……一体オレはここで何をやってるんだか……。 その夜、飛影はめったに使うことのない温かい布団に包まりながら、自慢のツンツントゲトゲ頭を自ら抱えるハメになっていた。 部屋の電気はとっくに消され、同じ部屋の近くのベッドからは、蔵馬の規則正しい寝息が雨音に混じってわずかに、しかしはっきりと聞こえてくる。 どうしてオレは、よりによってあの蔵馬と同じ部屋で寝ることになってるんだ?つーか、いくらでも逃げることも断ることも出来たはずだろう、オレ! つい昨日まで、これは予想だにしなかった状況だった。 今までずっと、妹の雪菜を時折邪眼で眺めながら、彼女の無事を確認する毎日だった(我ながらつまらない日常だとは思っていたが)。 いつしか彼女がクワバラ、とかいう顔の失敗した男とよく行く場所の一つにティーハウス、と呼ばれる店があった。そこの主人をつい邪眼で垣間見てしまったのがキッカケ。 なかなか綺麗な顔をしているウサギで、人望があるだろうことはすぐに分かる。いつもみんなに囲まれていた。みんなと一緒に楽しそうに笑っていた。すごくすごく綺麗なヤツだと思った。明かにオレとは全く正反対のイキモノだ……。 思わず気になって、雪菜のこととは関係なく、つい彼を邪眼で見てしまった。 それは誰もいなくなった夜。彼は一人ぼっちになっていた。たまらなく寂しそうな表情を浮かべていた。----いつ覗いても。 こっちが本性だったか……。彼と自分は、正反対のイキモノだと思っていた。だけど、心の奥深くには、自分と共通する何かがあるような気がする。気付けば、彼がとても愛しい存在に思えた。本当の目では決して見ることもない相手だというのに。 自分も一人で生きてきた。それでいいと思っていた、今まで。しかし、彼ならオレを理解してくれるだろうか?オレが彼を理解したい、と思うのと同じように……。 しかしオレはやがて、その思いは捨てようと決意した。彼は、そもそもオレとは何の関わりもない。オレを知ることもないし、きっとこれからもそうだろう。お互い全く違う生を、当然のこととして生きていくのだ。それがいい、彼の人生にとっては。 オレが彼を、偽りだと気付いてしまったその微笑みを、それでも時たま見ていれば、それだけでもいい。雪菜と同じように……。 そう心に決めた矢先だった。 いつもの様に雪菜を邪眼で確認した時。雪菜が街中で数人の男に襲われそうになっていた。例のクワバラ、とかいう男が対抗しようとしていたが……夢中でオレは雪菜を助けようと体が勝手に動いていた。 空を駆け、一瞬のうちに男共に押入った。不覚にも相手のナイフで腕を少し切られたが、構わず連中を気絶させ、雪菜に顔を知られてはマズイと、すぐにその場を去った。所要時間、ジャスト2秒。 結果としてクワバラ自身を助けるカタチとなったようだったが、そんなことは別にどうでもよかった。 何のことはない。それだけで終わるはずだった。 しかしその夜の土砂降りは、昼にナイフから受けた傷にとっては容赦ないものだった。いかに住所兼寝床代わりの大木の下といえども、腕の傷口が開き、血は止めど無く流れていく。紅色の鮮血が、雨水と混ざり合って腕を朱に染めながら伝い落ちていった。 このままではヤバイ。冷汗が雨水と一緒に頬を伝っていった。せめて、どこかもっとマシなところに雨宿りしなければ。しかし、騒がしい街中にそれを求める気は起こらなかった。 悩んだ末---オレはあのティーハウスとやらに向かっていた。店の横の、あの風変わりな屋根の下に。静かにしていれば、オレのことなどバレやしないだろう。雨がやめばすぐに出て行く。……そんな屁理屈よりも、あの蔵馬の生きる場所に、一時でも身を置いてみたかった、というのが本音だったのかもしれない。 ……そして案の定見つかってしまった。見つかる寸前に逃げ出せばよかったものを、不思議と足が動かなかったのだ。 更にそして今、オレは蔵馬と同じ部屋で寝ている……。これをマヌケだと言わずして何と言うのだ。 オレのあの決意は一体どこに行ったんだか。 蔵馬にオレの存在を知られるということ、顔を見られるということ、名前を呼ばれるということ、そんな幻想はとっくに捨て去ったはずだった。なのにそれが、現実の中で甦ってしまった。 いや……そんなことよりも。 それまではニセモノの目でしか、捉えることはなかった蔵馬のその姿を、初めて『見た』。 オレの、それはもう本当に目の前で、色々な仕草や表情を見せ、言葉を発する。オレだけを相手にして。 今まで見てきたよりも、ずっとずっと遥かに愛しく感じた。自分の想いの大きさに改めて気づいてしまった。 それは、オレの住む世界と蔵馬の住む世界、二つが初めて重なった瞬間でもあった。 雨は朝方には既に小降りになっていた。 まだ空には雨雲が多少残り、朝の薄い光はわずかにしか届かない。 さっさとここを出ていってやる…。 飛影は、おそらくまだ蔵馬が寝ているであろう隙に、うかつにも一晩お世話になってしまった彼の家をそっと出ようとした。 蔵馬に自分を知られたとはいえ、まだ選択の余地は残っている。 これから自分は、蔵馬と関わることになるか否か。 飛影は潔く後者を選択した。これ以上蔵馬に関わっていれば、いつ欲望に自分が負けてしまうかわからない。蔵馬は、オレとは違う自分の道を歩んで行けばいい。 きっと蔵馬はオレの存在に対して、『一時だけ知り合った変なペンギン』とだけ認識し、そのうちに忘れていくのだ。それでいい。 気付かれないよう、忍び足で部屋を歩き、あと1歩で出口(窓です)に足をかけようとしたその時。 グイっと足を引っ張られたような……? ドッターン! ものの見事に転倒してしまった。氷の上でもひっくり返った試しがないことが、自慢のオレ様だったのに…。 「な、何なんだコレはー!」 よく見ると、自分の脚に紐がくっついていた。その紐の先を目で辿っていくと、それは蔵馬の眠るベッドの脚に結ばれていた。コレに引っ張られて、すっ転んでしまった訳か。 「おはよう。モモンガさん!」 ゲッ。蔵馬に気付かれてしまった……。既に起き上がっている。 「き、貴様、何だモモンガとは!」 嗚呼、モモンガ……!それは我が妹・雪菜が昨日オレを見て大いに勘違いした姿パートUだった(因みにその一部始終を邪眼で見ていた彼は、雪菜のあまりの勘違いに木から落ちてしまった。傷が悪化したのはこの為である)。 「だって、今貴方、その窓から飛んで行こうとしたじゃないですか。それに、全体的に黒い姿に、昨日の傷。思い出したんですよ。貴方、昨日ウチのお客さんを助けてくれた『モモンガさん』だったですね!」 ダメだ、雪菜を助けたのがオレだと、完全にバレてる……。極秘事項のつもりだったのに。目眩がしそうだ。 「言っておくが、オレはモモンガなどではなくて、ペンギンだ。」 「ペンギンさんは空を飛ばないと思うんだけどなー。」 コイツ、遊んでいやがる……。 「飛んでいるんじゃなくて、跳んでいるだけだッ。」 「……わかったよ、飛影。でも、もう帰るんだ。」 観念すると、何だか寂しそうな表情を見せた。この顔が見たくないから、知られずに出て行こうと考えていたのに。 「だけど、その窓から1ミリでも出ようとするとね、バリア代わりのオレのかわいい植物が、貴方のことをミンチにしちゃうんだヨ。オレ、貴方の肉を今日のランチにしてお客さんに出したくないなあ。」 「それで、オレが窓から出ないように、足に紐を付けてたのか、全く……。」 考えるだけで恐ろしいセリフを、よくも蔵馬は言う。が、確かにミンチなどどいうマヌケな死に様は御免だ……。 「そ。ウッカリ顔だけでも出しちゃったら大変だったからね。昨夜は植物達ももう寝ていたから命令が出来なかったんだよ。だから今日は玄関から帰ってね。」 「フン、もう用はない。世話になったな。」 それだけ言い残して、オレはマトモに蔵馬と顔を合わさないまま、昨日通された玄関に向かおうとした。 「ま、待って!」 蔵馬がオレの腕を引き止めた。急なことに驚かされる。こっちは、さっさと出ていこうとしているというのに、だ。 「……何だ。」 すると蔵馬は少し途惑ったものの、まっすぐにオレの目を見てしゃべり出した。 「あの……もしよかったら、また遊びに来てね。あ、日の出てる間はお客さんがいるから、その後にね。植物達には、飛影は攻撃しないよう言っておくから、わざわざ玄関から出入りしなくてもいいよ。オレ、待ってるから。」 「…………。」 一瞬、気をとられるくらいの可愛い微笑みを向けられて、発する言葉がなかった。顔を背け、そのまま気を取りなおして歩を進める。 「オレのことは誰にも言うな。」 それだけを残して、オレは蔵馬の視界から消えた。 |