晩夏10 麻菜の価値観を聞くに及んで、随所に同意するところがあったものの、子煩悩なシングルマザーの典型から大いに様相を違える程のことはないと鈴子には思われた。麻菜さんが実像を愛娘の裡に見いだすのであれば、自分が影の中に王子様の幻を見つめ続けた、否、見極めをつけた、超現実主義も同様に痙攣的な逆転過保護ではないだろうか。 鈴子の目に、若さや美貌を後生大事とひたすら延命措置をもって向かう行為が、あまりに涙ぐましい執念にしか映らなかった訳は、その傾斜される情熱の僅かも実際には充たされておらず、尚かつ、そんな肉体上とは云えあくまで物質的な崇拝にしかよりどころを探しあぐねない、人々に対する本質への疑問にあった。 私なら精神の腐敗を阻止する、、、身体が成育し、やがては衰退して行くのを嘆き抵抗を試みるのは、時間に直接逆らうことでしかない、、、でも精神は時間を超越出来る、そして停止することも出来るはず、、、私は凍結した、どれくらいの火焔かは他と比べようもないけど、少しも損傷を与えず燃え盛るままの姿を写真のように停止して、凍らせ焼つけた、、、まるで瞬間冷凍の鮮度で、、、 今、時を経て封印と呼ばれた鈴子の魔術が、少しづつ効力を現し始めていた、解凍されるあの精神として。 中学三年生だったある夜、そう、木梨銀路の面影がどうしても頭から離れず、次第に懊悩へと移行していった眠れぬ夏の夜のことだった。初潮をみてから先、正確な日付を乱すことなく続いていた月経に変調が現われ、ここ数日の間何とも形容しがたい心持ちにあった鈴子を、性夢と呼ばれる未知なる外套が突如として覆うように襲って行った。 顔かたちは夢見の中では、黒子のように包まれていたのだが、その正体が銀路であると云う確信は微動だに出来ないほど明らかだった。鈴子は少しの疑念なくそう判断した。そして、想いはあたかも前世からの約束ごとであったかのように、大きな刻印となって胸裡に力強く形作られたのである。 銀路の生霊はそれから毎夜のように忍びよって、鈴子に中に閉鎖された陶酔と、開放された苦悶とを一緒に産み落していった。夜ごとの夢枕は、蒸し暑さのみならず、悩まし気な発汗を寝床の上に染み込ませた。 そんな夢うつつの幻影に容赦ない照明が切り裂くようにあてられたのは、鈴子の部屋から夜更けに小さく漏れてくる煩悶のような吐息を不審に感じた、両親の仕業であった。まだ目覚めを知らない鈴子の上が、いきなり明るくなったかと思うと、頓狂な声が室内に行き渡る。それでも朦朧とした闇夜に抱かれるままの体感をすべて失っていたわけでなく、続いて発せられた母親のあられもない怒声によって漸く、我が身のあるまじき姿態を認めたのだった。 寝苦しさにかまけて知らずのうちに曝したわけでない、一目瞭然な半裸が煌々とした蛍光灯の下へ、不測の事態として鮮やかに映しだされたのである。鈴子が呆然と見遣る両親の表情は、スローモーションに崩れるようにして、驚愕から憤怒へ、それから悲嘆へと情動の推移を克明にしてゆく。見るも無惨なと言いた気な二人の目つきに、自らその焦点をたどって行くと、信じがたくも下着を脱ぎ捨てた剥き出しの下腹部が、痛々しいまで露にされている。すべては生々しく甦る。鈴子は自慰の最中に覚醒を余儀なくされた、恥辱に染め抜かれる悲運の少女となった。そして同時に、閃光によって目くらましされた赤心の盲目に徹することにより、極めて微妙な軽業から偉大なる詐術へと転じ、すべてをパンドラの箱へと封じ込め、別世界の薄幸を装ったのである。そうなると後は影法師を見つめて日々を過ごす以外、然したる妙案もなかったが、天啓は不意にごく当たり前の意匠で鈴子を訪れた。 悲劇を演じれば、それで済むではないか、、、淡い恋慕にせよ、根拠ない妄誕にせよ、仮にも銀路の囚人を自覚していた以上、そこから逃れる経路に思いを馳せるよりかは、召人になりきってしまえば、そこが終着の住処となる、、、そして今度は、獄中から銀路を籠絡すれば、すべての帳尻が合うではないか、、、恋を貫く為に我が身を犠牲にする神髄はそこに見いだされた。だが、額面通りに安易に解釈してはならない、すでに鈴子の恋は恋でなくなっていた。愛が憎しみに入れ替わるように、あの恋心は復讐の手段へと変貌を遂げていたのであった。 |
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