理由なき反抗14


霧の中の彷徨から少しずつ意識を取り戻した加也子は、みつおの言葉がなにか呪文に思えてきて、茫洋と幻影の回廊をめぐっているうちに、はたとある閃光がさしこんできた。
兄への思慕にひそむほの暗い魂の揺曳は、秘密の鍵のありかを示唆するようであった。深い井戸に降りていくと、今度は横穴が開けているとでもいう手応え。
加也子はパソコンの電源を入れると、あの赤いバーの掲示板に書き綴られた物語をもう一度、下から読んでいった。
わたしの姿を借りてきたと思われる、合コンの主催役からの電話に始まって、自分を含む八名が集う様子、その前にはみつおの断片的な日記風が見られ、序章という体裁で山下昇が登場している。実在の人物をモデルにした会合の場面から、突如として板石掲子が奇形児的に物語をねじ曲げ、現実を曖昧なものにさせてゆき、今が仮想空間であるかのような錯乱をもたらす。「書かれたもの」とみつおが表現する通り現在は、あたかも虚構であり上位には本当の世界が位置しているというのか。
「書かれた」中にはそのからくりを判明したかのように反抗と越境へと賭ける人間もいる、昇と貞子だった。みつおは諦観の視線であり、「知っていることしか知らない」と世界認識の外側へは不可知な態度で徹していた。しかし、時間軸が何者かの手で更に歪まされると、すべては仮想空間の演劇であって、みつおは懐疑論者が新たな認識へと移行するよう半身をもうひとつの世界にすりこます。結果、富江だけが取り残され、出口なしの悪夢に縛られてしまった。
その奇怪なストーリーに触発された、影山実行監督は配役に実際の人々を起用してあらたなドラマを構築していった。そのあらましは「暗殺の夜」と「青い影」に詳細に描かれている。
現実には貞子はAV女優を経てタレントと成り、花野西安は芸能界で成功をおさめる、後の人達もその行く先は様々だが、どこか現実遊離した感じをここ数年、持ち続けてきた。そう今この瞬間も「書かれたもの」であって仮想現実だとしたら、、、
赤いバー、張本人のマスターは、脚本の仕事を依頼され経営は他者に委ねて、現在東京にいる、その後も何度か赤いバーに足を運んだがあれ以来、顔は合わせてない。居酒屋の大橋店長も店舗拡大と別事業に乗り出して今、この町には住んでなかった。とは言え、空はいつ見あげても高いし、風のそよぎはまちがいなく前髪をゆらす、呼吸はしっかりと続き、町の生活は現実以外の何ものでもない。この広がる世界と心を否認するのは狂気にとらわれるか、自殺でもするかしかなかった。
貞子からは割と頻繁に連絡があるし、山下昇の元気な姿も町で見かける、そう、あの高野山に出家したと噂のあった森田梅男も下山したと聞いた。すべてが慌ただしく過ぎ去るなか、自分ひとりが代わり映えのない生活をしているという、もどかしい気持ちに支配されるのはどうしてだろうか、思春期や大阪での暮らしも淡々と過ごしてきたと思っているけど、本当は心浮き立つ日々の流れだったのでは、、、それは懐古というまなざしの向こうだから、海面の反射するきらめきとなるのか、それとももう一度、自身を投げ出してみるような賭けを欲しているから、その裏返しとして停滞感と退屈が鬱積してしまうのだろうか。
貞子が劇的な態度で不慮の事故を、魔法みたいに変術させて喝采を浴びるようになったのは、彼女がそういう生来の能動的な性格によるものだし、運とかもあるかも知れないけど、やはり、自分とはどこか異なるものがあったからで、決して嫉妬めいた眼で貞子を見ていたわけじゃない。事実、打たれて蜘蛛にように階段で息絶える女役を演じた後、監督から「わりといい演技じゃなか、マスクも愛くるしいし、どうだい、君も役者の勉強してみないか」と勧められはしたのだが、生き方や人との関わりは演じれても、あらかじめ作られた台本通りに役をこなすのは性にあわない、というか、演技とは秘められることに意義があるし、ひとりほくそ笑むものだと思っている。
そこまで色々、思いめぐらせてきて、心の奥底に降りていくのがもうこれ以上、臨むべきものではないと感じてきた。本心から欲するのは、新たな発見であり出会いだと、月並みながらそんな前向きな生き甲斐を見いだした。
でも、省察を深めたからこそ、そんなあたりまえな心境に到ったと、加也子は自分を誉めてあげたい気持ちになったのだった。