妖婆伝45


山頂に近いのだろうけど、木枯らしが辻角を吹きすさんだふうな、そっと人影が退いたような、嫌に喧噪を押し静めている感じがして、小夢は周囲を思わず見渡した。もの言わぬ枯れ木の束が一様に迫ってくる不快な渇き以外、冴え切った冬空は思ったほど垂れ込めてない。
「どこからお話しいたしましょう、古次さまが幼少の頃、それがしの思い出、いかがお受けとりしましたのやら、阿可女さまとの婚礼なぞ子供騙しの支援、まことに陰険な計らいとさぞかし不審を募られておるでしょうな。次子どのにあたられる赤子は身分の高い大名の側室が旗本へ授けたに相違ありません、詳らかには出来ませぬが、それがしの使命はその赤子を暗殺すること、手違いとでも申しておきましょうか、一端手放した子息のお命を奪えとはただならぬ理由があったのでございますな。いえいえ、借りに詳細を把握していようともこればかりは口外いたせぬ。もとより小夢さまには関わりのないこと、双子の兄妹かたには運命の岐路と相成り申したが、いかんせん任務遂行にそむけるはずもなく、とはいえ、不幸中の幸いは古次さまの純愛とも廉潔とも称されましょう、あっぱれな心意気、年少の心持ちながらそれがし甚く感銘を受けました次第、口数こそすくなれど対する阿可女さまの心情もまた清かれし」
確かに古次からことの顛末を知らされていた小夢は、中左衛門の語り一辺倒でこと足りたのだったが、あやまちがあると言うからには齟齬をたださなくてはと、かねてより古次が口にした事情を逐一述べたのだった。すると、
「睨みの術でございましたな、それは熱心に励んでおられました。いやこれは不謹慎な言い様、とにかくでございます、古次さまの執心はそれがしのひとこと、そうです、邪魔が入り申したのひとことで堅く定まりました。しまいには早う首をはねてしまえ、おまえの正体は刺客であろう、さもなければ斯様な讒言をひそかに申すものか、もたもたしておれば、父上に言いつけるぞ、と、純朴な恋情が邪心に張りついている様は実に恐るべき、非情をもって任とする身にずしりと突き刺さった汚れない悪意、こちらが奮い立たされるありさま、取り急ぎえせ験者を探し出したのは実際でございました。さてお祓いの儀こそ、まさに格好の暗殺舞台、邪霊の仕業なりと吹き込んでおきもっともらしい因縁も言い聞かせておけば、験者は安直に利用しおって騒ぎだす始末、欲の皮が突っ張っていたのも機宜であった、あらかじめ過分な祈祷料を手渡し、大仰な振る舞いに越したことはないと、猛毒の入った御酒をあおらせていたのでござる。
首ですな、そうでございますとも、それがしが一刀にて。屋敷内の周章狼狽ぶりもさることながら、当主さまとて、それがしが忠言いたした折より怪訝な顔色もとに返ろうはずもなく、いわば不測の事態を予期おられたご様子ならば、そっと耳打ちを、お家の面目に結びつかれるは必至とみました、どうぞ、この場はそれがしにと、はなから下賜に似たる養子縁組、入り組んだ政情を呑んでこそ、なら当主さまの畏怖はごもっとも、こうして何者も寄せつけず、それがし堂々と屋内に足を踏み入れ、素早く一命をば頂戴いたし、懐から包みをひろげ首をば天上裏に忍んでいた手下に放り投げという経緯でございます。怪しきからくりとは存外このようなありふれた仕様、しばらくは町中ありとあらゆる憶測やらが飛び交いましたが、蓋を開けてみれば皆の大変な驚きこそまさに風聞でしたな。ただ古次さまは観察しておられたに相違ありませぬ、そうでありましょうぞ。ところでそれがしは裏門より配下が用意した駕篭にて退散、次子どの首級ははてどこに持ち運ばれたのやら、これは真実それがしの関与するものでござらん。その後の足取りは側室さま擁護の御仁のもとに赴き、遂行の次第を報告仕り、捜索の目をかいくぐる為、難所を抜け、山越えし、ときには変装しまして都の雑踏に紛れ込んだり、ほとぼりの冷めるのを待ってここ金目流へと身を寄せたのでございますが、それはすでに判明いたしておりますな。人相書きなぞも出回ったと聞きましたけれど、予断なき情勢、側室さまの急逝ならび御仁の失脚に伴いましてそれがしの立場も危うくなったというわけです。なんでも大名家はご安泰、派閥闘争の影も消え去り、忌み嫌われしも体面を保ちました旗本屋敷とて、怪事件を話頭にするものなぞいなくなり、当主さまは絶縁した兄妹の復帰を願っておるとの伝聞、が、体面が汚されたのも確かなら、いささか気弱な性情のお方、あたらに子息が誕生なされたことも重なり、ふたたび奇禍は避けたいのでしょう、たっての願望とまで相成っておらぬご様子、また、これは阿可女さまより近年うかがったのですが、形ばかりの申し入れが為されたのをいち早く察知した古次さまは、言下にこれを退けられたと申すのですな、武士に二言なし、父母の情を情として汲んでおらぬ身からしてみれば当然、二言もなにも、阿可女さまと離ればなれになることない暮らしぶり、復縁を望まれるなどもっての他、そのさきの模様については語るべくもあるまい。
次に金目流の趨勢について知っていただきたく存じます。さきほどの廃墟こそかつての大屋敷であったのは紛れもありません、ただし昔日の華美でございます。もともと南朝の流れを汲む流派として栄えておられたそうですが、世襲よる家元の君臨より、芸の奥を極めた達人のみが秘術を伝授され後嗣と任命されし流派、家元ともなれば余人のうかがうすべもない、それはそれは秘匿された芸風であったとか、ゆえにあまねく高名は知れ渡れど、門人は少数精鋭の結社のごとき呈をなし、これは随門流も同じくでございまするな、という次第でひとくちに華道と申しましても、凡常の技芸ではござらん、むしろ常軌を逸した光景にまみえるとさえ評されたといいますから、優雅や華飾とは無縁の道を切り開いていかれたと承っており、位の高いお方らにも疎まれ出した頃にはすっかり名誉は下り坂、反対に冗漫を廃し、毒舌的ながら芯だけを一輪残したふうな極めて禁欲とも見間違うであろう随門流は、その質素な様式ゆえにいたずらに晦渋さを擁せず、まるで座禅のひとときのような緊迫と安逸の雰囲気を醸していたそうでございます。もちろん解脱とか悟りには似ても似つかぬのですが、そうした気安さが連綿と生きながらえてきたのでしょうな、金目流の哲理の壁にさえぎられたふうな重圧は感じられませんでした。
さてではいかなる由縁にて金目が残存し、ひいては阿可女さまのこころを奪い、謀反と呼んで差し支えない所業に至ったのか、簡便に説明いたしますと、まず随門師は金目幻滅斎どのを非常に崇拝していた、師本人は決して言葉にする機会はありませんでしたれど、揺るぎない事実なのでございます。更にあわよくば金目の奥義を頂戴したいという隠れた非望があった、これは外部はおろか門弟たちにさえ勘づかれてはならぬ、、、もうお分かりでしょう、小夢さま、兄妹の情愛を知りながら身分の隔たりをつくり、不能でありながら阿可女さまを寵愛されていたのは、他でもありませぬ、双子でありながらですぞ、古次さまの凡庸な熱情に感心しながらですぞ、随門師は妹の才覚を鋭く見抜いておったのでござります。こやつなら金目の秘術を体得出来ると。小夢さまが家元に建前のうえでは招聘されたのはご存知ですな、そうです、蛇の一件でござる、古次が身を寄せたばかりの夜、自分はもろ助という名の蛇であるとの迷妄、随門師はあなたさまには古き記憶がめぐった、それで公暗和尚に願って身をあずかったと申されたようですが、それも一理ありましょう、けれど本意は双子として阿可女もまた転生を口走るかも知れぬという期待であったわけでして、此度のごん随女史の婿入れなぞ、一石二鳥をうたったいわばよそ目に向けさせがたいが撹乱、真意は阿可女さまの開眼にあったのです。それほどあの方の才覚を感じとっていたに相違ありません。
多分すべては話しておらぬでしょう、しかし家元は金目流への修行を強行しようと説得にかかった、阿可女さまの沈める希望とひきかえに、、、そうです、古次さまを跡目にしようという口約でございます。阿可女さまからこうお聞かせいただきました。束の間じゃ、おまえなら金目の秘術を簡単に会得できよう、金目と随門が今こそいにしえのときを経てひとつになるのじゃ、と。
兄妹の身分を隔てただけでは気が済まぬ随門師は、言葉を交わさぬとも意思の疎通が可能であったことも知っており、妾同様に閨にて女体をまさぐり続けていたです、阿可女愛しさに違いなかろうでしょうが、目的は古次さまの炎のごとく嫉妬と屈辱を欲したからでございます。耐えきれないのは古次さまより、あのお方、、、そこまで算段しておったのです。泣く泣く承知いたしたのはそれとなく気づかれたでござろう、阿可女さまとて都合よく兄が後嗣に治まると甘く考えてはいませんでした。そこで牽制するがごとく小夢さまを間に挟み、家元の腹の底を探ろうとしていたのでございます。だが、肝心の古次が情愛より、ひととしての矜持を最期に選びとってしまいました。それがしが古次さまの刃傷沙汰を自決と判じるのはそうしたわけでなのです。家元、女史、阿可女さま、それぞれの言い分をお聞きなり、ようやくその真髄が見えてきませぬか、わずか数日の狂おしい時間によって、、、
さて金目の秘技さえ持ち返ればですぞ、口約ながら古次は家元、おそらく流派が二分したなぞ屁理屈にてごん随女史の婿どのも家元と相成る、火急を要したのは小夢さまの身元調べを綿密に公安和尚を介し行なっており、いよいよ一石二鳥の慶福が近づいたからでございます。
それがしがこの地に参ったのは半月ほどまえ、とが人でしかなくなったからにはこの陋屋こそが相応しいというもの、おお、そうでござった、それがしの事情と申すか心情を開陳しておりませなんだ。ほんに短い逗留でしたが、思い返せばあの兄妹は監視下にあったも同然、いいえ、それがしは随門流には赴いてはおりませぬ。
こう申しておきましょう、小夢さま、それがし金目幻滅斎どのと会見出来ましたより、阿可女さまを抱いたことのほうが至高の幸せ、思い残すことはなにもありませぬ」