暗殺の夜4


殺し屋はいつも血の気がないような気がする、そうあってもらいたい、返り血を浴びる多少のアクシデントは致し方あるまいが。そういう意味では吸血鬼も又しかり、お互い夜の闇を好み全身に纏うことで、身も心も捧げものとなる、誰に、自身の死に対して。
殺しは自死のデッサンであるが、自死は殺しの影絵である。

山下昇は冷淡な笑みを自然体に顔面に表出することに腐心して、何度も鏡の前で殺し屋の指命を確認しながら、しばらく立ち尽くしていた。銃は携えない、騒ぎは最小限にとどめるのだ、出来れば誰にも悟られずに任務を遂行したい。刃渡り7センチ程のポケットナイフを懐に忍ばせただけであった。髪の毛に櫛を入れ七三に丁寧に分ける。ネクタイの結び目を数回チェックする、身支度は整った、まさしく身も心も。

集合場書は市内の居酒屋、夜7時前、ディテールは(783貞子の休日4)のままである。ため息まじりの風体は無論、演技力の賜物か、本性を悟られてはならぬ。いよいよと店内へと歩を進める。
夢告知では、富江とみつおが対面し話し始めるところで、板石掲子が破壊活動の撹乱戦に出る、その前に封じなければならない、期せずして失敗に終われば、みつお共々、玉砕覚悟にて葬り去るのだ。発覚の憂き目に合おうがすべてを賭して。
指令を受け昇の計画はいよいよ開始される事になった。公演中止や脚本無視の茶番は行なわない、徹底したフィルム・ノワールで観客を魅了しなければ美学が成立しない。
まだアルコールを口にしていないにも関わらず、完璧に構築された伊達男ぶりに昇は自ら酔いしれていた、陶酔の絶頂は極めて微細な登頂点であり、一度昇りつめると先には急降下の運命が待ち構えているという原則を見誤ってはならぬ、ましてや勝利の祝杯には早すぎる、昇には捧げるものがもうひとつあった。酩酊というバッカスの神殿に続く天国への階段である。踏み外すと直滑降の悲劇へと転落する。
「784貞子の休日5」のいきなりハプニングのシーンを覚えているだろうか。
昨晩の深酒の影響と緊張、ハイペースな飲み方、いきなり酔いが全身にあふれ出し、昇は実にここでも又、椅子からずり落ちてしまった。これは演技ではない、不覚にも足元をすくわれた、否、相当酒に飲まれたに過ぎぬ、ややあって加也子が続いて同じく椅子から落ちる、高らかに笑い声を上げる昇、あの瞬間はもうすぐそこまで来ているではないか、しばらくしてはっと我に返った昇は背広の内ポケットに手をやり、左右を確認するとおもむろに立ち上がり掲子の席へと後方から近づいていく。すでにみつおと富江は対面の位置席にあり何やら言いあっている様子。
もう秒読み体勢に突入したのだ、どうする昇、、、
右手でナイフをつかみとり手の内に包み隠すように忍ばせると、掲子の真後ろに密着し耳もとでこう囁いた。
「いいか今すぐここから立ち去るんだ、これを見ろ」握りしめられた親指と人差し指の間から冷たいかがやきが覗いて見える。
いきなり後ろからもぞもぞと声をかけられ小型ナイフらしきものを見せられた掲子は、一瞬ぎょっとしたが、見直すように視線を落とすとけろりとした表情で「どうしたんですかあ、手品ですか刃物なんて危ないですよ、だいぶ酔ってるみたい、しゃっくりしてるし」
確かにしゃっくりが出ていた、ああ殺し屋がしゃっくりしながら任務遂行するのか、昇は羞恥と誤算と失態でパニックになった。おのれ斯く成る上は、今度はみつおの方を睨みこむようにして身を乗り出す。ところがみつおは富江との会話に夢中で時折、目を閉じたりしながら我の世界に埋没しきって、こちらを見ようともしない。
酔眼が深まったのか、それとも一気に酔いが醒めたのか、激しい失意の感情が押し寄せて来る。涙目だった。
そんな昇を見ていた貞子が「山下さん、大丈夫ですか、少し外の空気にあたってきたらどうです、私も一緒に行きますから、ね、出ましょ」
貞子は天女なのか。掲子にも不審な動作はまったく見えなかった。これが本当の現実という世界であれば、、、