幽霊谷


「馬越へ上がる道には、墓を上る道と農道、天満からの道、
それともう一つ北浦の裏側から上る谷の道とあるんさ。そこ
は、「幽霊谷」って言うてお父さんらが小さい時は、そこは、幽霊が居るで暗くなってからは、通るな!言われたんやって。そこは、谷の間の道でな。ずーっと水が流れとる横を歩いて来るんさ。昔は、民家も無くて昼間でも、真っ暗やったんやって。そこを通ると、時々、女の人が座っとってなぁ。川の水に櫛入れて、長い髪の毛を梳かしっしょるんやって。そんだけ、なんやけどなぁ・・・」

たしか、こんな風な話しだったような気がする。同じクラスの子の口からぽつりぽつりと聞きだした、胸の中が冷たくなっていくような感触、それでいて遠い遠い異国の物語りを目のあたりにするような不思議なときめき。今から思ってみても「幽霊谷」とは又、何と夢見るようなロマンにあふれた呼び名だったんだろうか。
実際、その場を訪ねたのはもっと後のことだが、結論から言えば、何らかの気配も取り立ててそれらしき風情が感じられるわけでもなく、ありきたりの山道にすぎなかった。そして今では民家も立ち並び、面影すら残ってはいない。
怪異や不思議などやはり時代とともに、衰退していくしかないのか。そんなことをふと考えていたある晩、こんな話しを聞かされた。

「幽霊谷はな、実は幽玄谷が訛ったもんなんさ、まあ昔は家も少ないし暗いし、木も辺りいっぱいで何かこう独特の趣きみたいなんがあったんやろなあ。子供らにとって幽玄なんていう言葉の床しさらーわからんで、ゆうれん(幽霊)ゆうれんって言うて面白がったんやろ」
生まれからその地に住む、Iさんの話しである。Iさんは日頃から少し、風変わりな人だが意外と物知りなところがあって、更に話しは本人の心霊体験に及んだ。
「42号線をな、熊野方面に車で走っとった時なんやけど、Kトンネルの付近でな、何かさっきから後ろの座席で妙な気配するもんで、はっと後ろ振り向くと、大きなこけしが座っとるんさ」Iさんのあまりの唐突な言葉に私はおもわず「えっ何ですって、こけしっー!」と驚いていると「まあ普通のよりちょっと大きなのが一本、見えた」と平然としている。「それで気色悪いとかなんとか、なかったんですか」「ん、まあ嫌なもんやなっ、あれはきっとあの辺で昔、女の子の因縁があってな、まだ消えてないんやろなあ」とつぶやいた。「それはどんな因縁で」と首をのばすと「そんなことあ、そこまではわからん、何かはな」と言う。
彼によるとその辺りで2回そのこけしとやらに遭遇したそうである。思えば幽霊谷なる地に育ち、その幽玄なる記憶の風景をそっと棲まわせてきたからこそ、そんな体験をするのだろうかなどと、かの山の方へと仰ぐ眼には、漠然と怪しきものにまつわる懐かしさみたいなものがしばらくそよいでいた。


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