Tea-House Moon 5



 それからしばらくが経った。飛影は閉店後の蔵馬のお店に数回訪れていた。いつも食事をしてはすぐ帰って行った。だからあまりたくさんのお話は出来なかったけれど、それでも少しずつ、飛影自身のコトを知るようになっていった。
 はじめ、蔵馬が『飛影はどこに住んでいるの?』と尋ねた時に至っては、『……そこら辺だッ』とだけ言い残して、速攻で消え去ったこともあったのだけれど。
 その時は、やっぱり飛影は変なペンギンさんだと思ったほどだ。
 その後、『お客さんの中に、生き別れの兄を探している女の子がいるんだけれど、飛影はそのことで何か知っていることはありませんか?』という話をしたことがあったが、さすがにその時は驚いた。
 少々顔をしかめた後、飛影は
「……もしそのシロネコが、このオレだったらどうする……?」(ニヤリ)
 なーんて言い出したのだ。
「………は…?」
 蔵馬だって、一瞬冗談だと思った。しかし、飛影はそんな訳の分からない冗談を言うようなペンギンではない……。
「……マジで…?」
「オレがウソを言ってどーする。」
 ということは、飛影が雪菜ちゃんのお兄さん、ってコト……?じゃあ何でネコの兄がモモンガ……じゃなくてペンギンなんだッ?(聞くな)
「よ、よりによって鳥類とは……って、爬虫類や両生類だったらもっとヤだけど……。」
「悪かったなッ!」
 飛影は、自分は兄だと名乗るつもりはないのだから、絶対他の者には言うな、と強く念を押した。
 以前自分のことをあまり知られたくない、と言っていたのも、そのせいだったのかもしれない。
 やはり飛影は蔵馬にとって、変な知り合いナンバー1であり、同時に一番特別な友人だと気付き始めていた……。

 そんなある日の昼下がりだった。修行中だと言っていた幽助が、今日は久々に訪れていた。
「まだ終わっちゃいないんだけれどな。久しぶりに遊びに来たぜ!タマには息抜きも必要だもんな。」
「幽助……修行も大変みたいですね。」
 彼の手・腕・顔には、バンソウコウやら包帯やら……これはよほど厳しい修行なのかもしれない。
 しかし幽助の顔には、何かを掴みかけているような、希望に満ちた笑顔がやたらと光り輝いていた。
「オメー、一体どうしたんだ急に!幻海のバーサンに聞いても知らんって言われたし、一体どこに行ってんだよ。」
「フッフッフ。それはまだ言えねーな。まあ、せいぜい楽しみにしておくんだな!」
「ちっとも楽しかネェわーーッ!」
 ライバル(?)の幽助の考えていることがサッパリ分からず、桑原は例の如く逆上しかけた。
「まあまあ、桑原くん落ち付いて!雪菜ちゃんもいることですし……。」
 店内が騒がしくなるのは毎日のことで、蔵馬は桑原を(おもしろ半分に)なだめようとした、その時だった。
 来客を知らせる、お店入口の鈴が大きな音を鳴らした。
「秀兄……秀兄いるッ?」
 大声で呼ばれてふりかえると、そのお店の入口には、高校生くらいのうさぎの男の子が、息を切らして立っていた。少し汗もかいているようで、ここまで急いで走って来た様子だった。真剣な表情で蔵馬のことを呼んだ。自分を『秀兄』と呼ぶのは、彼しかいない。
「お前……秀、どうしたんだい、こんな所に……。」
 その見慣れぬうさぎ少年は、実は蔵馬の義理の弟、畑中秀一だった。しかも、彼とは3年近くも会っていなかったのだ。
 あまりにも急なことで、正直、蔵馬はどんな顔で彼に向き合えばいいのか困惑した。過去は捨てるつもりで、今日まで生きてきたのだから。
 それよりも、ずっと今まで会うこともなかった彼が、急に訪ねてくるなんて、どうしたんだろうか……一瞬、不安がよぎった。
「秀兄、やっぱりここにいたんだ……。お願いだ。一度でもいいから、家に戻ってきて欲しい……。」
 家に、ってまさか……?
「もしかして、母さんがどうかしたんじゃ……。」
 住む場所は離れていても、もう会うことはないかもしれないと思っていても、蔵馬は母親の体だけは心配していた。いくら気丈な彼女でも、年には勝てないのが生き物だから。
「絶対、秀兄のせいなんだから!母さん、秀兄のことばかり気にしていて、それで体を壊したんだ……。」
 秀一少年は、もう半泣き状態で蔵馬に言葉をぶつけた。
「母さん……倒れたのかッ?」
「軽い疲れだって……家で少し安静にしていれば、すぐに治るって医者は言ってた。でも、ずっとこのままの状態はイヤだったから。母さんを安心させなきゃ、事態はちっともよくならないって思ったから……。」
 店中に重い空気が流れていた。
「オイオイ、どーゆーことなんだべ?幽助、オメなら何か知ってんじゃねーのけ?」
「いや、確かにオレは、蔵馬が自分の家にいた頃から知っちゃいるけど、アイツ自分のことはなーんにも話さないだろ?オレにもよく分からん……。」
 店の隅っこアチコチでヒソヒソ話……。しかし当事者二人には、そこまで気が回るはずもない。
「そう……分かったよ。オレの方が避けていたのに、会いに来てくれてありがとう、秀。だけど、オレは……。」
 オレは、本当に母さんに会ってもいいのだろうか?いや、会えるハズがない。それは言葉に出来ずに、心の中で呟いた。
「秀兄……母さんを看なきゃいけないから、オレは先に帰るけど、きっと来てよ!お願いだから!」
 そう告げ、秀一少年はすぐに店を出ようとすると、慌てて幽助が呼び止めた。
「秀一、オメー走ってここまで来たんだろ?急いでるみてーだし、表にいるプーを貸してやっから、それに乗って帰れよ。あっという間に家に着いちゃうからよ!」
「ありがとうございます、幽助さん。」
 秀一少年は喜んでプーに乗り、瞬く間に自宅に向かって飛んで行った。
 彼が出て行った後の店内は、珍しくシーンと静まりかえっていた。蔵馬がうつむいたまま、動こうとはしなかったから、誰もがみな、何を口にすればいいのか途惑っていた。
 そんな中で、幽助が真っ先に状況を打破してくれた。
「……蔵馬、事情はよく分かんねーけど、行った方がいいんじゃねーのか?」
 すると、次々に声が上がり始めた。
「そうだ。何よりも自分の母親のことだろう?行かなければ、後悔することになるかもしれん。」
「そーそー。後はオレらがテキトーに片付けておくだ!」
 うつむいたままだった蔵馬だったが、徐々に顔を上げた。
「みんな……だけど、オレは本当に母さんには……。」
「オイ、蔵馬ッ!!」
 突然の声に、蔵馬のセリフは途切れた。だけど、今の声って、もしかして……。
「ひ、飛影!どうしてここに……?」
 一瞬に、といってもいいくらい、本当に突然飛影は蔵馬の真正面に現われた。どうしてここに?だって、飛影は決して昼の間には姿を見せない。他のみんなには知られたくないって……。
「そんなことはどうでもいい。お前、このままでいいのか?本当にいいのか?」
 飛影に手首を掴まれて、自分を見上げる彼の顔は真剣だった。こんな表情の飛影、初めて見る。
「ど、どうして貴方がそんなことを……。」
 さっきの会話が、外にも聞こえていたのだろうか。けど、オレの身内のことで、どうしてこの人がこんなに必死になるのか、全然分からない。
 だけど、オレは本当に母さんには会えない。合わせる顔だってないのだから。
「オイオイ、また知らねー奴だぜ。黒いペンギン少年だ。」
「♪スーパー〇ード……ケケケ。」
「く、蔵馬の、て、手首が……。アァァ〜」(ガクッ)
「和真さん……私、何だかあの方を見かけたことがあるような気が……。」
 店の隅っこアチコチでヒソヒソ話再び。知らない人が二人も急にやって来たのだから、みんなが途惑うのも無理はない。もちろん当事者二人には、そんな周りの声など耳にすら入らない。
「お前が行かないのなら、オレがムリヤリにでも連れて行く!来い!」
「……は?ちょ、ちょっと……!」
 手首を掴まれたままで、強引に引っ張られて店から出てしまった。街が見渡せる丘の上。店内に残されたお客達はあっけにとられている。
「跳んで行くから、しっかりつかまっていろ。」
「え?……わあッ!」
 気付けば、自分の体は飛影の背中の上に乗って、空の中にいた。どういうことなのかサッパリ分からない。ものすごいスピードで、強い風が顔にあたって髪が宙に流れた。
「お前の家はどこら辺だ?」
「あ……あそこです。サクラの大きな木のある家……。」
「あそこだな。」
 飛影は徐々に方向修正しながら、木々の枝や屋根の上を足がかりに、トンッ、と気持ちいい音をそこに残して、二人分の体重もものとせず軽々と空を舞い跳んで行く。その度に身体は放物線を描いたように、思いっきり急上昇すると、頂点の辺りで最高の景色が目の前に広がり、そして急下降する。不思議と、全然恐いとは思わなかった。
 跳んでいる間に、次の、次の着地点を探しているようで、空中で方向転換なんて出来ないから、前に言っていた『跳んでいるだけだ』という言葉以上にコレってスゴイことみたいだ……。
 このまま、オレの家に連れて行ってくれるらしい。どうして飛影がワザワザこんなことをしてくれるのだろう。やっぱり理解できない。だけど、何だか似たようなことが前にもあったような……そうだ、初めて飛影と会った時だ。あの時は、オレの方がムリヤリ飛影のことを引っ張って行ったんだけれど、今度は逆になっちゃった……。

 3年振りの自分の家を前にして、飛影は背中から降ろしてくれた。
「飛影……今日は本当にありがとう。オレ、頑張ってみるね。」
 決心のついた蔵馬は飛影にお礼を言った。
「……ああ。行ってこい。オレはただのペンギンだが……空をとぶことだって出来る。お前もこれが終わったら、お前にしか出来ない生き方をすればいい。」
「……うん!」
 その言葉を聞くと、蔵馬は迷いが晴れたような顔で微笑んで、家の中に入って行った。



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