晩夏5 桜の花がほんの僅かの間に散りゆき、生暖かい春風が突風となって吹き荒れる。四季の移ろいと共に我が子も成長しているのかと、上戸麻菜はいつになく、娘の顔をまじまじと見つめていた。その面に寒暖の変化を読みとろうとして。 季節の推移が子供の成長に顕著になるのであれば、大人たちの容貌に現われる年輪のような皺や、光度が低下しながら鈍い明るさを放つ双の眼球、豊作祈願が今となっては虚しさを物語る頭髪の繁茂、そして暗幕で覆われたかの色艶を無くした肌のくすみらは、成熟と云う老化へと滑降する終盤なのだろうか。生の終焉が一般に冬季として形容されるのなら、まるで自然死か老衰ではないか。我々は知っている、あの真夏の鮮烈な死の数々を、、、 店に新たな客が現われた。娘の顔から目線をその方へと移すと、小高鈴子が消え入りそうな姿態でこちらを窺っている。「あら、鈴子さん、今日は早いのね」ここしばらく前から、頻繁にグリムに立ち寄るようになった彼女に対し、一番最初に声をかけたのが麻菜であった。と云っても、名前と勤務先くらいしか相手のことは知らないし、非常に無口な上、人に踏み込まれたくない領域が相当に広く感じられる、だが麻菜はその辺りを的確に見抜いていた。尤も親友でもあるまいし、今時の交友は浅く溺れずが主流であるが。 奥まった席にひっそりと腰を下ろし、静かに読書している鈴子に格別の興味があったわけではない、ただ、自分同様、いつも一人で現われては、物音ひとつ立てない居住まいでこの空間に溶け込んでいる、そんな可憐な草花を思わせる古風な情趣が、麻菜には新鮮に映ったのだった。しかし、真相は逆であることを鈴子本人はすでに自覚していた、『いいえ麻菜さん、私が最初にあなたと娘さんの姿を見かけた時の情動は、今ではよく理解出来るつもり、、、』心の中でそう呟くことも能わず、生来の無反応に限りなく近い影絵の饒舌は、より徹底した対人関係を独自の表現で培おうとしたのである。それは千打金融に努める以前では考えられない、高尚で建設的な向上心を秘めた寡黙であった。 果たして、面接を経て採用が決まってから、どのような変化が鈴子に中で起こったのだろうか。結論から言えば、覆われた陰翳はかき消されたのではなかった、自ら大きな闇の中に身を潜めようと目論んだのであり、その思惑もが実は泰然として不動の信奉に裏打ちされていたとしたら、何と鮮やかな演技による脱皮であろう。こう云うことであった、光が照射するからこそ暗部が形成される事実を、鈴子は決して今まで前面肯定してこなかった。しかし、あまりに強大で圧倒的な光源の前では、闇さえも漂白されるように白々と輝きだすのではと期待と不安が交差し始める、、、ところが現実はそうではなかった。より燦然とした明徴は大いにそれに比例して対象を際立たせる。つまりは一層、鈴子は鈴子として本来の実相を見据えたと云える、銀路を通して。 この場合、炎上するが如く猛烈な恋情に何もかもが呑み込まれたのでない、順序を逆さまにしてみればよくわかるはずだ、、、種火が予め容易されていた、、、何処に、、、鈴子の精神に、、、そして、待ち続けた、慎重に焦らずに絶対の本命との出会いまで、、、種火を絶やさず、静かに音も立てないくらいに、そう、耳を澄ます為には言葉はいらない、言葉は虚に染まる、しかも虚そのものの深意は鵺の如くつかみどころがない、、、それまでは、小さな炎を見つめていればいい、ゆらめいて陰翳が落されるなら、それが自分自身の姿であるはず、、、 これが鈴子の信念だった。そう信じることで帆柱を立てたつもりだが、帆に大きく風を孕ませないことには出航は不可能であった。だが、それでも待っていたのは、誇大妄想的な願望でも非現実的な逃走でもなく、一途に未来を思い描く信奉に依ってである。すでに鈴子は恋をしていた、中学生の時、同じクラスの子に見せてもらった銀路の写真を目にしてから、、、初恋は実らぬ片思いになるところを、全霊を賭けて奇跡で意中に収めてしまった。 さて、すべてがかつての影絵と同じく完結してしているのだろうか。あの日の午後、面接に向かった鈴子は前日みたいに動揺に慌てることなく、銀路と向かい合えた。憧れのすべてが目の前にいる。写真で見知った当時の面影は、僅かしら見いだせないが、それでも幸せだった。恋は盲目と云う、とすれば、光を否認し続けてきた鈴子は盲目者となる、我々はこう言い治さなければならない、盲目こそが至上の恋であると。 |
||||||
|
||||||