残身4 「核心に触れる前に先程も申しあげました、私の次男、星次のことをお話させて下さいませ。些事に渡ると思し召しを持たれるとは存しますがこの度の件、実情に関係してまいりますのでどうかお耳を傾けて頂きたいのでございます。 二年前にご連絡差し上げるべく手段を講じました際、一番の身よりは梅男の弟にあたります星次が最適任かと事情を説明しまして、花野様へとどうにか渉りをつけてもらえないだろうか、私は病弱の身体であるしお前だけが頼りなのだよと懇願してはみましたものの案の定、星次は生来の気性と兄梅男との葛藤を十分に含ませながら、反対に冷徹な説得を持って否定的な見解を滔々と繰り出すのでありました。星次は専門学校を出ますと技術者として若いうちからオーストラリアの方へ赴任し現地で結婚、帰国後も神奈川県に住居を構えましてこの町からまるで飛び出したまま、ほとんど寄り付かない有様、家内の訃報を聞きつけようよう帰省する程に次男とは云え、相当に疎遠な間柄だった次第でございます。海外生活の影響もあるのでしょうか、割り切りが早いと言いますか、幾らもとより淡白な性格と申せ仮にも父親である私の嘆願に対してあまりに頑なの拒否を示すその訳を問うたところ、八年間も音沙汰がないこと自体が結果のすべてである、自分もたいそうなことは言えた義理ではないが、年賀や盆の挨拶くらいは欠かしてはいない、生存しているのならば向こうから何らかの通達があって然るべき、なしのつぶての情況は不都合が生じていると案じるのが妥当だろう、その場合もはや兄は兄であらず、北朝鮮の拉致を見よ、だが兄の失踪はそんな規模を遥かに越えたもう個人の力など到底及びもつかない強大な手中にあるかも知れない、これは公には出来ないがあの当時から現在まで実は似たような事件は国内でも数件発生していて、同じように戒厳令なり殺戮、暗殺、幽閉など巨大権力の暗部が密かに囁かれている。フリーメーソンがらみの陰謀とも世界規模の陰の首脳らの暗躍とも噂され、マスコミはもちろん政界でも誰も口にすることが出来ない、これはあくまで兄が拉致されて生きていればの話だが、、、この町でも当初風説されたように銃弾に倒れたのなら、死亡したとも考えられる、、、どう転んでみても、残念だけれど兄はもうすでに森田家からは消えてしまっている、、、いつまでも治まらない感情を引きずるよりも何処かで生きているのならば、生まれかわったとして陰ながらの声援を、この世に生がないのならば、しめやかに冥福を祈るのが残された者の分別ではないか、、、 とまあ一応筋が通ったようなことを淡々と述べるのでありますが、理屈はどうあれどうにもその口ぶりに冷ややかなものを、そしてまるで他人ごとを喋る時みたいな妙に落ち着いたその目も私にはしっくりとこないのでありました。 振返れば子供時分より兄弟仲は決して良いとは云い難く、私どもは当時家業としまして、食料雑貨類など販売配達する万屋、今で云うところのスーパーの草分けような業種でしょうか、を営んでおりましてあの頃は比較的大きな店舗で品揃えも抱負な構えが重宝され大繁盛、亡き父母に私ら夫婦共々従業員を従えながら早朝から夜遅くまで休む間もなく働き通しでありました。そのような環境下では如何せん息子二人に細やかな目配りもままならず、恥ずかしながら食事に到るまで子供らの手になる状態で炊飯器の中から勝手に飯を盛って、たくあんを刻んでまぶして食べておるようでした。後年、星次はさておき梅男が結婚生活にありました頃、新婚の嫁に対しておかずが一品足りないなどとぼやいていると聞かされた時にはやはり反動でしょうか、子供の折の欲求が噴出しているのかと何とも喉のあたりがむず痒い気持になりました。離婚後も外食を好みいわゆる美食家ですか、旬の食材、季節の一品を少量頂くと云った通好みの風情さえ漂わせておりました。 さてその兄弟でありますが、いつぞや小学の低学年だったのでしょうか一本のジュースを巡って取っ組合いの喧嘩を始めている姿を見つけまして、何が原因かと訊くとプラッシーの奪い合いになったと言うのです。店内の品物には一切、手をつけてはならぬと厳命してありましたので、他所の珍しい飲み物が余程輝いていたのでしょうか。大人の私から見ればたかがジュースと思われますが、あの年頃の清涼飲料水にかける貪欲さは、あたかも戦時中の食糧難を彷彿とさせるものがありまして、以来プラッシーという近所の自販機で売られてたその名を今でも時折思い出したりするのでございます。しかしその時は兄弟二人の間に目に見えない溝が深く横たわっていることを知る由もないのでありました。」 |
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