Tea-House Moon 1



「……んッ……?」
 その日の朝方、蔵馬は僅かな視線を感じて目を覚ました。起き上がって辺りを見回したが、部屋はいつもと変わらず自分一人だけ、また万一泥棒があったとしても、今頃は悲鳴と共に自慢の植物達のエサと化していたであろう。しかしその気配すらもない。
 最近、只の気のせいかもしれないけれど、どうも変な感じがするような……。そう思って窓から外の景色を眺めると、空は暗い雲に覆われていた。今日はまとまった雨が降りそうだ。

「く、蔵馬さん……!」
 その日の昼下がり、今にも空から雨が降り出しそうなその時だった。よく遊びに来る雪菜が慌てた様子でお店にやってきた。いつもやってくる時間よりもかなり遅い。
「蔵馬さん……あの、和真さんが……。」
「桑原くんが、どうかしたんですか?」
 雪菜は非常に困惑した表情を浮かべていた。何やら只事ではなさそうな状況に、賑やかだった店内は僅かに騒然となった。
 その時、雪菜から少し遅れて桑原本人が現れた。
「お、オレなら大丈夫だ……。」
「く、桑原くん……どうしたんですか、そのケガ!」
 桑原はケガをしており、腕や脚に血が滲んでいた。僅かに苦しそうな息遣いをしている。
「和真さん!とにかく座って下さい!」
「ああ……イテテテ!」
 桑原は、雪菜の促されるままに近くの椅子に座った。
「これは……まーたケンカでもしたんじゃないですか?うわ、これナイフでやられたんじゃ……。」
 蔵馬は手早く桑原のキズの手当てを行った。ここにやってくる連中はケンカ早い者ばかりなので、手当てを施すことは慣れていた。しかし毎度のことではあるが、否応無し問答無用に消毒液を傷口に塗りたくられ、まさしく拷問地獄絵図がそこに広がっていた。
「き、聞いてくれ!雪菜さんが襲われそうになったんだ!」
「って襲われたのはお前だろーが。」
 すかさず幽助からのツッコミが入った。
「あの、襲われたんじゃないですよ……。ちょっと、男性の方に声を掛けられただけで……。」
「あいつら、こともあろうか、ゆ、雪菜さんの雪菜さんの細い腕をつ、掴みやがってダァ---!ギャア---!NO〜!」
「く、桑原くん暴れないでッ!」
「まああ……和真さん、気を確かに……!」
「誰かコイツを押さえるの手伝ってくれェー!」
 ああ、なるほどね……。一同は何が起こったのか何となく分かったような気がした。
 恐らく、二人がいつも通りにお店に行こうとした時、道端かどこかでナンパと思われる連中に雪菜が絡まれ、逆上した桑原によって乱闘になったのだろう。かわいそうなのはどっちなんだか……。
「それで結局、お前が相手を全部やっつけたんか?」
 どうもケンカ話には興味のある幽助らしい。ところが、間髪置かずに口を開いたのは雪菜であった。
「そのッ、見知らずの方が急に助けて下さったんです。私見ました。モモンガさんでしたわ!」
 ……はッ?も、モモンガとな……。
「な、なんじゃそりゃー!」
 この場にいる全員一斉大合唱(桑原除く)。おお、ここまで皆の息が合ったのは後にも先にもないであろう……。
「だって……すぐに去って行きましたけれども、黒くて小さくて空を軽々と飛んでいましたもの!」
 今度もしお会いできることがあれば、是非あのモモンガさんに今日のお礼を言わなければ……。そう真面目に呟いている雪菜。その姿にはIC・6006トーンが光り輝いていた。
 しかし他全員は、例え桑原が襲われることがあろうとも、何故わざわざ助けられることがあるのか、しかもよりによって何故それがモモンガなのか、疑問符ばかりが並んでいた。
「でも、こんなことになったのなら、わざわざこっちに来なくっても、取り敢えず家に帰ればよかったと思うんですけど……。」
 手当てを終えた蔵馬が、不思議そうにそう尋ねた。ケガしてまで、ウチに来るとは一体何を考えているのやら……。
「だから、これしきのケガ何ともねェっつてんだろーがァ!」
「あ、あの、すみません。私のせいで……私が和真さんにわがまま言ってしまったんです。今日はどうしてもコチラにお伺いしたいと……。」
「へえ、雪菜ちゃん、何かあったんですか?」
 このような場面で雪菜がどうしてもと言うのは……よほど大事な用事があるに違いない。
 雪菜は少しうつむくと、真剣な表情をもって次のように語り始めた。
「私には………兄がいると。それで印刷所の協力を得て、兄を探すためこのポスターを作ったのです!」
 ジャーン!と効果音が聞こえんばかりに雪菜が取り出した、その特製ポスターとは。
 フルカラー7色(もちろん蛍ピ入り)にPPクリヤ加工&エンボス加工付き、おまけに箔押しで「探し人」と書いてある、一体いくらかかったのか考えるのも恐ろしい程の派手な一品。コエンマ様もビックリ。ああ、そう言えばこのおなご、お金だけは困らないんだったなあ……。一瞬誰もが固まり、そう脳裏に浮かんだ。
「蔵馬さん、このお店にもポスター一枚貼って頂けませんか……?」
 雪菜のそのセリフに、蔵馬はやっと我に帰った。
「え、あ、ああ。いいですよ。ええと、何処に貼るのがいいかなあ……。あれ、これはお兄さんの写真なんですか?すごく美形なんですね。」
 ポスターに描かれているのは、背が高く優しそうな目をした、雪菜と同じ真っ白の美しいネコ。
「いえ、写真などはないので想像図ですv」
 にーっこり。雪菜は自分の兄に多大な理想を持っているらしい……。その場にいた全員(もちろん桑原除く)が再び石化しのことは言うまでもない。

 やがて灰色に染まった空から、ポツポツと雨が降り出した。だんだん雨粒が大きくなってゆく。
「あ、雨が……みんな今日は早めに帰った方がいいですね。」
 雨で足元が危なくならない内に、とお客さんを促し、いつもより早い時間で閉店にした。
 しばらくも経たない内に、外は既に土砂降りとなっていた。



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