理由なき反抗2 耳の後ろあたりにわずかの触感が生じると、不吉な陰りが面を這うようにして横断していった。 まどろみが深く沈潜に至るみぎわのまぼろしなのだろうか。意識が明敏でないだけに生理的悪寒に敷物があてられるのだが、どこか汚されるような薄気味悪さは拭えない。 加也子の寝顔の上を、幼児の手のひら程の大きさで土色に渇いた、蜘蛛がよぎっていった。 物心ついてから何回か、同じことがあったように感じる。その都度、嫌悪というよりは不安のうちに潜む得体の知れない感覚に襲われるが反面、選ばれし者の恍惚のようなある特殊な経験を自負したいという、自家撞着を抱え込んでいた。 思えば貞子のすすめに従い、実名の加也子であの映画撮影に臨んだのも不思議な糸でつながっているようで、よく考えれば考えるほどに自分は決して奔放ではない、絶えず何者かに操られている不自由な圧迫を受けている、それがたとえもうひとりの自身の意志かも知れずとも、、、 赤いバーの掲示板劇を脚色した「貞子の休日」は一般映画として公開されるや、観念劇でありながらアクションも盛り込み、またエロスの馥郁たる香りが絶妙に案配されていることが大きな評価を得て各方面に波紋を呼び、その年の話題作として人々に知れわたることとなった。実際に貞子、大橋性也、みつお、そして加也子の四人が実名で出演した。製作側から山下昇や富江らにも出演依頼をしたのだが、そうそうリアリズムは追求出来なかった。 「暗殺の夜」の映画化に際しては山下本人からの拒否で実現ならずであったが、ノベル化の承諾は得、その肖像権使用料の名目で多額の報酬を手にすると、海外へと名医を尋ねて飛んで今いちど損傷の手術を受け、見事な無傷な状態にまで再生された。しかもサイズがひとまわり大きくなった。これには昇も、素晴らしきかなご利益、と歓喜にあふれ「もう一回、切れてもいいよ」などと冗談を放つまでに性格が陽気になったのである。 貞子といえば、この作品により知名度が高まり、そののち女優からバラエティへと芸域を広げてCM依頼さえ舞い込むようにまで成長していった。もはや風格さえ漂わしながら。 それから続けばやに上映された「青い影」も成人映画の枠を越えて大ヒットで各賞を総なめにして、無名の新人、花野西安はその鬼気迫る演技により絶賛され本格的に俳優の道へと突き進み、その後映画やテレビをはじめ様々なメディアに頻繁に顔を出すという、いわゆる有名人となった。 助演の森田梅男は、撮影が終了するとぱったりと人前に姿を現すことがなくなって、蒸発したのではとまわりは懸念したのだったが、風の便りで現在、剃髪して高野山で修行の身である様子、一同、安堵の胸をなで下ろした。 この町から二人も芸能人が誕生したわけである。そしてロケ地であった、公園前の居酒屋「敬老の海」や「赤いバー」は観光名所の態を表するようになり、連日、ツアーバスが押し寄せ物見の客でごった返した。 熊野古道による世界遺産認定の衆知もあり、ここに来て過疎化の危惧から以外な発展へと町全体が息を吹き返したようにかがやきだしたのである。花野と貞子はスケジュールの合間を縫っては何かと帰省した。時には大物タレントや有名歌手などを伴って。 そんな二人は名誉市民として尊敬と憧れのまなざしで迎えられたのであった。 加也子は置いてき堀とまではいかないけれど、疾風が全身を吹き抜けてゆき、あれよあれよという間に絵巻物がめくられてしまい、よく物語をつかみきれないままにすっぽりと穴が開いたような、祭りの喧噪の後のどこか切ない気持ちを引きずっていた。私の役どころは蜘蛛女のように力尽き果てる。ストーリーでは冒頭に登場してすべてを仕切ってみせるかの重要人物として描かれているのだが、実際には酔っぱらって椅子から落ちる女、まったく意味なく何の前ぶれもなく、不条理に殺されてしまう、まるで安部公房の劇作のように。 脇役、他者への布石。あの少女時代の明晰で神経過敏な精神によれば、世界は存在するものではなく感受はされるが、私の脳裏こそが構築を企てる。それは基盤を支える精緻な分析によってであり、これが構造への力となるべきものであった。 無常なるものに、自らを捧げだすことは出来ない。意味あるものへと情熱を傾けないで何に対して生命を燃焼せよというのかしら。そんな自分は常に中心にいなければならない、その為には妥協は許されない、不純物は濾過されなくては、本当の美しさは見えてこないから、、、だから私は人との交わりも避けてきた、余計な埃にまみれたくない、それが自尊心というものだった。あの兄の死が、いや、死というものが現す、不可能性に捕らわれてしまうまでは。 中学に上がる頃、加也子は早くもアルコールを覚えた。それは神経に対して解毒作用を強烈に与えたのである |
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