理由なき反抗3 情報というもの、知識というものが蓄積されるにつれ、より深く世界像が見えてくる、などと思ってはならない。 幼年時代を思い返せばいい、見知らぬ町並みや夜の路地はまさに異界そのものだったではないか。深い闇の。それが大人と呼ばれるものへ変化すると、今度は逆にあの全身をもって鳥肌が立つほどに畏怖し興趣を示した世界が、白けた光の中に理路整然と現れているのを目撃することになってしまう。所詮は情報などもフィクションの領域に属する、それらが氾濫したところで人造人間が量産されるだけであり、豊かな感性は日々、忘却の彼方へと追い払われてしまうだろう。 現在、もっとも神話的な気高さで私たちを魅了する領域は、死である。 死は特異点のようにすべてを飲みこみ、すべてを排出する、創造者であり便器でもある。死にまつわる諸相は絶対的ともいえる、それは生命そのものと不可分だからであり、時間とともに我々と伴走する歩幅だからである。 生けとし生けるものすべての喉仏に突き刺さっている、あの太古の昔に滅んだ魚類の骨。痛みは時折は訪れるが、骨は渇いた声でいつも嗤っている。 兄の死は予告通りであった。中学2年の頃に一度、疲労を訴えながら倒れこむようにして人事不省に陥ってから、何度か危険な病状に見舞われた。それは次第に迫りくる嵐の激しさに似ていた。 加也子、小学3年の時である。現在にいたるまで、近親者や知人などの死に遭遇してきたが、兄の場合は他と違うところがひとつだけあった。それは自分の感受性の問題だろうと加也子はずっと思い続けてきた。臨終の際には嗚咽の声をあげたし、葬儀の間も親族から受ける励ましに涙を溜めた目で応えようと努めた。別段、意識的にふるまったわけではない、極々、自然にであった。悲しみは哀しみであり、それ以外の何者でもなかった。しかし、成人してからの身内の不幸に立ち会った折、哀感の裏にはもっと凄みのある真理のようなものが隠されているという強迫観念めいた通達があの世から届けられたのだった。それは静電気に敏感に反応する羽毛のように微細な誠実さを孕んでいる、薄い便箋一枚に綴られた、誘惑という禁句の詩歌であった。 兄、菊美は危篤状態となり峠より3日ほど延命を許され、静かに幕が降りるようにして息を引きとった。 15歳の夏で、学校は夏休みをすぐ前にしていた。 加也子は通夜の席で、菊美の死に顔から、あれだけ荒れるように吹き出ていたはずのにきびが、奇麗さっぱり消えているのを見て驚いた。生命の終焉とはこんな瑣末まで消灯の律儀を守ろうとするのか、後年、とあるごとにあの面影が、加也子の心に浮かびあがり、ためらい傷のような悔しさを残していった。いや、残存し続けたという方が適切だろう。 命の帳が下ろされる瞬間に臨席してから、加也子の心にある疑問符がわき上がってきた。葬儀の途中、母親にこう尋ねてみた。 「人って死んでしまうと、どっかに行ってしまうんじゃないよね、どこにもいなくなるだけだよね。でもそれって、やっぱり見えないだけで、形がかわっても残っているのかなあ」 母親は怪訝というよりも慈しむような目をしてじっと見下ろしていたが、さっと笑顔をつくりだし膝を折って加也子の目線に近づくと「そうよ、菊美お兄ちゃんは消えてしまったのよ。これから亡がらも焼かれてしまうの、でもねその灰はお墓の中に入れられてね、そこでじっと眠っているの」 「いつまで、眠っているの」 「いつまでもよ、でも眠りの中では、夢をいっぱい見ているの、加也ちゃんと遊んだ頃や、学校に行ってた時のことも。それから、変身もするのよ、蝶々になってお花畑を飛んだり、滝になって川下りもするの、わんちゃんになって加也ちゃん遊ぼうって来るかも知れない」 母親の口調は穏やかであり、笑みはたおやかであった。哀惜の情は封印されたとばかりに、晴れやかに見えた。だが、夏の日のそんな晴れ間に突然、暗雲たれこめ雷雨にすべてが洗われてしまうように、母親の言葉は不安定な響きを隠していると加也子は、子供心にも疑りを持って対峙し、素直に頷こうとはしなかった。 ごまかしは、まやかし。頭の中で別世界を構想するなら、自分なりの仕方があるように思う。自己嫌悪とは、鏡の中に見い出される欲望への鎮魂歌である。それ自体に本来、罪はない。 高卒と共に生まれたこの町を離れ、大阪で生活を始めた加也子は、あの少女の時分の疑心が、決して哀憐や繊細を欠いたものではない事を再確認することになる。 |
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