妖婆伝8 老婆の眼が鋭く光り思わず身をこわばらせてしまった。悪夢ともいえよう語りに引きずり込まれているのは、どこかしら同調を余儀なくされた結果だろうし、今にももろ助とやらが土間から這い上がって来そうな気配さえあった。そして自らの寿命を明確に知り得たうえで、一語一語が命の灯火に呼応しているのか、怪しい含み笑いのうしろにはどこか寂し気な様子が透けている。日は沈みかけていた。 「どれ舟虫、そろそろ夕餉の支度をな」 自分は孫娘の名を始めて耳にすると同時に、たった今老婆の語った義妹のすがたがすっと傍らに立ち浮かんだような気がし、胸の痒みに襲われた。随分と年少の昔、異性が異性である様子を夕空に投げかけていた淡くて、柔らかくて、幾らかは生真面目なあこがれが白雲のように呼び起こされる。まだ見ぬ男女の機微が気流に乗り、どこか遠くへと、やがてまわりめぐって来る予感を抱きつつ、、、 舟虫の下がる気振りがたなびく前に、ときめきともいえる気分はその律動だけを譲り渡す具合で話しの続きへと繋がってゆく。 「こらえきれん欲だったかといわれれば、そうでもない、なんせ雄には違いないが、人間の性欲を学んでおらんからのう、はっはっは、そうだろう、すけべな気持ちはひとりで成立せんわ、なんだかんだでまわりからひっそりと伝授されるんじゃ。その方が数段いやらしいわな。とまあ、わしは居ても立ってもおれんかったわけじゃない、すぐさま手篭めにするほどの勢いでもない、そこでどうしたものかと思案したんじゃよ。あの時分は貝合わせのいろはを知るよしもなし、ましてや他の女体に接する機会なぞあるまいて。 そうこう案じておる間、十日ばかり経った日のこと、湯浴みの際じゃ、夏の空は宵待ちを気長に心得ておる。湯気が格子の向こうへ逃れて行けば、反対になにやら幻影がこちらに流れこんで来る気配、ぼんやりと見つめておるうちに段々そのかたちが定まって、はっと気づけば、この湯殿こそ裸身があたりまえになる場所、これより他にうってつけはあるまい、屋敷の立派さからしても湯船はそんなに広くなかったし、家風よなあ、入浴の序列はいわずもなが、ちょいと細工をして妙の番をつかめば、それがそのまま女体同士の空間となる。別に雑作はなかった、いつもの掛け声をそれとなく言い繕ってな、先に妙を湯浴みさせ、なに食わぬ顔してその戸を引くまで、相手が驚きを隠せぬのも道理なら、わしとて罰の悪そうな面をつくっての、だが斯様な場面に遭遇した身は、ほれ裸身じゃて、これは失礼で通じるなら更に踏み込んで、あれま、わたしとしたことが、と少々照れもしながら、すかさず毅然たる面持ちにすげ替え、ねえ妙さん、着物を脱いでしまったから、そう一言ぽつり、無論のこと妙のためらいは眼前にある、それとておかまいなしじゃ、間を置きすぎては双方の遠慮が勝るというもの、一気に攻め入る口吻で、一緒になど滅多にありませんなあ、まるで湯けむりに誘われる自然な素振り、しずしずと歩み入れば、互いの恥じらいも狭められよう、近づこう、義妹は拒絶の理由をほんのりと忘れ、ただただ湯船にうつむき加減となったのはことの成りゆき、桶に湯を汲む手つきとてさらり、同じ屋根のもとに暮らすもの、女体ふたりを静める湯に罪はあるまい。のぼせたふうなもの言いで、急いで湯船を出ようとする妙もまた当然の仕草でのう、そこをいたわり気に、そんなはにかみはいりませんよ、さあ、背中を流してあげましょう、折角ですからねえ、と投げかける。これには妙も多少感情あらわにし、滅相もありませぬ、お義姉さま、そのようなこと、眼は湯けむりをさまよい、まさに逃げ場はなし。ああ、わしとてもじゃ、が、そこは年の功でな、すでに面前にある妙のはだか、息をのむ暇もない表情を保ち、ちょいと性急なちからを両手にこめ、その滑らかな肩を押さえ、うらはらに口調はいたって安穏、身内なのですよ、それともわたしが嫌いなのですか、そう問えば、増々もって萎縮する妙、ここに来ておのれが発した言葉の響きに軽いめまい、好きよ嫌いの意味はなお深いわ、たじろぐ様子をしかと諌めるよう追い打ちをかける。わし自身への叱咤でもあろうな。 もう子供みたいにぐずぐずしてはいけません、どうか、わたしの言うことを聞いて、短い文句ながら最初嘆かわしく、しまいはきっぱり威厳をただすと、もとよりひかえめな性質、汚れを受けつけた試しのない背をそっと向けたではないか。湯のしずくやら肌のきめから沸いた汗やら、その張りつめた皮膚の白さ、まだ肉づきのさなかにある緩やかで、優美な曲線を描きたく願っている腰へのくびれ、ふつふつとこぼれ落ちるしたたりを拭う構えで見遣ると、さながら狩人の獲物に迫った感、一抹の憐れみがふとよぎる。 思えばうなぎのわしにはこんな意識なぞ生じておったのか、いいや、その辺がなんとも曖昧じゃ、昔の記憶とて所詮は小夢のあたまを通して、そうとも、牛太郎の考えは純然たる過去の遺物でなく、今この肉体をめぐって降り立ったもの、いわば人間に濾過された思念じゃよ、本来のわしに憐憫の情などあろうはずはない、獲物は獲物、その日の大事な糧に尽きていた。すると妙に感じているものは果たしてどう処理してよいのやら、意識と肉体を分離せんと欲したまではよかったが、土壇場に至ってのこうした逡巡、雄の欲情をぎらつかせたかったにもかかわらず、もっと突っ込めば初夜の晩より刺激に満ちた情況でもあろう、ここで意欲を失っては一生飼い殺し、わしは小夢の供養だけをよりどころにして生きることは出来ん、ひとでなしならぬ、うなぎなしとは変な言い草じゃ、けれどあとに引けぬのなら、ここの戸を引いた余波でおのれをなぶれ。 お義姉さま、ちいと痛うござります。はっと我に返り、現状を見渡すまでもなく、湯気を吹き飛ばす意志がもたげてきた。行き当たりばったりの思いつきでここまで漕ぎ着けのじゃ、むざむざ好機を逸してなるものか、今日のところは半ば強引であったが、妙とてこれからさき二度とこの様な事態を好むとは思えん。なら本願はここで成就せねばならんわな、わしはひたすら裸身を見つめた。妙に限らず、かつては持て余して仕方のなかった我が身を同時に。すると発心がたちまち開眼へ直結したんじゃ、あとは方便が口をついて出るばかり。 あれ痛かったですか、しかし痛さはもっと他にもあるのですよ、妙さんもいずれは嫁にいきましょう、いえ、ちょうどよいと思いましてね、こんな話しびっくりするでしょうが、ここのような格式の家ではみんな教えられることでして、あなたは御存知でしたか、そう、でも祝言の夜は知っておりますね、なるほどそこで格式が問題になるのです。殿方はいくら初心を尊ぶとてあまりの無知は却って無粋、いいえ、それどころか野暮の証しと軽視されましょう。そこで年長のおなごがですよ、肌の交わり、すなわち礼節を知らしめる為に愛撫の手際をな、唇の重ねをな、腰つきの加減をな、大事な箇所の仕組みをな、すすっと伝授いたすのです。あくまで表面上のことゆえ、いえ何、おなごではありせんか、大丈夫ですよ、恥じらいなどいらないのよ、ええ、ありますとも、わたしみたいな近い家族から教わることも。出来ればそうしたい、だって妙さんはとても可愛らしいからです。ここに嫁ぐときはわたしも同じ儀礼を通過したのですよ、ほら分家の奥さまの従姉妹にあたる方から、、、 わしは義妹の背が微風になびくこずえのように身震いするのを見逃さなかった。少なくとも妙は男女の契りを知らぬわけでない、山寺の若僧らにこころ揺らしたのも、まんざら色を蔑んではおらん証拠じゃて。 ここで急いてはならんのだが、もたもたしておると湯が冷めるごとくに妙の興味と不安も熱気をなくしてしまうわ、ではひとつ手早く行かねば。両の手をな、そっと脇から乳房にかけて伸ばしてみたのじゃ」 |
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