晩夏


淀んだ空気に我慢ならないとは思いながらも腰を上げず、息苦しさに辟易する寸前までその場に居座るのは、確かに悪癖に違いないが、如何なる心性でそんな際まで苦を知りつつ野放しでいようとするのか。
一方的に喋り続ける自分の声が、すでに意識されていない心の片隅の方から沸き上がって来るのを覚えた麻菜は、相変わらず面に大した情動を見せない鈴子に対して、焦燥にも似た手応えのなさを感じ、すでに勢いだけに駆られたまま成す術と云ったら、後は素早くすり替わってゆく意識を疑わないことだけだった。
それは鈴子のあまりに純情の素振りにどう対処していいのか、見失った結果にもとれようが、内実は寡黙であることを幸いに自身の高まりをそこに上塗りしようとする、声なき声の無遠慮な色揚げであった。
いつしか麻菜は親近の間合い故、見えない深淵に沈潜して行ったのである。これが同一化現象であるとすれば、きっと鈴子の裡にある普遍の恐れが、自分にも底深い箇所で大きく横たわっているはず、、、それを知るには彼女のすべてが必要になる、、、本当の淀みとは何処にあるのだろう、、、沈殿してみればよいのだ、、、そうすればきっと我が身を傷つけずに、上澄みである最上級の清水をすくい出すことが可能になると思うから、、、
意識のすり替えとは、麻菜自身が語り尽くすことで鈴子により深く接近すると云う技巧であった。無論そこには親和の情も形骸も存在しない、あるのはお互いの裸を見つめ合っている、鏡のような無機質な現実だけである。
奇妙にも鈴子からしてみても、それは望むところであった。行く手を遮る濃い霧が晴れれば、麻菜親子をして既視感かと密かに期待させたあの不透明な、視線の先に収斂する中核を窺い知ることになる。しかし皮肉にもそう云った二人の願いは、決して相手の裡に伝わることがなかった。例え懇切にそれを示したとしても、言葉巧みに了解を求めたとしても、恐らく変わりはなかったであろう。何故なら、了承をもって並列な配置を直列に組み替えてみても、何ら根本の解決とはならない、真のパラレルを飛び越えることは不可能だからである。越えた瞬間にはすでに次のハードルが待っているように、或は同じハードルを永遠に飛び続ける夢に希望がないように。
我々は愛する、円環が僅かの差異に見せる偉大さを。
「鈴子さんの想いが何処にあってこれから何処に行こうとしてるのか、それは知らないわ、でも、それが純真無垢なものなのか私にはわからない、無償の価値がまるでわからないように。知っているのは、あなたにもたどり着けないとこだってことよ。鈴子さんの黙秘権みたいな意志が透き通るように美しいのなら、何もかも透かしてしまって、反対に肝心なとこまで見失ってしまうんじゃないかって、そう思うのよ。ごめんなさい、別に批判してるんじゃないの、純度の高い鉱石が不純物に包まれていて、いつか発見され磨かれるというようなおとぎ話、信じたくないから、、、私はすでに完成された宝石が欲しいのよ、、、と言っても誰かに買ってもらいたいとかじゃなくて、今ここにある身にまわりにある内に輝きを見いだしたいわけ、宝石は例えよ、鈴子さん、私の一番の輝きが何だかわかるかしら、、、」
鈴子はすぐにその答えを思い浮かべた、だが、声に出さずに代わりに独語で胸にそっと収めた「本当の輝きは影の中にある」
「そうよ、あなたもよく知ってる私のひとり娘よ、すべてが娘の夏耶に投げ出されているの、いいえ、私がすべてを受け取っているのよ、絶対的な愛情も、生き甲斐も、全部ね。自分の分身とは思わない、逆転だわ、私が夏耶の分身なの、これって変かなあ、まるで子供におんぶしてもらってるようで、、、ある意味、依存してるかも知れないわ、自分勝手に聞こえるでしょうね、でも輝きは輝きよ、私ひとりでもだめ、夏耶ひとりでもだめ、二人で一人なの、都合のよい解釈でしょ、でも存在価値なんて人に決めてもらうものじゃないと思う、、、」
これくらい分かりやすい説明はなかった。鈴子はまさに灯台下暗しである自分を再確認することになった。そして新たな深部が顔を覗かせた、と云うのも濃霧の向こう側は、やはり影絵で描かれており、その筆致はいつもに増してきめ細やかな饒舌だったからである。