大いなる正午5 トンネルに続くトンネルを抜けると、暗室のカーテンが急に開かれるようにして、両側の車窓には山々の緑が正午に近づく光線を燦々と浴び、いっせいにきらめく景色が断続的に現れてくる。列車の走行音にかき消されてはいるけれど、青く晴れわたった大空を背景にして草木の葉ずれは瑞々しく風に応えているのだろう。 夏は盛りへと肉感的な熱情で駆けて行こうとしている。しかし陰鬱にくぐもった心中にとって、季節や風景はどうあれ遮蔽された外界の無味な映像となり、寄せる白波に大海への連なりを想起出来ないその手応えのなさには、人という存在の業をまざまざと思い知らされてしまう。 特急が花野西安の複雑な期待を乗せてこの町に到着したのは昼過ぎであった。 途中幾度となく携帯を開いてみたのだが、仕事関係のものばかりでやはり貞子からの着信は見あたらない。だめ押しのつもりでもう一回、電話を試みた、、、変わらず虚しく、読み上げられる回線不通の知らせ。西安は当の実家に帰省することさえ伝達していなかった、はやる気持ちを抑えてとにかく、両親が健在する自宅へと電話を入れた。 「もしもし、母さん、俺、今こっちに帰ってきた、駅についたばかりだよ。昨日の夜えらいことあったっていうじゃない、、、うんそう、、、それでね、川村さんも急いで帰るっていったんだけど全然、音信が途絶えてしまって、三島さんとこも留守電になってるし、母さんは何か知ってるの、、、そう、、、わかった今からそっちに向かうから」 西安の生家は潮の香りが漂うくらい港近くにあって、先代からの加工業を連綿と営んでいる。父親は一般的には定年を越えた齢だが、海鳴りの振動を小さな時分から体中に染み込ませて、現在も気丈な風格を保ち続けている。 母親は人当たりのよい柔和な性格で、頑健で短気なところのある父をなだめてはおだてながら力添えしてきた。西安はそんな愛想よく温和な性質を母から、寝不足にも風邪熱にも屈せず仕事を貫く気性を父から譲り受けたといえよう。 丁度、昼時だったので食事をしてなかった西安は、久しぶりに実家の精製品のひとつである魚の薫製を削り、昔から慣れ親しんだ菜のぬか漬けをまぶして、ご飯にのせて食べた。わかめの汁物をすすりながら茶碗3杯たいらげて、よく冷えた麦茶で一息ついた時には、そう、あの鬱蒼とした晴れない気分をすっかり忘れているのに気がついて、血流もよくなってきたと感じて朗らかな気分になった。新幹線で小便しながら、いちもつの使用に思いを馳せていた瞬間と同じ作用とでもいうように。 しかしのんきに里帰りのひとときに浸っている場合ではない、ちゃぶ台の上を片付けする母やかたわらでテレビを見ている父に、昨夜の顛末を聞き出そうとした、近くにあった今日の新聞をひろげ見ながら、、、 結論からいえば、何ひとつ貞子から知り得た情報を刷新するものはなかった。それどこらか加也子以外の名前すら詳細に欠いていた。更に西安の不安を高めたのは、新聞報道がまったくなされてないという事実であり、これほどの事件性のある惨状は、地元ならば号外を発行してもおかしくはない、テレビといい新聞といいメディアの機能に何か異変が生じたとでもいうのか。芸能界という最新の情報社会に身を置く者として、この非公開ともいえる閉鎖性は、戒厳令のもと絶対の権力が君臨したあの情勢を彷彿させる。 早朝から一連にたなびく暗色に染めあげられた心模様は、この圧迫感に収斂していくのでないだろうか、貞子がもらした、我々には劇中でしか耳慣れない「国際規模の犯罪組織」や「インターポール」などという大仰な名称。 寝起きだったので靄がかりな意識と思ったが、あの刹那には恐ろしい速度で、大きな影がすでに忍びよっていたに違いない、その気配を知りつつも唐突な異変に順応出来なかった、闇夜の道で走行車の照射するライトに身をすくめてしまう動物のように、、、確信性を遺棄するおびえは防衛反応として逃避願望へと転化されるのだが、、、西安は緊縛状態からやっとひも解かれ、ことの事態へと明晰な思考で捉えることが可能だと信じた。 だが、それは貞子の音信不通が示唆する、暗礁への本能的な恐怖をじっと見すえるということであり、身の危険を察知した獲物の目覚めであった。 |
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