大いなる正午22


風の便りという言葉に、今ほどその語感が包みこむ裏腹の圧搾を実感したことはない、、、
傷口が癒えるに即すようにして、新たなる病棟らしき施設へと移転を余儀なくされる。本快にはまだまだ程遠いけれども、多少の歩行も困難ではなくなってきた。それなのに、個室としては余りある程の広々とした空間からの外出は禁じられ、ここへ来てからは肉親はおろか、誰ひとりとして一切の面会は遮断されてしまって、唯一の話し相手は看護に当たる非の打ち所のない、古賀という女性だけだった。
装飾物による華美な室内の効果と相まって、古賀が醸し出す親しみ易くも誠意を感じさせる接し方は、一流ホテルの給仕に似て清涼で、又、そのきびきびとした清潔感は回復への距離を一層縮める作用を秘めているように思われた。
あまりに出来過ぎた夢物語が破綻なく終息する為には、ひとつの回避策だけが残されている。それが、手触りの素晴らしい真綿で被われた有刺鉄線を思わせる、相互了解の暗黙であった。触れることさえ避けていれば、仮想的な質感の異相はその了承域まで水準器を合わせてくれる。すると、ここは瀟酒な来賓の間となり、高級な収容所となり得る。
桃源郷とは本来、こうした局所的な閉塞の時空に見いだされる、一種技巧の痙攣であり絶望に裏打ちされためまいが一筆書きでなぞる図形ではないだろうか。
三島加也子の心境は、そう云う海域の深層にまで投錨された。狷介孤高の精神は放逐される我意と同じく、裏ごしされる工程でより純粋な不屈の金色として輝きを顕わす。人工的な佇立こそが、賢明なるひとつの策であった。
これを懐柔による馴化と呼ぶには卑屈であるはず、揶揄されるべきは大地にしがみつく傲慢な自尊心の方である。

さて、そんな加也子の鉄壁の諦念に加担させるべき駄目押しとして、今ここにその姿があるのだとしたら何と念入りな対面を企てたのだろう。もっとも悪意的な制圧などはこれ以上、必要でないことは影の立役者も承知の上だと思うが。
朝食後、古賀から小鳥のさえずりのような涼しげなもの言いで面会客の訪問を知らされた。そして好感にあふれた行儀見習いよろしく、興味本意を露呈する態度は先んじてやんわりと諌められたのであった。
「三島さん、お初の面会ですから、ここは期待を薔薇色に染めてみてはいかかでしょうか。その方がこの部屋全体をときめきに踊らせますわ。あら地震みたいな危険で乱暴な震動じゃないですよ、貴女の鼓動がより幅広く外界へと伝わっていく、そんな羽ばたきのような小さな舞踏です」
小さなという言葉に、それこそ画鋲ほどの圧制を覚えたが、最早そこに神経を逆なでする響きはなかった。
規則正しい生活環境は背筋を正してくれる。午餐の為テーブル上が配備されていく中、訪問客の到着が告げられ食事を交えての歓談を、適正な義務に近いものとして容認すべく伝えられた。加也子にとって異論はない。
ただ、心に裡に想像を巡らすのは自由であって構わないであろう、そう想いが馳せると、あれこれと人物像の影が去来していくのだった。

果たして、加也子の面前に少しはにかみながら笑みをたたえているのは、あの山下昇であった。
手土産として受け取った長方形の包装を解いてみると、一本のウイスキーが現れる。<WILD TURKEY STRAIGHT RYE>思わず、吹き出しそうになったけど、よくよく考えてみると、この奢侈にあふれる個室には酒類はまったく見当たらない。当然といえば当然だが、、、過去にはアル中と烙印を押されても平然と肯定していた頃から思えば、重傷の身体であり、いや、そんな境遇だから酔眼をもって世界を見舞わし、千鳥足で地平を蹂躙してしまいたい情炎を燃やすはず、、、しかし、深海に静める今、そんな酩酊の姿態などすでに意味をなさなかった。
それにしても、昇本人の愛飲していた銘柄をわざわざ差し出したのは、何か思わせぶりな伝言を隠匿しているみたいで妙な気分になる。
「三島さん、とても懐かしく思います。思ったより元気そうでなによりです、、、今日は貴女を激励に来たんですよ」
「ありがとう、山下さん、こんなことに巻き込んでしまって、わたし、、、何と言ってよいのか、、、色々、お聞きしたことも」と言いかけて、はっと我に返った面持ちで古賀が佇む方へ気を遣った。
すると、予期していたとばかりに「はい、お話出来ることを楽しみにしてました」と目を見開いて昇は快活にそう応えた。
加也子は心乱れた。その瞳は潤沢に艶めいて見える一方で、悲しみに対する礼儀をもった挨拶にも思われたからだった。