大いなる正午28 静かな狂乱だった。すべては加也子の脳裡で繰り広げられていた。 鏡の向こうに貞子の影を見た後、深い霧が一気にはれる感覚に支配され、加也子はここに来てから始めて自己を失ったのである。すると、今までにない行動が開始された。それは呪縛から解かれた自由にも似ている、首輪を外された野犬の逃走を思わせた。 加也子は、海底深く静められていると云う被虐的な王女に感情移入を、そして真綿に包まれた棘のある囲いに女帝の倒錯した閉塞安住を見いだすことで折衝してきた。骨を砕くほどの重力で受諾した眼には、あらゆるものが異相に映り始めた。精確に現すと、照射されるものは本来そのものへと帰って行かざるを得なかったと云える。何故なら加也子自身が光線となったからであった。 夜の精霊たちは古式に則った自尽に大いに感銘を受け、悼み、蘇生の儀礼を執り行った。太陽が慈悲深い面持ちで燦々と光をふりそそぐ様を、根底から覆す為に人間の思惑や了見など到底及びもつかない儀式が続けられた。 呪われたのは夜自身である。それは御身をしてあまねく漆黒へと塗り上げられる清浄の地を這う歓びに溶解する、聖なる供犠に心酔した故であった。夜は夜を恐れながら己を愛する、、、流血を吸い取った惨劇の地は早くも次なる巡礼者の命を貰い受けた。木梨銀路は遍路へと旅立った。そして白日夢へと己の身をやつして、人知れず夏の微風に吹かれ浮遊していった、、、鉛の如く反骨に、その淫蕩の結晶で抗いながらも、、、 人だかりの周囲を感知しつつ、三島加也子は女性であることを誇りにする証として下半身の着衣を脱ぎ捨て、矢先で子宮を貫いてみせた。斜陽に一切を賭した森田梅男の斜面打ち起こしが無念に果てると、彼自身の灯火も儚く消え去ろうとして最期の念を伝える。そして後頭部下にその意志が結実した感触を得ると同時だった、、、私の首が刎ねられたのは、、、 古賀という看護士は片時も私から離れたことがない、、、死者に意識があるというなら唯心論はその証明をしてみせなければならない、古賀さんは他者としての存在を演じ続けている、、、いつも私と一緒、何故なら私独りだと何も反芻出来ない、古賀さんがいるのは、、、いるのは、、、私の存在を確認させる為に必要だからなのよ、、、そうなの、だから、こんなに非の打ち所がないのよ、、、いいえ影なんかじゃない、楯でもないわ、この世界を構成する最低分子なのよ、例え私が死んでなくて、狂気の中に棲息してるとしても、幽閉者として薬物投与されていようとも、主客二元論が導き出される限り、私は私を追想するの、死の国でも、狂気に世界でもいいわ、ここにこうしてある意識は光となって辺りを照らしているから、、、 貞子、あなたはちゃんと生きているわね、そうして黄泉を現世を往復しているのかしら、あら違ったわ、私が貞子で加也子の心の領域を覗き見ているのよ、、、ええ、それもありえるわね、、、森田さんはどうしたのかしら、この施設に来ているの、、、山下さん、、、ラーメンの麺吐いてしまった、、、ちゃんと見たのよ、、、そうだまだあるかな、、、 古賀さんたら几帳面だわ、奇麗に掃除してくれている、、、何よ、この扉、何で今まで外に出ようとしなかったのだろう、、、この窓、いつもは緑でいっぱいだったのに、夜なのね、、、森田さんに会ってみよう、、、会えるはずだわ、猫とお話してるって本当かな、可愛らしいじゃない、私も仲間に入れてもらえないかしら、、、 外部へと通じる唯一の扉に手を掛けた時、身体が宙に浮くような虚脱感を覚えた。全身が半透明になった頼りなさが感じられ、視界が急激に狭まってきて呼吸が苦しくなる。苦しみというより切ないといった方がいい。耳鳴りでなないのだが、通低音の如く哀歌が奏でられている。単調だが悲愁に彩られた音色。力の加減すら覚束ないまま、扉は開放される、、、更に視界が阻まれたのは、その先に通じる長い廊下のこの世のものでない、おぞまし気な暗闇によるものだった。こんな嫌な気配は夢の中でしか感じたとはない、、、すると、意識が光速で飛翔したのか、思いもよらない、ベッドに横たわる自分に気がついて目覚めた、、、否、気がつけばベッドで寝ていた、、、再び忌わしい思いを抱きながら廊下に出ようとする、、、と、何と又もや瞬時にして元の位置に戻されていた。これが繰り返される。 それはまるで壊れた映画のフィルムが同じ場面を何度も再生する、あの少し陽気で不気味な、永遠の悪戯だった。 |
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