晩夏13


杉山周三の眼鏡は時折、生き物を思わせる絶妙の動きを現した。内心の戸惑いや思いがけない驚きに対し、有能な相方が見せる息の合った動作を持って、表情全体の形成に一役も二役も買って出るのだ。微妙にずれ落ちる眼鏡を掛け直す際の仕草として、考え直すような、気分を一新させるような、見る者をして気にも留めないくらいの素早さで、居住まいを変貌させる、しかもその小さな所作自体を周三が意識しているのかどうかは不明であった。
が、その閑話休題を地で行く身体言語は、時として効果的に活用される。
麻菜との、分別ある落ち着きで昂ることなくも、随分と熱心に交される会話の中で、三島加也子、山下昇、森田梅男らの名前が飛び出す度に、周三は例の小技を露にすることとなった。
「貞子の休日ですね、僕も観ました。何とも言えない映画でしたけど、居酒屋の階段で撃ち殺される役の女の人だったかと、、、三島さんって。いやね、あの後どこかで見た顔だなって思ってたら、このグリムで以前、見かけたような気がするです。そうじゃない店長」
カウンターの向こうに佇む店主にそう問いかけてみたが、返答は至って淡白であり、しかもその目元には沈痛の色が濃厚に滲み出している。早くも察しの鋭い周三の眼鏡が名演技を見せると、間を置かずに他の話題に急転化させ、森田梅男とは赤いバーで話したこともあった、山下昇とも何度か席を並べたことがあると穏やかだが、どこか意味あり気に語りだした。そんな周三の話を聞きつつ麻菜は、地元で撮影され話題になっていた彼らの出演した映画を観てはないが、三島加也子の名はこの町に帰ってくる以前、知人や親戚から聞かされてよく覚えているのを再確認した。
「麻菜ちゃんにそっくりな人、映画の脇役だけど出てるよ、知ってる」「ほんと他人の空似って言うけど、あんたを少しばかり若くした感じなのよ」
そう複数の人達から何度も同じことを言われるに及んで、麻菜は極めて複雑な気持にとらわれたのだった。それがどのような感情に被われているのか、判然としないままにしておいたのは、当時の結婚生活が彩る綾の延長に紡ぎだされる文様を回避させる為、更に穿てば考え過ぎかも知れないが、写し鏡などには近寄りたくもない、そんなふうにどこかで自己嫌悪の表徴となりうる面を拒んでいたからであろうか。その時はまだ鏡像そのものにも対峙しようとしなかった。
人には性癖がある。もう一人の自分、分身して別世界に生きる自分、、、どう映るかと云うものひとつの見解であり、各人の希望と絶望がもたらす傾向でもある。自己像に自信を喪失したり、行き詰まりを痛感すれば、写し絵であったとしてもその疑似画は少なくとも幾つかの側面をなぞって行く。しかし、どうなぞるかは、それぞれの性癖とその都度の情況で様々な差異が生じるだろう。
当時の麻菜の心境は、複雑なままであった。近似形のどこか一面に愛着を見いだせば、その面は決して自分を裏切ったりはしない、ただし、あまりに偏狭な執着や狭隘な耽溺は何れ自己愛から遠ざかる。
麻菜はさすがに離婚までの片鱗を話したりはしなかったが、相手が周三でなく鈴子であればいつか必ず、そんなことも包み隠さず聞いてもらえるだろうと、切ない思いがふっと過っていった。
それから、周三はビールを何本か飲み干し、やや酔いがまわったらしく、公園の惨劇をめぐる噂の根拠や、政治的弾圧がこれだけ顕著な理由を、学者気質の細やかな分析を交えながら滔々とまくし立てると、終いには感極まったのか、怒りとも哀しみともつかない、彼にしては以外な感情の発露を見せた。
「マグロはね、泳ぎ続けなければ、止まると窒息して死んでしまうんです。回遊魚に限らない、人間にもそんな人がいると思うんだ。僕なんかいつも立ち止まってしまうんで、過激な意志とかね、、、生態もそうさ、、、蜘蛛だって巣を貼ってばかりじゃない、、、」
麻菜と周三は明らかに、牽制までとはいかないが、お互いの話題が婉曲に間延びしている事実を認めざるを得なかった。紛れもない、鈴子の行方についての現実的な会話に関してである。
一方は終業時間までに明朗な回答を求める幻想で、、、一方は蜘蛛の糸が縺れぬよう、乱れぬよう、予め酔眼を持つことで緊張を緩和する構想で、、、