『オレのことは誰にも言うな。』 その声が何度も何度もずっと頭の中を駆け巡っているような気がする……。 飛影が去っていったその朝、天気は昨夜の心配とは裏腹に、見事曇空から晴天へと変わり、お陰でお客さん達もいつものように来てくれた。 あれから2・3日が経った。今日もいい天気で、いつもと変わらぬ平凡な日だった。……ただしたった一つだけ、今日はいつもと明らかに違うコトがあった。 「お〜い、蔵馬ァ。今日は浦飯の奴、どこに消えやがったんだァ?アイツが来ねーなんて、アラレでも降るんじゃねェのか?」 自称幽助の永遠のライバル・桑原が、不思議そうに蔵馬に尋ねた。 「まあ和真さん。アラレが見たいのでしたら、私が幾らでも出してみせますのに……。」 隣の雪菜ちゃんが微笑む。 そう、今日は珍しいことに幽助が欠席なのだ。イヤ、ココは別に学校じゃないんだけどネ。でも、幽助は自分の学校ですらマトモに通わなかったというのに、このお店には(ツケとはいえ)ほとんど毎日遊びに来ていたのだ。いっそのこと、このお店で授業をやってみたら面白いかもしれない。 「幽助はね、昨日急に『修行の旅に出る!』って言って出ていったんですよ……。」 蔵馬の言葉に、その場にいたみんなはビックリした。 「だから、これからしばらくは、ココにもあまり来れないんだって。」 「はあーッ?修行の旅って、アイツあれ以上強くなるつもりなのかよ?今でも充分、天下一武闘会にでも優勝できそうなくらい、つえークセに!ケッ!」 それは全くもって、桑原のみならずこの場にいた全員の意見でもあった。幽助はケンカに関しては既に人間(イヤ、タヌキなんだけど)を超越しているのだ。蔵馬だってそう思う。 「う〜ん、オレも事情はよく分からないんですよ。とりあえず『帰ってきた時には期待していろよ!』というのが、彼からの伝言です。」 「ナ〇ック星人にでもなって帰って来るんじゃねーだろなあ。奴ならやりかねん……。」 みんな笑っている。相変わらず、楽しいお客さん達に囲まれていた。そんないつもの光景のはずなのに、蔵馬はこの数日何だかずっと気分が落ち着かなかった。 そうだ、雪菜ちゃん……! 「何ですか、蔵馬さん?」 みんなと楽しくおしゃべりをしていたところで無邪気に振り向いた雪菜ちゃんに、何か言いたいことがあるハズなんだけれど……。 「あ…。ゴメンね。やっぱり何でもないよ。」 オレは、先日雪菜ちゃんと桑原くんを助けてくれた人物の正体を知っている(しかもそれはモモンガなどではなく、ペンギンだったということも)。だけれど、『オレのことは誰にも言うな。』ということは、それを教えることも、やっぱダメなのかな……。 でもそれって、自分だけが知っている『秘密』みたいで、何だかくすぐったい気持ちがする。 どうしてそれが秘密なんだろう?今度もし会うことがあれば、聞いてみようかな。 口数の少ない飛影だったけれど、教えてくれるだろうか。それよりも、自分から『遊びに来てね』なーんて思わず言ってしまったけれど、またわざわざ来てくれるだろうか?出来れば、また彼と会ってお話をしてみたいと思う。かといって、オレは彼の居場所も知らないし……。 「最近の蔵馬さん、何だか変……。」 「自分で育てた植物で食あたりでも起こしたんじゃねーのか?」 普段はしっかり者な店主のハズの蔵馬なのに、このところの彼の様子は妙にボーっとしているようで、回りのお客さん達には何やら気味が悪かった。 「ありがとうございましたー!」 今日の最後のお客さんを見送った、その日の夕暮れ。蔵馬は、誰もいなくなった店内に一人になっていた。 「…………。」 しん、と静まりかえってしまったお店を見渡す。 誰もいない。もうすぐ夜がやってくる。さっさと片付けを始めないと。その時だった。 「おい。」 背後から低い声がして、蔵馬は思いっきり驚いた。 「あ……飛影!」 現れたのは何と、先日会った飛影だった。 「もう!びっくりしましたよー。急に出て来たりして……。」 そう言い放った蔵馬だったが、先程まで感じていた寂しい気持ちが一瞬になくなり、とても嬉しくなった。 「その、……お前が……来いと言ったから……来てやった。」 ペンギンさんの飛影は、マトモに顔を合わせられずにそうボソボソと呟いた。 「……いらっしゃい、飛影!今からご飯作るよ。食べてって。あ、もちろん、お代はいらないから。」 蔵馬は、飛影をカウンターテーブルに案内すると、彼の目の前で手際よく料理を作り始めた。 その様子を見ながら、飛影は密かに自分で自分を罵っていた。 「アホかオレは……。」 相手に聞こえないくらいの小さな声で呟くと、ドッと脱力感に襲われた。 本当は、もうここには来るつもりはなかったのに、『蔵馬にもう一度会いたい』という誘惑に勝てなかった。特別な理由もなしに来てしまった。 そして今や、蔵馬のお店の椅子に座り、料理が出来るのを待っているとは。やはりオレはマヌケだった……。とはいえ、やはり自分の目の前に、ずっと憧れていた蔵馬がいて、しかも二人っきりだというこの瞬間瞬間が、正直嬉しいのだ。こんな感情を自分が持つことになるなんて、思いもよらなかった。誘惑に負けたとはいえ、ここに来てよかったと思う。 数分と経たないうちに、出来たて炒飯が飛影の前に出された。 「余りモノで作ったんだけれど、よければどうぞ。オレも今から食事なんだ。」 そう言うと、蔵馬は自分の分のお皿を飛影の隣に置いて、その前の椅子に座った。 飛影は何も言わなかったが、ちゃんと食べてくれていて、蔵馬は何だか安心した。 「味、どう……?」 「……うまい……。」 飛影は途惑いながらも、やっとそう答えた。その言葉はどうやら本当のことのようで、彼はあっという間に蔵馬の作った炒飯を食べ尽くしてしまっていた。 「よかった。」 そう微笑んで、蔵馬は食事を進めた。 口数は少ないけれど、この人……じゃなくて、この鳥さんとは、何だか気が合いそうな感じがする。 先に完食していた飛影は、しばらく蔵馬の食べている様子をじっと見つめていた。 「……どうかしたんですか?」 どうも視線が気になって、蔵馬は食べてる途中で質問をした。 「……いや……どうしてお前は、オレを店の客とは別で呼んだんだ……?」 その言葉に、蔵馬の表情が変わった。 飛影も気付いていた。そこに何か、蔵馬にとって大きなものがあるんじゃないかと。 「普通に顔を合わす程度なら、昼の間にでもよかったハズだろう。その方が商売になる。邪魔にもならない。」 言ったそばから飛影は、自嘲的だなと思った。その言葉通りだったのなら、まさしく自分は営業終了後の、蔵馬の安息の邪魔を承知で来たようなものなのだから。 だけどもし、蔵馬が他の客と同様に自分を扱おうとしていたなら、多分これほど再び会いたいと思わなかっただろう。 「……そう……だね……。」 蔵馬は、持っていたレンゲを皿に静かに置くと、ゆっくりと話し始めた。 「飛影も……さっき見たかな。このお店には、町外れだけれど、ありがたいことにたくさんのお客さんが来てくれる。お日さまの出ている間は、ここはみんなが集まる楽しい場所なんだ。」 「……。」 「でも、お店が終わるとね、みんな帰っちゃうんだよ。自分の帰るべき場所へ。自分の愛するもの達のいる場所へ。それが当たり前なんだけれど……。」 蔵馬の声が、わずかに震えていた。飛影は何も言わなかったが、ちゃんと聞いてくれていることは分かる。 「オレ、きっと寂しかったんだと思う。夜はみんな、自分の居場所で家族と楽しそうに過ごしているのに、オレだけは一人ぼっちだった。誰も、そんなオレのことに気付いてくれなかった。本当はそれが悔しかったんだ。オレはみんなに好かれているとよく言われるけれど、本当は誰にも……。だから……この前、俺と一緒に夜を過ごしてくれた貴方だけは、特別に感じるのかもしれないね。」 そういうと、蔵馬は少しだけ飛影に微笑みを向けた。 「……お前、家族はいないのか?」 「昔はいたんだけれどね。今は……もう……。」 「そうか、……じゃあ、オレと同じだな。」 飛影があっさりと言ったその言葉に、蔵馬はハッとした。一人ぼっちは自分だけじゃなかった。飛影のその一言が、何だか励ましにも聞こえて。 「飛影も……なの?」 「オレは今まで、ずっと一人で生きてきたが……。」 「そ、そうなんだ……。」 『ずっと一人で生きる』ということが、どういうことなのか想像が出来なくて、蔵馬は言葉に詰まってしまった。 自分に家族がいないということも、ここ3年のことだし、それに昼の間だけとはいえ、周りの人達がいてくれるのに……。 「そ、それよりもさっさと残りを食えッ。冷めるぞ。」 固まってしまった蔵馬の表情に耐えかねて、飛影は話を終わらせようとした。 「あ、うん。……ありがとう、飛影……。」 「それから……ああ、食いながら聞いていろ。」 「うん?」 蔵馬は、飛影の言葉に甘えることにした。話の度に手や口が止まっていては、なかなか食事は終わらないだろう。自分が、食事が遅いタイプだとは思わなかった……。 「さっき、お前が、その……夜のお前には誰も気付かないとか何とか、言っていたが………そんなことは……ないぞ。」 「……へ?」 顔を合わせられずにボソボソと呟いた飛影のセリフだったが、蔵馬は何のことやらサッパリ意味が分からなかった。 「べ、別に気にするなッ。わ、忘れろ!」 飛影は慌てて訂正した。蔵馬を少しでも安心させたいと思ったのだが……まさか、自分が今まで毎夜の如く、蔵馬の心の中を心配していたなどど言えるはずもなく、ましてや時たま邪眼で覗き見していた等と口が裂けても(額は裂けているが)言えるハズがない……。 やがて、蔵馬は食べ終わった後、やはり残り物ではあるがデザートの果物を飛影に出し、飛影がそれを食べている間に店内の後片付けを始めた。 「あ……!」 蔵馬は、雪菜が持って来て壁に貼り付けた、探し人のポスターに目を止め、あることを思い出した。 「そうだ、飛影。この前ここのお客さんを助けてくれたんだよね。遅くなったけれど、せめてオレから礼を言うよ。ありがとう。」 「別に礼などいらん。」 飛影はそっけなくそう返事をした。雪菜を助けようとしたことは、蔵馬とは関係がない。 「だけど……。」 「いらんと言ってるだろう。」 蔵馬の方を見向きもしなかった。と言うより、その方向には雪菜の作った超デラックスポスターが飾られている。そこには、彼女がオレを大いに勘違いした姿パートTが、それはそれはきらびやかに描かれていた。出来れば直視したくはない。 「そう……。それでちょっと気になったんですけど、どうして貴方のことは誰にも言っちゃいけないんですか?何か事情でもあるの?」 飛影は冷汗を一つ流した。それは自分にとって、一番知られてはならないことだったからだ。しかし、心のどこかでは、蔵馬に知って欲しいと思っていたのも事実だ。どう説明すべきか……。 すると先に蔵馬の口が開いた。 「実は正義の味方、とか!」 「アホかッッ!!」 危く飛影は椅子から落ちそうになった。 「な〜んだ。オレ、今放送しているコスモレンジャーのコスモブラックのファンでさ……。」 「そのネタはヤメロっ。第一未完成だ。」 ダメだ、完全に蔵馬のペースにハメられている……。しかし、少しは気が軽くなったかもしれない。 「……そうだな……。一つは、オレがあまり人と関わりたくない性格だからだ。ここには、大勢の連中がいるしな。」 飛影が、人付き合いが苦手っぽいということは、初めて会った時から何となく雰囲気で分かっていた。口数が少ないことからも伺える。幽助と足して2で割れば丁度いいのに。世の中というものは、うまくいかないものだ。 「でも、今日は飛影の方から会いに来てくれたでしょ。そんなこと、あまりないかもだよ。」 「そ、それは……。」 飛影は返事に困った。お前は特別な存在だからだ、と言いたいところだが、そんなことはやはり口が裂けても言えない……。 「と、とにかくッ、オレのことはむやみやたらと人に知られたくはないんだ。」 「ふーん……でも、貴方もいつかみんなに会ってみるといいと思うよ。いい人ばっかりだからね。」 蔵馬は飛影の妙な慌てっぷりに内心苦笑しながらも、今はあまり話したくないことなのかもしれないけれど、それはいつかは教えてくれるような予感がした。 |