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冬の夜道

忘れもしない、小学4年の冬の夜、塾の帰り路であった。友人と二人連れだって自転車に乗り、尾鷲小学校正門の辺りに差しかかった時、すぐ前方、右手に異様な人影が目に飛び込んできた。不思議にその刹那、その光景を目のあたりにしながらも反応は遅れてやってきた。まるでスローモーションのようにゆっくりと。視線はゆるやかにやがて自転車の速度にあわせて、すっとすれ違い様に氷りついたまま微動だにせず、そしてペダルをこぐ足下には意識がたどりつく事は不可能であった。左側にいる友人に首を向ける余裕もなかった。やがて身体の後ろの方から言いようのない恐怖がやってきた。全身に棘が突き刺さったような鋭角的な恐怖。自転車はそこから前へ前へと、その光景から視線が離れる。魔の瞬間は脳裏にあった。
死人がまとう白装束であろうか。そこには真っ白な着物を着た髪の長い女が頭を垂れて突っ立っていた。髪の毛は胸元まであり、その表情は全く伺い知れなかった。しばらくの距離をおいてから始めて友人と顔を見合わせ、口を開いた「今の、見た、、、」友人の顔色も青ざめている。「な、何〜、あれー」恐さはやっと全身をかけめぐり、目の前には大きな闇が押し寄せてくる。そして一気加勢にペダルをこぎ死にもの狂いで逃げだした。声はかすれ悲鳴ならない、息がつまったような絶叫、後ろから憑いて来る、憑いて来る、そんな思いだけが胸元から激しくこみ上げてきた。その直後、友人とどんな会話を交わしたのか、家路についてから再び思い返して戦慄が走ったのか、詳細は覚えていない。 
しかし、あの夜の出来事は鮮明に記憶しているし、何かの折りには人に話したりもした。白装束が経帷子(きょうかたびら)であると知ったのもずっとたってからである。ある時、もう一度、しっかりと記憶を手繰り寄せあの光景を自分なりに説明のつく事実へと導こうと考えてみた。
「ひょっとして女性が風呂上がりか何かでふらっと家の中から表に出てきた所をたまたま見たのでは」しかし、季節は真冬であり、自分もマフラーを巻き付けていたし吐く息も夜道に白かった。とても湯冷ましとは思えない、又、年令も老人には見えなかった。こうも考えてみた「白装束と見えたのは白っぽい寝巻きで、知的障害の人でふらりと夜道を徘徊、あの場所に佇んでいた」おそらくこれが一番、合理的に納得のいくシチュエーションではあろう。

少年時代の想い出はいつもかすかな郷愁に彩られている。世界はまだまだ未分化で、不可思議はすぐすこにも渦を巻いていたし、見上げる山の向こうはとても遠く透明であった。冬の夜道に妖しい怪がそっと顔を覗かせてても、それは自然であったのかも知れない。


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