晩夏


この町の気候にしては厳しかったと家族の者らもしきりに口に出すほど冷えこんだ冬が、直線路を走り去る車の影のように確実に遠ざかると、曇り空の色合いも少しずつ明るみを含み始めたのか、冷え冷えとした蒼空は春先への期待に促されて、再生する季節を大らかに彩色して行った。やがて天空からは様々な感情で、はち切れそうになった涙の滴が次第に滂沱として溢れ落ちてくる。
小高鈴子は雨の日にあまり外出したことはなかったが、桜が咲きかける頃になると、梅雨時を思わせる長雨に倦怠みたいなものを覚えて、傘をさして町に出てみることにした。前に通り抜けた商店街を駅前の入り口から進んで行きながら、ほぼ半ば通過した時に突然妙な感覚にとらわれて、それがあたかも既視感であることを再確認する為に今一度、視線のたどる先へと冷静な意識で向き合ってみた。いつか見たあの自転車の親子が雨合羽の姿で、同じくあの場所に存在している。季節は巡ったはずであったが、その先の光景は明らかに凍結されたフィルムであり、固定された感銘であった。雨合羽の着装さえ剥奪してしまえば、小雨に煙る中に映るまぼろしと成り得た。
鈴子はこの瞬間、はっと目が醒めたような衝撃に襲われた。月日の流れも四季の推移も、何の影響も自分に与えてはいなかった、、、そう時間は何もしてくれなかった、、、癒すことも変化を現すことも、、、
気がつくと放心のまま、自転車から離れて店舗らしき建物へ入ろうとしている親子に近づいていた。扉の内に消えてゆく姿を追った眼差しは、間もなくその場が喫茶店であることを悟らせた。店構えによく目を凝らせば、外壁の半分近くがガラス張りになっていて中の様子が窺える。そこまで意識を保ちながらも、木材を張り合わせた扉に手をかけて吸い込まれるように店内へと歩を忍ばせたのは、何者が為せる術であったのか鈴子にも解明出来なかった。
強いて答えるとすれば、それは小さな奇跡と呼んでみても大仰でないだろう。しかし奇跡と云う語感に惑わされてはいけない。何故なら決してそれは歓びだけを示している訳ではないからである。我々は知っている、修羅や煉獄も宿命の彼方にあると云うことを、、、そして、運命を奇跡と履き違える悲劇を、、、更には悲劇を繰り返そうと意志する神々の放埒を、、、すべてが誤謬であると云う真実を、、、

あの親子は店内の左に置かれたテーブル席に座していた。雨具を脱いで晴れ晴れしい表情になった幼子を見つめる若い母親の微笑も、同じく晴れ間の爽快さに満ちている。
反対方向の席に着いた鈴子は、注文を取りに来た店主らしき者の声でようやく、まぼろしの国から開放されて気丈を取り戻し、おもむろに店内を見遣った。
カウンターには二人の男性客が、互いに先生と呼称しあう場面が見てとれた。さほど大きな声で会話していたのでないが、「杉山先生」「椎茸先生」と呼び合う音だけが、不思議と明瞭に耳に響く。どうやらビールを飲んでいる様子、時刻を確認すると四時前だった。それにしても、あれほど気に掛かった自転車の親子に対する思いが、呆気ないくらいに霧散して行ったのは一体どうした理由なんだろうか、、、この店に入ってまだ僅かな時間しか経過してないが、内装やら調度を眺めるあの何気ない気分同様、平常な光景として双眸に収まってしまう。つい先程まで瑞々しく時めき既視感さえもたらした、わだかまりの正体は忽然として消滅してしまい、代わりに或る思念が大きく高まり出したのである。
鈴子は天啓を授けられたと判じてみた。それは、劇的な要素が濃密なあの契約を意味した、即ち幻惑によりここに導かれたのだと、、、とすればその意味とやらを解明してみなくてはいけない、、、それほど晦渋な問題ではなかった、今すぐにでも容易に言葉にすることが可能な際まですでに到達している、、、つまりこう云う事、、、この状況、そう私がこの店を後にするまでの時間内、そこで何かが始まるのだわ、、、その為に今日があるのよ。鈴子の弧影は健在であった、ならば本来の影が劇場を作り出したと云えよう。触発されたのではない、自らが裏技を駆使して異相と見せかけ、実は健全なる飛躍を試したのである。まるで就職先を求める意欲が秘められたかの建設的思索をもって。
あまりに強烈な思い込みは、時空を超越して本来の思惟さえねじ曲げてしまう、鏡を凝視するあまりにそのひとがたが勝手に向こうの世界で動きだすように。
鈴子の念は磁場を持ち得たのだろうか。寡黙であったが故に交友の輪を広げられなかったが、反面、然したる葛藤を生じる気配も露にしなかった。自己の陰翳に実相を見い出す、、、これが今までの処世訓であり紛れもない本性であり続ける、、、あの男に出会うまでは、、、
このグリムという店が果たして、どんな価値を内包してゆくのか、その時に鈴子にはまだ不明であった。ただ、饒舌な影絵がひたすらに想念の綾を織り上げていた。