大いなる正午14 自分の名前を呼ぶ声には、いつも特定の通奏低音の響きが付与されていて、聴覚器官が機能するより早く訪れを歓待してしまいそうになる。これは限りなく本能的なものと呼んでいいほどの表象作用となって、最もほほ笑ましくも好まし気な阻害の始まりとなる。即ち自意識の反復を余儀なくされる合わせ鏡の確定性と、撞着による錯乱とが同時に喚起されるという意味に於いて。信頼関係とは果たして何なのか、そんな考えをめぐらせてきた数年だったが、あの事件のよってこれからは別段、後生大事に懐深く包み隠すことなく、訊かれるままに率直な態度で時には笑い飛ばしながらも語れるようになりたい。それは前向きな姿勢で均衡を計ろうと努めたにも関わらず、過去にとらわれている心中から目をそむけてしまう結果だけが残るから、見過ごしてはいけないものを必死になって探り続けていこうという願いが強く現れてきたからだと思う。もう一度、人を信頼してみよう。これは自己籠絡といった閉鎖された思惟の密林からの脱出劇を意味する、大きな変化であった。 この部屋で覚醒してから何日が経過したのだろう、、、優し気な話し方で夜明けの訪れをあれから告げてくれる。 患者への気遣いはその立ち居振る舞に落ち着いた所作を、十二分に与えていた。カーテンの開閉の手の動きにさえ優雅な趣きの演出が施されているようで、今日一日の目覚めに慈愛の点眼を処方される心持ちになった。 「今日もいい天気ですよ。午前中はまだ湿度がないから窓を少し開けましょう、少し自然の空気にあたるのもいいものですから。気分はどうですか、三島さん」 看護士らしく純白の制服に身を包んだ加也子と同世代と思える、その女性はとても美しい声の持ち主であった。又、背筋が伸びすらりとした四肢には清楚な気品があり、同性としても憧憬を覚える中、懇切な介護や柔らかな接し方は自然の流れとして、親近感を加也子の心に芽生えさせた。色白の面に極めて細めのフレームの眼鏡がよく調和して、始終、笑みを絶やすというよりは、要所要所において効果的な微笑を投げかける。そんな仕草が今の加也子にとっては、何より誠実な触れ合いに感じられて、距離感の意識が薄れかかった頃には、肉親や親友、恋人でもない自分を無償のいつくしみで真綿のように包みこんでくれる、かつて出会ったことのない人に思われた。 「古賀さん、おはようございます。そうですね、外の空気を吸いたいです」 この病室は幾分、内装や調度品の配備が、いわゆる機能実質で装飾され形成された室内の雰囲気とは異なった光景に映った。ベッドや点滴用の機材などは本来として、窓際の上下からを含む四方の壁面は淡い緑色ビロードの生地で張りめぐらされ、照明具は無表情な蛍光灯でなくシャンデリアを思わせる壮麗なデコレーションの造型で、天井からは華飾な灯りが芳香な花束を捧げてくれる。 見舞客との対座というより、迎賓の優雅に浮き足だつ懐古趣味にあふれた西洋風のソファセット。 そして何よりも風変わりなのは、部屋の面積の広さもさることながら、窓枠左手の壁際を占領して設置されたクローゼットと等身大の姿見が、まるで上流階級の令嬢の衣装箱を想起させる壮麗で豪奢な、不自然ながら夢見の宏大な細工に幻惑される、その美装の存在だった。 数日前、加也子は遠い闇夜の世界からの目覚め、始めてこの室内を見渡した時、言葉に出来ないある直感に襲われた。それは諦観に裏打ちされた、転倒した喜悦だった。看護を名のる古賀の挨拶から少しは、現状説明を受けながらも行くつく先は不透明なまま幕が垂れ下がり、今ここにおかれている事情は、この病室らしき奇抜な奢侈にひろがる子細を眺めることで、ひとつの理解を得ることになった。 「古賀さん、詳しく外の事態を聞かせてもらえないのは、その極秘事項とやらなんでしょうが、いずれは了解していくという、その言葉の真意を想像するのは、とても恐ろしいことに思えてしまいます」 古賀は快活な身のこなしと意味深な笑み、決して相手を不安の底へと突き落とさない冷静さをもって、緊急時に於ける非難勧告を発令するようにして、すべての家具やら衣服、化粧品の一流であることを、作為的な事務口調で悦びの知らせとして話した。そんな窒息していまいそうな空気を共に深く吸い込み、加也子は大きく息を吐き出した。それは理解というものだった。 |
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