大いなる正午23


太陽が慈悲に満ちた光を明々とあまねく浴びせる様を、夜の番人は必ずしも黙して容認しているわけではない。
白日夢たるもの、あらゆる間隙を突き、わずかな裂け目に爪先を立て、世界の皮膜を捲りかえして見せようとする使命感を決して忘却しなかった。
山下昇が初めての面会人になった理由に対し、折り紙を畳む手順の如く、見通しのよい判然としたものへと思えてきたのは、その午餐会に於ける一風変わった献立の戯画に依った。そして、古賀の以外な発言がより信憑性を深めた。
「お話はそうですわ、山下さんから伺うのがよろしいかと、実はわたくし事情に関しては全く知らされておりませんの。ただ三島さんの看護に専念するよう施設から派遣されているだけで、一切の私語と言いますか、過去形に関する会話には触れないよう厳命されております。ですから、これからお二人が交される事柄にもわたくしは、何ら関知致しませんので、どうぞ遠慮なく、、、」
一瞬、加也子は自分の耳を疑ってみたが、確かにその言い草には根拠らしき片鱗が窺えた。仲間内とはいえ見張りには、あえて秘密を明かさないものだ、この部屋の中に監視装置を万全に尽くしておけば事はそれで足りる。
古賀に過剰な距離感でもって勘ぐりを抱いたのだが、それはこの環境全体に虚妄が横溢する疑念であり、あるいは複雑な信頼関係によるものとすれば、別段、当の本人でなくてもかまわないはずで、曖昧でつかみ所ない居心地の悪さが、具象を求めた帰結と見なせばよかった。無論その解釈も真実とはいえない、何故ならすべては不確実の帳の中に存在しているから、、、私自身も何もかもが、、、逆説的にこう表せば的確かも知れない、そうあの人の言葉のように、、、「すべては決定されている」

テーブルに配膳された品を見て仰天した。「山下さん、これ、、、」日頃と全然異なるその昼食に加也子は魂を奪われた。
「いやいや、すいませんね、これいつも食べてるんですよ、さすがですね、何かうれしいなあ」
昇が相好を崩す先には、即席ラーメンらしき丼が湯気を立てている。具はない。すかさず加也子の前にもそれが配られた。よく目を凝らせば、油状のものを密封した小さな透明の袋が傍らに置かれている。積もる話は食後にとでも言いた気な雰囲気の昇は、その小さな袋をつまんで切れ目を入れると、湯気立つ麺に馴染ますかの手慣れた仕草で振りかけた。間違いない、これは<出前一丁>と云う、加也子も子供時分よりよく知る即席ラーメンであった。
脇腹への損傷後は点滴を経てのち、流動食以外では絹ごし豆腐が供されただけで、あまりの意外性に瞠目を禁じ得なかった。しかも昇の好物と思われる。先程の洋酒といい、これは一体、どんな意図があると云うのだろうか。
呆気にとられながら、古賀から「今日は特別だから、三島さんも召し上がれ」と拍子抜けするように勧められると、加也子も無心で箸をつけて麺を啜ってみた。懐かしい臭いが立ち上がり、久しぶりに温熱を感じさせる。
黙々と食が進むなか、続いて供されたのは茶碗に盛られた白米であった。これには大いなる想像力の比翼を借り受けずとも、簡単に次なる展開が予想出来た。ほぼ麺を平らげスープが半ば残存するうちへと、昇の手はまるで自然現象の如く大らかに、茶碗の中身を投入したのである。俗に云う、ラーメンライスなる呼称をもって庶民に膾炙するその風情に対座した加也子は、戯れ気分に誘われるようにして猿真似上等と言わんばかりの捨鉢精神で、昇の先発隊に従軍した。
日毎、膳に上る重湯から想起される粥の感触とは、これまた違った滋味が口中に広がってゆく。科学調味料を駆使した絶妙かつ雑味の残り香に、舌先の慣例は久闊を詫びること能わず、香辛料や胡麻辣油のひりつく加減がえも言われぬ自堕落な歓楽を謳歌して行く。終いには昇の影絵と見間違う程に、両手で丼鉢をつかみ取り、双眸が焦点を失う接近で汁飲みに挑どんで果てた。
長らく忘却の彼方へと行方を眩ましていた味覚に舌鼓を打つやいなや、次には信じられない光景が飛び込んで来た。古賀がテーブル上であの洋酒の瓶を開栓して二つのグラスに注ごうとしている。加也子は早くも目が廻ってきた。そして、衝撃は加速度を増すようにして、新たな地平へと両翼を大きく広げていったのであった。