理由なき反抗13


霧の中の霧、おぼろげの黄泉の国からいわくありげに、あれから年月も経てきたというのに、忘れな草の可憐な花びらは寄り添いながら、ぽつねんと咲いている。胸がつまる蒼き死化粧で。
お兄さんはいつも忘れた頃に訪れる、でも、恐怖心などないし不快な気持ちも感じないの、ほんの少しだけ息苦しくなって寂しくまつ毛をふせるだけ。でも今日はわたしからお話したいの、ちゃんと見つめているから、、、
にきびいっぱい出てるね、でも眠った時にははがれたみたいにひとつもなかった、ずっと不思議に思ってたんだ。
加也子は、目の前に蒼い風に乗ってさまよい出た兄の幻影に向いながら、健気に自問する話し方で問うてみた。見つめるほどに、震える不透明な姿、淡くやるせない冷たいほむら、せつない想いにたなびくのであれば、わたしの視線に輪郭を描いてほしい、帆影のもうろうとした形じゃなく、砂浜に指でなぞってもらえれば。
そんな加也子の祈りにも似た願いが帆をなびかせたのだろうか、微風が紺碧の空を清涼に吹き抜けて到来してゆき、距離感を失った白砂にいちまいの経帷子が、ふんわりと意思をもったかの仕草で舞い降りてきた。砂地にきぬずれの音が染み込んでいく。
恥じらい気味に衣がうっすら朱に染まり、開花のためらいは吐息をもらし、空ろな筒袖から腐敗臭をおびた潮の香りが漂いだし遠くさざ波がうち寄せる中、すべてがすっとかき消されてしまった。風が海原に遠のく跡地、会心のえくぼを砂に残して、、、影法師は水平線の上空彼方へと昇天していった。

加也子の頬に熱い潮のようなものがこぼれ落ちる。兄のにきび面が張りついたみたいで、顔中が涙で塩っぱかった。
鏡は必要ない、そこに映るものがしっかり感じとれるから、わたしの気まぐれにやきもきしていたのは、お兄さんだったのね、この世とあの世に離れてしまった時、やっぱり落とし物をしていった、わたし見てなかったわけじゃい、夜ひとりで耽っていたの知ってる、何度かそっと目にしたし、そんな気配にも敏感だったから、でもあの頃はよくわからなった、後からそれがわかってきたけど、そうなの、思い返そうとしなかった、意味を深めて思い出すのは、ほの暗い部屋に閉じ込められるようで恐かったの、それに何よりもお兄さんの無念みたいなものに取り憑かれる感じがして、、、お兄さんが可哀想って想うよりも、自分にまとわりついてくるのが薄ら寒い気がして、、、ごめんなさい、お酒を早く覚えたのもそうかも知れない、わたし、本当に引っぱられるようであれから夜が来ると震えてた。
小さい頃の無邪気な墓遊びは、すっかり意味合いが変わってしまったのだわ、そのくせ妙に強がって肝だめしとかでは、ふざけたふりしたり動じない顔してみせた、知らないとこで自己防衛っていうか、とらわれたくない心が働いた。気が小さいのに精一杯、背伸びしていた、ほとんど友達がいなかったのは、自分で交わろうとしなかっただけ、見透かされるのが不愉快で、それより他人を見越してやって、その意識の上に座る方が安全だし、手軽だったの、しっかり守らないといけないって信じこんでた、それこそ根拠ないわね、そうよ、自信のなさの裏返し、今だっておそらく根は同じでしょう、わたしは傷つけられたくなかった、だから自分で先に傷つけた、大阪で加藤主任が失踪した時も、気持ちが大きく揺らいだ。当日は調理中に油がはねっ返って腕に被った、小さな火傷だったけど、わけも分からず怒りがこみ上げてきて、もっと大きな火傷をつくってやったの。けっこう治りが遅く水ぶくれが破けて、包帯から膿んだしるがしみ出してきた。でもじっと見てたら不安が解消されるような気がしたわ。
後はそう静かに孤独がやってきただけ、、、お兄さん、わたし、忘れものに気がついてながら、気がつかないようにと努めてきたみたい、少しだけかも知れないけど、今は理解してみたい、、、いいのよ、わたしでよかったら。

加也子は左腕を袖まくりして、焼きごてを当てられたかのケロイド状にうっすらと隆起した、赤茶けた傷痕を大きく掲げた。そして反対の手をゆっくりとスカートの内へ忍ばせ、下着の中の割れめを指で軽くなぞる。
肉感を得るわけでもない、不感で性器の位置を確かめるのでもない、股間は閉ざされた闇への門前となり、ゆっくりと優しく夜露に濡れながら肉体も魂も受け入れていく。夜気は加也子の全身を包みこもうと忍び寄るが、そこに兄の気配を感じたのではなかった、ただ死の輪郭に触れたような気がして自分の体温を、呼吸を、脈拍を、鼓動をあらためて感じとったのだった。
そしてあの夢の中でのみつおの言葉が虫の音になって聞こえる。
「肝心なのは、眼が見えないということなんだ」
数珠のイメージがぼんやりと浮かんで来るのだった。