大いなる正午29


無為な日々を過ごしていると云う実感が、花野西安にとって切迫する焦燥と成り得なかったのは、つまるところ生来の気質によるものだとしたら、何と素晴らしき効能だろうか。
あの朝早くに貞子からの電話を受けてから、暗雲にわかに沸き上がり不測の事態と大いに胸中波立ったのだが、自分は最終的には全面に向き合う姿勢でないと何処かで言い聞かせていたと思う。それは物語に配役として加えらえている現状を把握しすぎることによって役所に徹してしまい、大筋など眼中から消えてなくなると云う不遜な天分によるものであった。
役者としての技量で、この一件を了解したのであれば、貞子や加也子、それに森田梅男の先行きも演出に過ぎない、そう考えてみるのもそれほど不自然でなかった。そもそも役柄であったとしたら、否、宿命であったとしたらそれも大いなる演劇の舞台ではないか。登場人物に限らず、血の惨劇がもたらす非日常的な光景も戒厳令などと云う古色蒼然たる巷説も、更には森田の両親が見せた銃後の悲嘆めいた謂も、虚構が来り広げるひとつの連なりにと映ずれば、十分に首肯出来る。貞子が飄然と意表を突いて日中に姿を見せ、その夜には身体を開いていったことでさえ、夏の日の幻と捉えてみれば、それも夢うつつの扇さばき、悦びの酔いに任せよう。
すべては自分に降り注いだカンボジア・スコールのような激しい受難劇であると思えばよい。再び蒼穹が広がっていく予感はすでに明るい展望を西安に抱かせた。過去と云う流れゆくものに対し執着はなかった、反対にまるで剣豪が一刀のもとに切り捨てる、非情を想起させる冷酷の冴えを自負したのである。

東京に帰る為、タクシーに乗り車窓からこの町並みの風景に親和感を覚えようとする途端に、それらの風物は字義通りかき消される如く、薄っぺらい絵葉書となって吹かれ流れていった。思い入れなど必要ないと感じながらも、一方であまりの空漠に微かな後ろめたさを禁じ得なかったのは、人の情に有りがちな寂寥感や触れ合いによる親睦などではなく、ただ己の中に証明書を収める枠組みを形作りたいと云う、記念切手や土産ものを購入する気分みたいな高まりを捨てきれなかったからであった。
それは、言わば生き様の記念品であり、不必要であるが故に懐にしまっておきたい過剰な陳列棚の形成を意味した。もちろん証明内容など問われない、というのも大事なのは、曠野に於ける庵が最低確保出来ればよいからで、つまりは雨風が凌げればよかったからである。そこにさえいつも帰って行ければ、後はこと足りた。
以前に人から以外と嫉妬を抱きやすいと指摘されたこともあったが、それは執心の炎とは異なる熱情であり、寄るな近づくなと縄張りを常に警戒して廻る支配欲より、もっと単純な元素のような見張りのまなざしだった。半円状に延びる欲望ではない、いうなれば立脚点を確認してみせる、そんな錐の穴のような傷痕を擁護するが為の番犬であった。
西安にとって親和とは、自己保存の機能を維持する潤滑油だといえる。そしてその都度、空疎な額縁が胸の中へと飾られた、まるで勲章の影であるかのように。
駅への手前、あの児童公園に車がさしかった時、思わず停車を命じてそこに降立ったのも、記念撮影へと名所に足を向ける戯れであった。大通りを右に折れると、青葉が生い茂る桜の木がすぐに目に映る。正午をすでにまわった夏の日は、まぶしいくらいに辺りを照りつけていた。西安の頭上にも一切の汚れを蒸発させる溌剌とした意思が降り注いでいる。
地面に張りつく一体の人影、、、陽光の鋭さに焼き付けられるようにして印される漆黒の生命、、、ふと自分の横顔が鮮明な影絵で地に描かれる様を思い浮かべた。自他共に商標と認識する西洋的な隆準が威高に屹立している。あたかも、地下の大魔王が太陽に挑みかからんとする、あのいにしえの神話が醸し出す壮大にして豊穣な躍動として。
不敵な彫像は知っていた。災禍が予想以上にその轍を残していかなかった理由を、、、
公園の左手には、かつて大橋性也が経営を仕切っていた居酒屋の店構えがあり、まだ営業時間前のひとときを仮眠する安寧にある様子が窺えた。
西安は何気ない足取りで近づいてみた。玄関先には大きめの瓶が鎮座していて、中には小さな金魚が数匹、うつせみから隔てられ清涼な遊泳を見せていたのであった。