(その3) 中辺路の秀衡桜をたずねて
第一章 桜はまだかいな

朝、飼い犬の鳴き声で目が覚めました。デジタル時計の表示は「4:44」。平成16年4月4日の4時44分です。
外は雨が降ってまだ薄暗い。雨が苦手な犬を犬小屋から軒下につなぎなおし、寝床にもどりましたがひんやりとした外気にあたったので、すぐには寝付けません。前日は、晴天でしたが、諸々の事情で出発できなかったことが少しうらめしく思えました。

昨日のことに思いを巡らす内に布団に残っていたぬくもりで足先が温まって来るといつしか眠ってしまい、次に目が覚めたらもう7:00をまわっていました。雨の降りは先ほどより強くなっています。この日、運転手の約束をしていた夫も雨で気後れがしたのか、辞退してしまいました。

ここ海山町から目的の中辺路まで、150km以上の道のりです。朝食をとり、心細い気持ちに鞭打って、ひとりで車に乗り込みました。新宮への道中は慣れたといいましても、矢の川峠から飛鳥を経て木本までの山越え道は、今も気が抜けません。七里御浜は晴れの日であれば、広大な海原と伸びやかな海岸線に心が開放され、ドライブの楽しさが味わえるのですが、雨の日は、うってかわってどこか寂しげな景色に変わります。

国道168号を新宮から熊野川沿いに北進します。東紀州にはない、スケールの大きな川原が続いて、いけどもいけども果てしない気がします。車でさえ長い道のりなのに、徒歩でやってきた古の熊野詣の者たちにとっては、さぞかし困難で気の遠くなるような道のりであったでしょう。
本宮大社に近づいたことを記す看板があってすぐにに311号線の白浜方面への案内板をみつけました。左に曲がりトンネルをくぐると、そこからは、また緑濃い景色が続きますが、左手には、熊野川と趣の違う細い川が流れています。しばらく走り続けるとトンネルの手前に川に沿った旧道を見つけ、あの道はどこへ続くのかしらと冒険心をそそられましたが、心細さの方が勝って無難な国道を選ぶことにしました。







まだつぼみの固い秀衡桜
野中へ
そのまま311号線をどんどん進み、昼前には野中につくことが出来ました。昼食をとったお店で「とがのき茶屋」へ行く道を尋ねるとすぐ前がその入り口でした。山の方に向かうと、店主の言ったとおり道が急カーブになっていました。一度で曲がりきれず、切り返して曲がるとそこから先は道が細くなって古道らしくなってきました。
近くに駐車場はあるかしら対向車が来たらどうしようかとゆっくり進むと、茶屋らしき建物が見えそばには駐車場がありほっとしました。目的の秀衡桜は、あっけないほど駐車場のすぐそばにありました。


秀衡桜の伝説

秀衡の妻が本宮に参る途中、滝尻でにわかに産気づき、産んだ赤ん坊を熊野権現のお告げにより乳岩という岩屋に残し旅を続けるのですが、この野中に来て赤子のことが気になり、これまでついてきた桜の木の杖を地面に突きさし、「置いてきた赤子が死ぬのならばこの枝も枯れよう。熊野権現のご加護ありてもし命あるならば、桜も枯れないだろう」と祈り旅を続けた。本宮に参った帰り道、野中まで来ると、桜の杖は見事に根づき、花を咲かせていた。秀衡と妻の一行は喜び、滝尻に向かうと赤子は乳岩で、岩から滴り落ちる乳を飲み山の狼に守られて無事に育っていたという。
しかし、この話の中の桜はすでに古木となって枯れ、山桜を変わりに植えたそうですが、その桜も水害で倒れ、その後に植えられた3代目のものだそうです。
里の桜に合わせて訪れてしまったため、まだまだつぼみは固く、太い幹が風格を漂わせ立っているだけでした。



とがのき茶屋の縁側

野中の一方杉がこの石段の両側にそそり立つ
とがのき茶屋
とがのき茶屋に立ち寄りお茶をいただきました。あいにく名物のおかみさんはいませんでしたが、もう一人の方が、目の前に連なる山々にまつわるお話を聞かせて下さいました。また、朝・夕・季節ごとに山の表情が変わる楽しみは、ここに住んだものしか味わえないとしみじみ話して下さいました。お茶をいただく縁側のすぐ前が道です。軽トラックが止まり、土地の者らしき男の人が季節の花や野菜を届けて去っていきました。軒には、大きな鉢に近くの山や畑で取れた季節の花や枝が活けられ、側のかやぶきの建物に似合っていました。奥にはおかみさんが活けたという花がつるかごにセンスよく活けられ、里山の暮らしと風情が感じられました。

部屋には、季節の花が生けられていて女主人の心配りを感じることが出来る。
野中の一方杉と継桜王子
とがの木茶屋の側には、野中の一方杉と呼ばれる推定樹齢千年の杉の巨木が石段を挟んで10本ほど見られます。その名の通り、どの杉も一方向にだけ枝を伸ばしておりました。
石段を登ると継桜王子の社殿が祀られていましたが、想像より小さい社殿だったのに驚きました。前回の旅で訪れた王子社とは比べ物になりません。
野中の岩清水
王子社に参った後、車で下りてくると通り道のわきになにやら祀られているのがみえました。車を近くに止めてたずねるとここが日本名水百選のひとつ野中の岩清水でした。観光客ばかりでなく地元の人がポリタンクを持ってその湧き水を汲みに来ていました。



滝尻王子社
熊野の霊域のはじまり
それから、ぐんぐんと中辺路を南下し、田辺方面から熊野詣に来ると、熊野の霊域の入り口といわれる滝尻王子社に向かいました。その近くの休憩所では語り部さんたちが休んでいて、見ず知らずの私にコーヒーをごちそうしてくれたのです。その上、一人の語り部さんが、雨の中だというのに嫌な顔もせず道案内を買って出て下さいました。
滝尻王子社の裏手の急な石段を登ると「胎内くぐり」の岩がありました。ここをくぐり抜けると生まれ変われると信じられています。この日は雨、くぐるには濡れて汚れる覚悟が必要でした。雨のせいもあってか、どこかおどろおどろした雰囲気に早くその場を去りたい気がしました。

乳岩
乳岩
次に語り部さんが案内して下さったのは乳岩でした。胎内くぐりから少ししか離れていません。
乳岩では、小さな石のお地蔵さんがまつられていました。秀衡とその妻はこの岩屋に生まれたばかりの赤子をおいて熊野詣へ向かったそうです。母は、泣き声を聞いて胸がはりさける思いだったろう、乳が張って痛んだであろうと想像すると、私も子を産み育てた身、乳房に乳がさして、きゅんと張るような感覚がよみがえってきました。
本当なら生まれたての子供をどんな事情があったにせよ置き去りにするのは、残酷なのですが、この伝説がどこか哀れさを誘い、正当化されるのは、まず熊野権現が夢枕に立ちお告げをしたからと言い伝えられていること、子供の無事を祈り桜の枝を地面に刺して願をかけたことが、親としてその子への精一杯の愛情であると納得してしまうからです。その子供が狼に守られ、また岩からしたたり落ちる乳で生きながらえるという、現在では信じがたいことも、古の熊野では、起こっても不思議ではないと思わせる神秘さを今もこの地は持ち合わせています。

後日、私は、「熊野の本地」というお話の中で、天竺(現在のインド)の「摩訶陀国」の善財王が王子と喜見上人とともに紀伊国にたどり着き、まつられたのが熊野権現のはじまりであるという古い言い伝えがあることを知りました。
この王子の母(せんこう妃)は、1000番目に善財王の寵愛を受けたのですが、王子を身ごもったことを知って嫉妬に狂った999人の妃たちのたくらみで王の家来たちに山の谷に連れて行かれ首を切られることになりました。梵天・帝釈天・自分の父母・山の神・山に住むトラや狼に祈りをささげ、王子を産み落とすまで首を切ることを待ってもらったせんこう妃は、臨月に満たないのに玉のような王子を産みましたが、王子に乳を含ませたまま首をはねられました。しかし母の祈りが通じたのか、首を切られた後も乳があふれでて王子はトラや狼に守られながらその乳を飲み3才になるまで育ったと言われています。王子が4才の頃、喜見上人がお告げにより、王子を見つけ出し、善財王に引き合わせました。すべての事情を聞いた善財王は、嘆き悲しんだ後、王子と上人とともに摩訶陀国から姿を消したのです。
(お伽草子より)
秀衡桜にまつわる乳岩の伝説は、この言い伝えをもとに生まれたものではないでしょうか?或いは、熊野権現のご加護で実際にこのような奇跡が起きたのかも知れません。いずれにしても子供を産んですぐに命を落とす母の未練や、旅先などで産んだ子供を、やむなく置き去りにし、後悔や自責の念にとらわれ苦しむ女人たちの「救い」として、語り継がれたのではあるまいか、と思いを巡らせました。



山里に咲くひときわ白い梨の花 道端では春の花の競演 野長瀬のしだれ桜


この日、秀衡桜は、まだ固いつぼみでした。雨の中の遠い遠い一人旅でしたが、待っていたのは優しい人たちとの出会い。丁寧に道案内してくれた中辺路の語り部さん。帰りに立ち寄る場所を地図を描きながら時間をかけ説明してくれた会長と会の皆さん方。それでもまだ、目的の場所に無事到着するか心配だったのでしょう、後から長い道のりを追いかけて来てくださいました。結局、野長瀬の枝垂桜も近露王子社も親切に案内していただきました。
中辺路を後にしての帰り道、雨が上がった山々は、私が今まで出合ったことのない神秘的な雰囲気に包まれました。木々の間から、霧が湧き上がる光景は一刻ごとに変化し、厳かで人の心をとらえます。熊野への畏敬の念は、このような大自然の神秘に触れた者に与えられるものだと感じました。その光景を見ながら進むうちに、なぜか私を可愛がってくれた人たちの顔が思い出されました。今は亡き、優しかった叔母が笑いながら話しかけてくれたような気がしたのです。悲しくも何ともないのに涙があふれて来ました。
優しい人たちに出会うためだけではなかったのです。この旅は、優しかった人を思い出すための旅でもあったのだと気付かされました。


第二章 今度は桜散る・・・
翌年、再び桜をみようと中辺路を訪れましたが、盛りを4、5日過ぎていて、今度は散ってしまっていました。途中で山桜をカメラにおさめていると、道端で山菜取りをする土地の方が、人懐こく声をかけて下さいました。
桜が散っていた話をすると、気の毒に思ったのか、昨年の春にとった写真があると自宅から持ってきてみせてくれました。ありがとう。

野中の山桜です。目的の桜をみることができなかった私をまるで慰めるように咲いていました。

その後、昨年行くことが出来なかった、熊野本宮大社を訪れました。
なかなか秀衡桜の見頃に会うことはできませんが、それを理由に私の旅を続けて行こうと思っています。温かくて優しい中辺路の方々に会うために。
熊野本宮大社入り口


熊野古道と桜(その1)はここ
熊野古道と桜(その2)はここ


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