理由なき反抗15


森田梅男は剃髪したままの姿で町に戻り、学生時代より続けていた弓道をより研鑽するべく、全財産を投じて自宅脇に細長い間取りながらも、清楚で無駄のないおもわず背筋を正したくなる道場を建築した。
高校でも弓道部は人気があった、だが進学や就職後は案外、弓を引く機会をなくしてしまう。梅男は青少年は無論、そんな社会人を相手にもう一度、すり足の優雅を、腰の落ち着きの端正を、胸の張りの雄大を、そして弦の緊迫がもたらす無心を伝えてみたかった、早気という焦りの克服を高野山で見いだしたとでもいうように。
射法八節は深遠な道理に裏打ちされている。心と肉体の無言の調和。足踏みから胴作りにまでの目覚め、弓構えに打起こしへの黎明、引分け、会、離れと弧を描くように流れゆく陽の軌跡から、残身の影に佇む醒めた情念の黄昏。
梅男は以前より口数が少なくなっていた、それは密教寺社での修行生活を秘匿する姿態と人からは思われ勝ちだったが、実のところは的を射る弦のように、決して逆行はありえない、つまりは明確な手応えを感じなくとも前だけを見つめたかったのであり、忌まわしき過去はすべて消し去ろうとしていた。いや、過去そのものがここにはもうなかった。

そんな梅男の精進ぶりは、もの珍し気に見られ囁かれていき、いつしか加也子の耳にも道場を開いた話しが伝ったのである。
以前、赤いバーで何度か軽く会話した程度の特に知り合いでもないのだが、影山監督の作品に出演したという共通もあり、加也子は思い切って森田道場を尋ねてみることにした。
日暮らしが炎天の陰りに安息したかの思いに時雨れる、夕暮れ時のことだった。道場の中で弓を射る気配を感じた加也子は、玄関先で大きく声を出して不意の訪問を知らせた。森田梅男はすぐに現れた。剃髪され面もすっきりと油が抜けた感じで全身も無駄肉がそぎおとされた精悍な姿に変貌している。「あの、わたし貞子の従姉妹で三島加也子です、前にバーで何回かお目にかったことが、、、」
そこまで言うと、梅男は顔をなごませ「はい、覚えてますよ、映画にも出たそうですね、僕は見てないのだが」
「突然すいません、高野山でしたわよね、下山されて弓道を教えてるって聞いたもんですから、ぜひお会いしてみたくなって、失礼かも知れませんでけど、連絡先の電話とかわからなくて、とりあえず伺えばいらっしゃるかと」
段々と音量が下がっていくような加也子を励ますように「いえいえ、まだ道場開きしたばかりで人も集まってなくて、歓迎ですよ、と言っても入門に見えたんではないでしょう」
加也子はさっと頬を赤める「はい、すいません、武道とか運動は苦手でして。実は少し聞いてほしいこととお願いがあるのです」梅男は軽くうなずく。
「話せること、いえ、お話していただけることだけでいいです、あの映画の仕組みについて、そして何故、あんな引っかけみたいな筋書きを受け入れてしまったのか、もうあんな過去とは関わりたくないのは知ってます、でも、、、わたしの従姉妹はあんな風に進んであの道を選びました、よく考えてみました、でも所詮、親戚といっても別人格です、深くは理解出来ません、それよりも、貞子や花野さん、大橋店長や赤いバーのマスター、みつおさん、みんな本当に存在しているのか、しっかりと実感出来ないんです。自分自身深く考えてみました。でも限界があります、知りたいんです、わたしたちは何かに操られているような気がして、、、森田さんはだまし討ちみたいで衝撃的な映像になったんですけど、なんで了解したんですか」
梅男の眼に冷たい光が一瞬現れた。「ぼくは映画は見てません、自分の撮影が終わるとすぐにこの町を出ましたから、分かるでしょう、無念と絶望が渾然になって襲ってきたんです。三島さん、あなたの言ってる自分の意図とは別のものという感覚は、あの時、僕も感じました、それからその渾然となったもの中心にとんでもないものを見てしまったんです」「それって、、、」加也子は大きく目を開く「快楽です、性的快楽を包み込んだもっと大きな快楽です、でも底なし沼みたいな恐さがあって、僕はそこから抜け出すために出家を選んだわけですが。僕は知ってしまったのですよ、何もかもが無常であるってことを。あなたの感じてる疎外感にも近いかも知れない。それで三島さん、お願いっていうのは何でしょうか」
それまで伏せ目勝ちだった加也子の表情が鋭く引き締まった。
「ええ、これは内密に願いますが、、ある実験をしてみたいのです、、、」
その話しを聞くにつれ、梅男の顔は不気味に歪んでいった。