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内憂外患

2005年1月

塾のいたるところに点在していた正月気分とやら、大晦日に大学生が差し入れてくれたおでん鍋、大晦日の賞味期限がプリントされたパンの山など、いつしか姿を消してしまった。たぶん塾に巣食っているとかいう小人達がどこへやら引き上げていったんだろう。
9日も深夜となり、森下が京都に戻る算段、ノートパソコンやら書籍やらを撤収している間際になって、俺は冬眠から目覚めた熊のように腰をあげる。森下を拝み倒しておねだり一閃、橋本ドクターの結婚式でのスナップをHPのトップに貼り付けてもらった。

今日は3学期の始業式、1月11日。センター試験まであと4日だ。これからの4日間、この内憂外患からリアルタイムに情報を発信していくつもり。(11日19:20)

今日は火曜日、となると古西の英語の授業がある。高2の教室には愛(津高2年)と千尋(松阪理数2年)がいる。暖房が壊れてしまった寒いなかで2台のファンヒーターが可動している。これがいつしか暖房が効いている中学生の部屋よりも暖かくなっている。
去年の古西の最後の授業は少々固いお話し、つまりは大学受験まであと1年しかないんやぞ!という類。それから優しい古西は俺の車の鍵を奪って高2を連れてボーリングへ。果たして2005年度の一発目の今日の授業はどうなることやら。(11日19:45)

アキラが去年の3月に続いて再びウチの塾に密航してきたのは去年の12月初旬。去年の密航では公務員試験を受けるにあたり、受験生の荒ぶる魂を今一度我が腕に抱き締めんがため。そして今回の密航は、再び大学を受けなおさんがため。
目指すは慶應大学の湘南学舎、総合政策とかいう帰国子女御用達の学部。これには大学生全員が首をひねる。現在関西大学の4年生、それならば院に進学すればいいとなる。これに対してアキラからは明確な回答はない。しかし大学紛争の残り火が至る所に残る大学で、浪人留年なんでもあり、上下関係が年齢では到底測れぬ環境で青春時代を過ごした親父さんは快諾する。「俺は金の無心には厳しいけど、時間の無心には甘いからな」とのコメント。
当初はターゲット1500クラスでアップアップの状態だったアキラだが、持ち前の生真面目さを武器に徐々に劣勢を挽回。年末の段階では1900までほぼ仕上がり、あとは帰国子女と対マン張れるだけのスピードが課題となった。
そのアキラ、神奈川の友人宅に転がり込み直前講習を受けることになり8日に出発。去年の小論文の問題と答案を残して・・・。
この友人というのがアキラの高校時代のダチで、2年浪人して慶應の総合政策に合格したという。つまり当初の公務員志望から一転、大学を受けなおすというウルトラCの仕掛け人でもある。去年の11月下旬に大阪で会い、友人が語る大学性格の日々がアキラの心の襞を震わせたようだ。

ところがアキラ、翌9日に帰ってくると思いきや今日に至るまで姿なし。成人式もとっくに済ました22歳の家出人捜索も出すわけにはいかず親父に連絡。あげくアキラから俺の携帯に「引き続き講習を受けることになったんですが・・・」 ここらへんの配慮のなさ、一般企業には向かへんよな。(11日20:30)

成人式をいえば、久居の成人式は9日の午前、そして津が午後に挙行された。前夜は大西君にベッドを譲って久しぶりに帰宅していた俺の携帯が鳴る。成人式に出席した連中が塾にやって来たとか。大慌てで駆けつけた俺に、馬子にも衣装、綺麗に着飾った花衣とあすかと佳子。それら麗人に従う下郎風情は健太。
不運なことに大西君と森下は昼食で外に出ている。できれば大西君に、かつて現代文で泣かされた面々の晴れ姿を見せてやりたかったね。
恒例の塾の前での記念写真。れいが慣れない手つきでシャッターを押す。どうかうまく映っていますように・・・。

津の成人式の面々の姿はなし、これには少し残念。古市は暮れに挨拶に来たし、佑輔は古い塾で教えていた。この二人以外、橋本や大輔、允は元気なんかいな。
深夜まで何をするでもなく、時間を噛み潰すように残っていた甚ちゃんと森下もどこかで酔っ払いの乱入を期待していたのかもしれぬ。(11日20:50)

この時刻になっても古西の姿なし。今日は休講かと思いきや、授業5分前に登場。「ああ!今日から大学が始まった! えらいわい!えらいわい!」とつぶやきながら河合塾の今年度のパック問題をコピーし始める。コピーしている彩加(中3)が古西に言う。「先輩がお守り買ってきたからアカンのやに」
友美(皇學館4年)が来年の教職試験合格祈願で京都の北野天神に詣でたのが7日、エスコートしたのがやたら女の子には優しい古西。その二人、ウチの中3と高3の受験生にもお札を買ってきてくれた。そのお札、当然二つあったのだが、恐れを知らぬ中3が二つとも新しい塾の壁に貼り付けてしまった。ところがその一つが・・・剥がれて落ちた。中3の彩加はそれを古西のせいにしているわけだ。「なんで!なんで!なんで買ってきた俺が怒られるわけ!」

午後9時、定刻通り古西の授業が始まる。(11日21:10)

高2が試験に取りくんでいる間、古西は再びコピー機にへばりつく。「大学のダチから借りてきたノートをコピーせんとな、試験も近いしな」 名古屋大学の後期試験は2月から始まる。

1階の高1数学の担当、古市(三重大学教育学部4年)が姿を見せる。なんと今夜のメニューは2003年度のセンター試験! 「平均点を調べにきたんやけど」「2003年か・・・村瀬らの時か?」と俺。「ちゃうちゃう、あれは2002年や。2003年は佑輔や大輔の時や」 つまりは今年成人式を迎えた面々のセンター試験。「となると高1に数列も教えたんか?」と俺。「漸化式はまだやけど、群数列までは去年に終わっているから」 果たしてどんな結果が出てくることやら・・・。(11日22:00)

ふと気付けば征希が俺のベッドで眠っている。さっき伊勢のツアー(治療のツアー)から帰ってきたと思ったらこの按配。

古西が高2にさせているのは市販されている河合塾の今年度センターの予想問題。ちなみに数日前に津高が高3相手に実施したのと同じ試験。私立高校ならともかく、最近では公立高校でもセンター試験のシュミレーションをするようになった。センター試験の時間に合わせて二日間に渡っての試験。熱心やね。

センターの一日目の1限目は英語、この後が地歴。この段階で私立文系の生徒の趨勢が決定しちまう。今年のウチの生徒でなら隼人(三重6年生)と小林(久居)の二人だ。その後が理科の3教科、物理・化学・生物と続くから、生物を選択する国公立文系は昼休みを挟んで地歴のあと4時間ほどのブランクがある。この4時間をどうしのぐか。文系ではないにしても亜矢歌(松阪)と杉澤(三重B)の正念場となる。
その亜矢歌と杉澤と隼人のセンター試験会場は松阪大学。それ以外の連中は三重大学。隼人は日本史の試験終了後に高校へ直行、すぐに採点が始まるとのこと。さすが三重高、生徒の感情を一切斟酌しない鉄面皮。問題は残される亜矢歌と杉澤。杉澤はともかく、決してプレッシャーに強いとはいえない亜矢歌の性格・・・やはり俺が松阪会場へ行くべきか。

今週の金曜日に塾対象の教材展示会が開かれる。行きたいものの金髪の髪の毛を揶揄されるのも恥ずかしいものがあるし、金曜日といえばセンター試験の前日である。なかなか辛いよな。

明日は各中学で冬休み明けの試験が実施される。いつもの中3にすりゃどんな範囲であろうとも「かかって来なさい!」と見得を切れるはずが、こと今年の中3に限ってはリングシューズすら履けていない状態。試験の範囲を眺めながらの勉強、悲しくなる。
いつもなら私立受験後に控える開明学院さんとのお手合わせも、今年は恥をしのんで不参加となった。全面降伏である。今のままじゃ勝負にならない。その意味じゃ、教材展示会で永橋会長の顔を拝むのも忍びないよな。(11日23:10)

古市が姿を見せて俺に一枚の紙を手渡す。試験の結果だろう。じゅうぶんに親バカの俺の指先が震えている。
れい(高田U類1年)がトップ・・・60点。2003年度センター試験1Aの全国平均点は61.7点。俺は古市に言う、「れいは後2年間で平均点との差、1.17点をつめることができるかな」 これには古市爆笑、「さあ、どうでしょうね。でも、42点取った陵(津高1年)がショックみたいよ。私もこんな点数の陵は初めて見たわ。いつもならセンターの二次関数は満点なのにね」(11日23:25)

11時30分、愛がコピー機にへばりつく。「試験終わったんか」と俺。「はい」「で、アンタは何点やった」「184点です」 古西はタバコを吸いながらくつろいでいる。悔しそうな顔の龍神、「発音さえなけりゃな」とぶつぶつ。ホワイトボードには全員の成績が書かれている。龍神は162点、千尋が140点、岡(三重6年制)が134点、ゆかり(津高)が120点、そして沙耶加が63点。荒井(津高)と由子(津東)と最近心境著しい千紗(津東)は欠席。

高2は毎年恒例、古い塾への引越しを賭けて俺とマンツーマンで英単語の試験を繰り返している。冬休み明けの試験もあり、まだまだ全員の足並みは揃っていない。しかし愛と龍神だけは毎日のように俺に試験を臨んでくる。入試まで1年を残しての龍神と愛の点数、龍神の国公立歯学部、愛の東京大学の予定に一点の曇りなし。
結局はいろんな都合を並べ立てようとも、暮からこのかた毎日のように繰り返した英語の試験に費やしてきた時間が全てを物語っている。(11日23:50)

古市がなぜか、大皿のピザを持って入場。「征希さん、持ってきたわよ」 その声にベッドから征希が起き上がる。「すまんな、なんか無理強いしたみたいで」「いったい何事や」と俺。「先生、征希さんの誕生日やん」「あ! 忘れてた、今日やったか」「昨日よ昨日」「そりゃすまんかった」 征希はさっそく古市が作ってきたピザをオーブントースターで焼き始める。(12日0:15)

最近瀕死の呈のウチのBBSに新年一発目!邦博からの書き込みが届く。
邦博な、アンタの時の俺の髪の毛よりの短くなったわい。それに髪の毛の色も1階の美容室のマッツンがカナダから取り寄せたといういわくつきの脱色剤でアンタん時よりビートたけしや。えらいこっちゃで。それにアンタん時は乾杯の音頭やったけど、橋本ドクターの時は婚姻届の後見人としてのサインや。メチャクチャやな。こんな俺がかかわってくれた人達には本当に幸せになって欲しい。
邦博、奥さんを大切にせな許さへんよ。それにな、年賀状くれてアリガト。今年も今年で誰にも書いてへんねん。奥さんに謝っといてや。それにな、第二弾や、弟のアキちゃんに連絡したいんやけどな。ウチの今年の大学4年生、アキちゃんの会社の話が聞きたいんやって。これプライオリティで頼んます。(12日0:25)

古市手作りのケーキが征希の手で居残っている中3にも振舞われる。これもまた古市の手作り。あのキッツイ口調さえ治ればいい奥さんになるやろけどね。「これは舞(古市)、お返しせなアカンな」「いつでも、プレゼントなら年中無休よ」「なんやオマエ、キャパクラ嬢みたいな口をきくな」とは征希。
腹ごしらえが終わった征希と古西、今日もまた将棋が始まる。
時刻はいつのまにかセンター3日前・・・。(12日0:45)

午後1時25分、長い長い将棋が終わる。試合は2回戦にむかうのでもなく手持ち無沙汰の雰囲気、・・・仕方がねえや、「サンマでもしよか」と俺。即座に征希、「言うたな!言うたな!今」「はいはい、私も聞きましたよ」「よし!小僧、さっそく仕事だ!」と征希、そそくさと古西が準備に走り出す。「じゃあ、私は帰るわ。14日の送り出しは古い塾で午後8時ね」と古市。「プレゼントは貴金属がいいな」との征希へのコメントを残し古市退散。熱い熱いサンマが今から始まる。次回更新は午前8時前後となる模様。(12日1:30)

ところが8時までの沈黙は許されず、午前3時43分、松原登場。当然にして自宅まで送っていくのは誰かシリーズとなるのだが、なにしろ今の半荘で牌は倒すは、点棒はばら撒くは、酒はこぼすは、タバコは反対側に火を付けるはの活躍で、征希が松原を送ることになり、古西がコンビニへ買出しにと出向くことに・・・。「先生はパソコンを打っていたらいいから、でも寝たらアカンよ」とのコメントは征希。隣のパソコンの部屋では龍神が一人、誰に聞いても知らぬ存ぜぬの化学を神に訊ねている。

ちなみに途中経過。とりあえずは半荘10回の予定で開局。半荘1回目は北入までしての俺のからがらトップ、2回目は古西があっさりとトップ。なにしろ今夜は征希の誕生日記念だ、1回たりともトップは取らさない。征希の古西の帰還を待ちながら俺は一人、そう心ごちる。

3時55分、二人が戻る。再び牌が虚空が飛び跳ねる。(12日3:45)

どう考えてもな、なんであれで負けるねん。半荘6回和れへんねん。結局やね、征希の勝ちですわ。ほんまに・・・なんで、あれでな・・・。(12日8:40)

午後3時過ぎ、携帯の充電器を塾に忘れたとかで古西登場。「今から名古屋に帰るから。週末にはまた戻ってくるわ」

高2の教室で使用する灯油を買いに奥さんとF1マートへ。寒いよ、エスティマが水に濡れているので「雨が振ったんか」と尋ねると「雪よ、雪」 寝てて分からんかったわ。

征希への負け分7.000円を奥さんから貰い、祝儀袋につめる。
征希の誕生日ネタ、「もうそろそろ誕生日やな、あ〜あ、俺も30歳かい」なんて祝詞、暮れあたりからよく耳にしていた。その都度に誕生日を聞いていたはずなのに・・・昨夜、古市が手作りのピザで登場するまで忘却のかなたやった。すまんことやったな。

征希は去年のメンバー、菊山・直嗣などの理系に漢文を教えた。目標点は80%に設定、ほぼ目標を達成してくれた。今年は高3の亜矢歌と高2の愛という変則ダブルヘッダー、他の高3にはとんと興味を示さなかった。高3のやる気のなさをどこかで感じていたからかもしれぬ。暮れにかけて国語で点数が伸びない松原や慎太郎にとっては漢文のニーズがあ増す。「漢文の授業をしてほしいんですが」と高3に言われる度に「直接、征希に頼んでみろよ」の繰り返し。果たして頼んだのかどうか、結局、征希の今年度の漢文の授業は三重大学医学部看護が本命である亜矢歌と来年東京大学を狙う愛の二次試験記述対策の色合いで終始した。

まったくのボランティア、一切のバイト料を取ることなくウチの塾で好きな漢文を教えてくれている征希にとって、今年の高3はボランティアのしがいがない生徒だったんだろうと思う。(12日18:00)

今年の高3は総勢12名、そのうち香(三重B)と佐藤(三重6年制)が推薦入試で大学を決めている。残る10名が今週末のセンター入試に臨むことになる。

理系の要の物理を教えているのが中塚(三重大学医学部4年)。27歳で医学部に入学した変わり者である。決して熱くはないが、淡々と理論を構築していくプロセスに関しては典型的理系の面々、例えば佑輔や菊山からはしごく評判がいい。今年の面々、真歩・松原・慎太郎の物理を担当、そして途中から良太と田中が参入する。
その中塚、高2に物理を教えに新しい塾にやって来たのが6日。俺は尋ねた、「高3の仕上がりはどうやろな」「・・・うん・・・よくないですね」「このままセンターに突入するとどれくらいの点数を叩けるかな」「・・・なんとか70点くらいは・・・」「やっぱ仕上がらなかった」「ええ、今年の生徒たちは出席率が悪くって・・・今までの3年間の学年では最もよくないかなと」

化学は横田(三重大学医学部6年)が担当。高校3年の2学期暮れになり、医学部進学を決意。その由を担任の先生に告げると「まあ、3浪したら受かるやろ」とのご神託。そのご神託通りに3浪して三重大学に合格する。現役でのセンター得点65%、1浪して80%、2浪してパチンコを覚えて78%、3浪して93%という推移。持論は「心が折れなかったら東京大学や京都大学は無理でも、医学部なら絶対に受かる」 この持論の影響が古い塾のそこらここらに染み付いていくことになるが・・・。
その横田の判断では、「平田君(津東3年)は安心してます。まあ、変な計算ミスさえなければ90点はいくでしょう。亜矢歌ちゃんも90点いけるチャンスあるんですけどね。あとは、田中君はいい時と悪い時の差が激しい。やはり不得意分野をまだ潰していない。あとは・・・分かりませんね」

真歩や松原や慎太郎など、3年前には横綱相撲で津高に合格していった面々の実力の底が読めない。ことに松原や慎太郎が野球部を続けたことから、物理の授業への出席率が低くなる。ならば真歩だけでも授業を進めればいいのだが、真歩にすればウチの塾で苦楽を共にしてきた他の二人に悪いという感情があるのか、結局は物理の授業、今までの復習となり遅々として進まない。何度も中塚には言ってあった、「真歩が一人でもいいから進んで欲しいと言ったら進めてくれ」と。しかしあくまで真歩からの自発的な意志、ある意味で友人達を裏切る行為となるが、その罪の意識も全て含んだうえで究極の自分の目標、大阪大学合格を最優先として我が儘になって欲しかった。そんな我が儘の真歩を見てみたかったのだ。しかし心優しい真歩は全員参加での進攻を選択した。このために物理の授業は迷走する。

クラブをやっていることが、手を抜いていいという理由になっている。これが今年の高3の最大の反省点であったと思う。結局はその遅れを取戻すことができないままに新しい年を迎えることになる。

たった一人でもいい、生き残って欲しかったと切に思う。(12日19:30)

午後7時50分、風邪で昨夜の古西の授業を休んだ千紗(津東2年)が昨日の試験を始める。
千紗は南郊中から内申で津東に進学した。内申は42。天然ボケはきらいはあるが、何事にもほがらかで前向きな姿勢が先生方から愛されたのだろう。しかし実力はなかった。何度も「オマエは実力がないんだから」と言うものの、千紗は俺特有のキツいジョークだと思ってか、なかなか信じようとしない。結局は夏休みに実施された進研模試や全国統一模試の成績を見てがく然とすることになる。内申にあぐらをかいた怠惰な1年間が終わろうとする頃には古西の授業で頻繁に飛び交う文法用語がさっぱり分からない。まさしく英語を聞くような気分で「だからrelated以下は直前の名詞を修飾している後置修飾で・・・」という古西の説明を聞いている。やる気にはなった、しかし実力が他の面々とはかなり乖離している。そんな千紗に易しく英語を教え始めたのが征希だった。
征希は全ての英文を品詞に分解していくことを千紗に命じた。その頃の千紗に目をかけている者は征希だけだった。千紗は従うしかなかった。これが去年の1学期の頃・・・。
そして2学期からは毎日のように同級生の愛に教えを請い、Z会の『速読英単語入門編』の英文解釈を進めていった。そこには同級生に教えてもらうという恥ずかしさはひとかけらも見えなかった。この瞬間に初めて千紗はウチの生徒になった。

千紗は秋の進研模試で津東で学年3位を取った。300番台を這いずり回っていた1年前から比べたら雲泥の差。しかしこの成績には、千紗のやる気を支えた征希や愛の汗がこびりついているのを千紗は忘れてはならない。千紗の志望大学は兄貴が果たそうとして果たせなかった立命館。
果たして進研模試の成績がフロックかどうか、試験が始まった。(12日20:15)

千紗の試験が終了。結果は99点だった。やっぱ英語だ、そう甘くはねえや。でも千紗の表情には気落ちした様子はない。ハイテンションで間違ったところを見直している。昔の打たれ弱かった千紗の姿はどこにもない。

千紗のこの1年間の急成長を語るうえで平田(津東3年)の存在はとてつもなく大きい。

平田はウチの塾の今年の隠し玉だ。
こ奴がウチの塾に密航してきたのは1年前、高校2年の3学期に入った頃だった。津東が教材として使っている英単語帳『データバンク』がボロボロに汚れていたことを鮮明に覚えている。使いこなしている・・・たぶん英語の成績もいいだろう。それ以上に驚いたのは数学の問題処理のセンス、典型的な理系。しかし聞けば文系とのこと、俺はまだまだ面識もそれほどじゃない平田に声を荒げた。「なんで理系に進まなかった」 平田は頭をかきながらすまなさそうにしゃべった。「俺さ、ずっとサッカーしてたもんで、TAとUBに加えてVやらCまで数学するのめんどくさくてさ、それに物理もなんや難しそうだったし・・・」「じゃあ、クラブの都合で自分の人生決めちまったのか」「まあ・・・そんなに大変な選択やと思ってなかったし」「そうか・・・まあ、でも今からじゃ理系は無理だしな」 平田との初遭遇はそんな按配だった。

津東から現役で大阪大学が出たのは3年前のこと、しかしこのボーイ、一志中学時代から良くできて津高も津西もじゅうぶん合格する実力があったという。その意味では差し引いて考えたほうがいい。ナチュラルな津東生を想定した場合、三重大学はともかく、旧帝大クラスの国公立ともなると荷が重すぎた。なんとか津東から神戸大学クラスを・・・を考えていた俺の前に現れたのが平田だった。平田の実力の片鱗を垣間見た俺が志望大学に推したのは名古屋大学・・・俺はさっそく平田をおんぼろエスティマに乗せて名古屋大学の合格発表会場へと繰り出した。露払いは言わずとしれた古西。

合格発表の時刻から1時間ほどが過ぎてはいたが、アメフトクラブのむくつけき軍団に合格した受験生が胴上げされる光景は、平田に予想以上の効果を生んだようだった。一見ヤンチャなアンチャン風の感情の乏しい表情が上気していた。
平田は中2の時にしたケガが癖になり何度も何度も入退院を繰り返していた。そして決定的なケガが高2の夏に、それを機に平田は小学2年の時から全ての情熱を傾けて熱中していたサッカーをやめた。あとに残ったもの・・・高校生やから勉強でもしてみようか、という奇妙な品行方性さが、とりあえずはとZ会の通信添削に応募することになる。そして冬になり、小学生の妹がウチの塾にいたことから密航することに・・・。

それまでの平田の模試の成績表に書かれていた志望大学は三重大学、それが春休みに行われた模試には名古屋大学と書いていた。そしてB判定が点灯。当然のように津東文系順位では学年トップを取っていた。塾を続けるもののアンニュイな生活を送っていた津高の面々にさしたる動揺はないように思えた。「いったい何様のつもりでいやがる。自分達の尻に火が点いているのが分からへんのか」 俺はかつて高校受験に全精力を傾けて努力した姿を重ね合わせては一人ごちていた。危機感がない・・・津高生というヌクヌクした環境が、かつて開明学院の先生方を震え上がらせた面々を堕落させていた。(12日22:55)
今年、久居高校から早稲田大学へ指定校推薦枠が1名できた。2年前、アキちゃんが合格し、翌年アキちゃんの後を追うように1年後輩が1浪後に早稲田に合格。この実績が買われたのではないか。
どんな高校であれ、高校に「格」というものは存在しない。確かに津高はこの地区で有数の進学校ではあるが、だからと言って津高に合格したから誰もが東京大学に合格できるというわけではない。逆に久居高校だからと言って、アキちゃんが志望大学に早稲田を掲げた時に「ウチの高校から早稲田合格者が出るはずがない」というコメントを高校関係者が発するというのも高校の今までの既成概念、すなわち「格」に迎合している。俺はこのような高校の「格」を唾棄するために高校生クラスを作った。高校入試で帳尻さえ合わせておけばそこそこ儲かったはず。しかし、優れた才能を持っているにもかかわらず、津高進学後に環境に安閑として失墜していくかつてのウチの生徒たちに失望、それが全ての始まりだった。
そしてその延長上に、高校の「格」の崩壊、具体的には「久居高校からの早稲田合格」があった。それは久居高校だけでなく、津東も同様。大阪大学合格で沸き立つなかでウチの中井が明治大学を攻略した。結局、中井は将来の就職を見すえてアジア太平洋立命館に進学することになるが、その当時の進学指導担当から「なぜ明治に行かないのか」と反駁される。久居高校関係者とは逆の意味で、これもまた高校ならぬ大学の「格」に踊らされている高校関係者達の姿を浮き彫りにしている。
俺はこのような常識とやらを木っ端微塵に叩き潰してやりたかった。ただそれだけの一心で、やせ我慢をしながら塾をやって来た。(13日0:15)

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