理由なき反抗1


よく晴れた初夏の休日の午後、窓から気持ちのいい微風が部屋の中にとそよいでくる。壁に張られた一枚のカレンダー、写真も絵も配してない、ただ月日と曜日が印刷されたもの。前髪がかすかに風にゆれている。
特定の日付を確認するでもなく、ぼんやりと数字の配列を眺めているだけだが、そのうちにふと妙な想像をめぐらした。
「この一年を全部、かき集めるみたいにして積み上げるなり、まるめて団子にしてみたらどうなるのかしら」
三島加也子は、そんな他愛もない考えが無意識にわきあがったのではない。一年という年月、過ぎ去ってしまったが、自分にとっても色んな意味で関わりを持った年月、人々がそれぞれに立ちふるまい、交差して影響を及ぼしながらある者は旅立ち、あり者は劇的に変貌を遂げていったのは、このカレンダーの数字が動いただけで実はみんなジグソーパズルみたいにあらかじめ結果が決まっていたのではないかという、あの人が言ったセリフと同じような思いからだった。
従姉妹の貞子をこの町から離れる運命に導いたのも偶然。そうあの時、私が合コンの誘いをかけなければ公園での事件もなかった。そして帰省した貞子のまわりの何人かは直接にコミットして大きく世界観を変えた。これも最初からの決定事項だったとしたら、、、
そう思いこみたかったのは、やはりあまりの出来事に翻弄されてしまったからに違いない、そして自分ひとりがこの町でその名残をかみしめながら生活していることに対する、複雑な感情によるものであった。

貞子が東京でAV女優になったと知った時の驚きは、動揺より先に自責の念が前に出て、とにかく今すぐにでも連絡をとり心から謝りたかった。彼女の母親は自分の伯母にあたるが、その方にも顔を合わせられないと申し訳なさでいっぱいである。実際、親戚中が悲痛な面持ちであったのは当然だと思っていたし、そして今だに軋轢から奇麗さっぱりとした関係へと鞘におさまったとは言い切れない。
ところが、そんな加也子の気持ちとはうらはらに貞子は実に明るくふるまい「何いってのよ、加也ちゃん、運命の流れじゃない。私は今、すごく充実しているのよ、全然、後ろめたさなんかないし、山下昇さんにだって、おかげ様でって言えるわよ。ほんと気にしてないんだから」
そう陽気に答える姿なのだが、それでもどこかに引っかかりが残ってしまう。それは貞子自身がものごとを悲観とは反対にポジティブに捉えようとして活発になればなるほどに、自らを抹殺しているような沈鬱な陰りを見いだしてしまうからであり、仮に百歩譲って貞子の言葉を全面的に受け入れるとしても、まるで満員電車に乗りきれなくてホームに取り残されるあの感情のように外部にあふれ出すもの、それが加也子の正直な気持ちだった。
私は私の感じたものに支配されているし、そこからは抜け出せない。人と人はすれ違うのはすべて心というものが、個という器に閉じ込められているから。極端な話、人が目の前で死んでも無関心な日もあるかも知れない。
加也子は随分と小さい時分から、他人との距離感や考えていることを読みとろうとして来た。
両親はそんな気質を見てあまり神経過敏な子供にならなければとやきもきしたが、乱暴を働くのを叱りつけるようなわけにはいかない。駄々をこねて言うことを聞ないでもないだから、繊細な気性をはぐくんでくれればよいと、大人びた口調で近所の人や学校の先生やクラスメートを、批判めいた解釈で分析するかのように講じてみせる癖も、この子は明晰な頭だから、将来はきっと有望だと意識的に良い方向へ転じることで安心を得ようとした。
しかし、加也子がまだ小学の半ばの頃に歳の離れた兄が病気で他界してから、その死がどのような影を幼い心に落としたのかは明らかではないが、あの鋭敏な感覚は増々研ぎすまされたものになり、斜に構え人付き合いもあえて避けている風であり、友達といえば家によく訪ねてくる従姉妹の貞子くらいで、学校から帰ってもひとりで本を読んだりしていることが多かった。
父親が一度、その耽読している書物のタイトルを見て「坂口安吾かあ、堕落論に桜の森の満開の下、加也ちゃんはこんな本が面白いの」と聞くと顔色もかえずに「とても面白い」と答えて唖然した覚えがある。
ようは早熟な精神を宿していたのであろうか。そしてその後亡き兄の面影が、忘却の彼方に消えてはまた立ち現れてくるようになって、始めて加也子は自分に嫌悪を抱いたのであった。