惚けるほどに没頭していた、有り余るゆえに蕩尽して過ぎ去るのを惜しまない時間の流れ、そして長い夜へとまぎれこむ、かすかな腐敗と小さな震え。
加也子は早熟の感性の扉を更に幅広く開ける為、腐敗を火焔に、震えを躍動に変化させた。バッカスの神の力を借りて、、、

あの夜、数学の教師に飲酒をとがめられた後の止めどもない滂沱。飲みほした酒が全部、涙となって両眼からあふれ出したような号泣。怯懦や懺悔ではない、ましてやうそ泣きでもあるまい、それは直感的なものを先取りした自然現象であった。隣で連鎖に泣き出した耳子もおそらく同様ではなかったろうか。それゆえに木梨はとまどいを覚え、厳格な対処をとることが出来なかった。女性が持つ自己保身の直感ほど現実味のある切れ味は他にはない。
その切っ先は電光石火の以心伝心で、木梨の内側へと到達した。言葉の介在する余地はまったくなかった。泣きじゃくる少女ふたりを引寄せると「もういい、先生は見なかったことにしてやる、変なことも聞かなかった、いや、三島のお兄さんの件はよくわかった。だがな、もうお酒なんか飲んだりしたらだめだぞ。いいな」
威厳を保とうと構えるのだが、妙に照れくさそうな顔をしていた木梨先生、、、

想い出が宵闇の向こうへと立ち消えまた現れるのは、無意識的な彩度に縁取られているからではない。現在の鏡の中にしっかりと輪郭線が浮き出ているからである。高じて強迫観念などと呼ばれるのは、それが命令口調で指示を与えてくるからだと言える。揺らめきに遠ざかろうが、どこも謎めいてなどいない。

数年前まだこの町に戻ってきた頃、加也子は当時とはまるで別人のように変貌した木梨銀路に、国道沿いのスーパー脇でばったり出会った。
派手なプリントシャツに辛し色したダブルのスーツを着込み、頭を今時めずらしくポマードでしっかり固めている。中学の頃より倍の横幅になり、歩き方にもやさぐれた感じがした。だが、あの顔つきは間違いない。思わず、じっと見つめて「先生、、、」ともらしてしまった。相手も首をやや傾けながら食い入るような眼をしていたが「おお、お前か、酒飲み娘だったなあ、アル中になっとらんか、ひさしぶりじゃのー」とオーバーな身振りで声を上げる。
以前から噂では聞いていた。あの先生が賭け事にはまって相当な借金を背負い、夜逃げ同然で行方をくらましたと。それから関西方面でいつの間にやら、反対に金を貸し付ける側に商才を見いだし、成功したのか所払いにでもあったのか、最近よくこの近辺で見かけるという風聞。
「わしゃなあ、こっちに戻ってきたわい。商売始めとるんじゃ」というと上着のポケットから名刺入れを出し、一枚を加也子に手渡した。
<千打食堂/千打金融 代表取締役 木梨銀路>
加也子は奇異なまなざしを名刺の上に落とした。
すると見越したとばかりに「ははっ、食堂に金融ってんだろ、一応、こう見えても料理の腕も磨いてきたんでな。焼き飯にうどん、ひき肉ライスカレーとかな。ほいでもってな、金貸しはな、あくまで小口でやってるんや。3万が上限や、利子はトイチどっせ。腹が減っても懐が寒うなっても、いっぺんに面倒見たるってことやがな。どや、何やったら、いつでも都合つけたるで」

加也子のすぐ上空を一羽のカラスが鳴きながら飛んでいった。鳴き声を追うようにして、木梨銀路の高笑いが町中に響きわたった。