妖婆伝44 駕篭の中からもの言うことは自ずと躊躇われた。自然の理に逆らうふうであり、禁句同様にはしたなく、また悪あがきに似た見苦しさを承引していたからである。雲助と侮ったつもりはなかったけど、家元の手配した駕篭かきが慣れ慣れしく話してくれるはずもなかった。小夢の念いはくり返し、阿可女の面影へと沈潜していくしかない。 家元の言い分を額面通り受け取るなら、ここが思案の別れ道なのだが、傀儡としての役割を成し遂げれなかった処罰により憂き目をみているのやら、それとも随門の乱心を看破しており、善後策を講じる為さほど不遇の身におかれているわけでないのか、以外や金目流に救われた念が強く、おおらかな心持ちで過ごしているのやら、が、もっとも憂慮されるのは追手とは名ばかり、用済みとして送られてくる門弟をいかに迎えるべきなのか、更には古次の死をどう胸に収めて、いや収まりきろうはずがない、そう考えるのが至当、善きにつけ悪しきにつけ、小夢は阿可女に合わす顔がないにもかかわらず、この期に及んで尚おのれの命とひきかえになど、過剰な大義をふりまわし激しい情愛の炎を燃やし続けている、自身の熱病こそ鎮静されなければならかった。 小夢の意識はこれらを順繰りに反芻させてみたけど、希望と絶望の配分を覚えないまま撹拌されるだけだったので、所詮は憂いの域から脱することなく、血なまぐさい幻影に彩られるのが関の山、さっぱり埒があかなかった。熱病を引き起こしている当人にとって思案とは迷宮でしかない。 昼までには目的の地に着けると聞かされて言葉だけが頼りになった。そして激情と戦きで胸いっぱいになったあり様を笑い飛ばし、次なる冒険へと飛翔してゆく説話の王子さまの心意気に転じてみた。この意識変化は無謀でもなければ、笑止千万でもないであろう、思考が停止した限り、残された術は心身が待望している未知の領域へすべてを投げ出すより他になかった。 木々の間を駆け抜ける駕篭に注ぐ木漏れ日が密かな快感に変わるとき、すだれの編み目を通し、着物の紋様を小気味よく、優雅に明るく染め直すとき、半面に浴びた光線の点滅する加減はまたたきに準じて自在を得る。頬を黒髪を、矢継ぎ早に差すひかりに乗れば、夢幻はうつつに捕らわれ、山々の霊気を身にまとい、ひたすら狂女の面持ちでまだ見ぬ景色さえ睥睨していた。火急の折だからでもなかろう、小夢に去来する光輝な地平は極々ありふれた瞬間に現われていたような気がする。これは捨て身の覚醒であろうか、いや、阿可女の顔かたちまで薄らいでしまったからには本然と認めるが正しい、宙に浮いたこの感覚、まさに桃源郷に違いない。 こうして小夢は女々しい葛藤を経て、理性と狂気の境に立脚した。もっとも浮遊していたのでこの言い方は適切ではなかろうが。 「あねさま、到着しました」 えらく丁寧な響きで駕篭かきふたりが揃って声を出したのが不気味なくらい愉快だった。 「ご苦労でありました」 小夢の声音にも狂女の汚れない優しさがこもっている。だが、こころの底から湧いて出たような気持ちが純真無垢でなく、選ばれし演じられる表情をなぞったに過ぎないことを瞭然と思い知らされた。 冒険の果て、希望の地平、うつつの本山、、、眼前に映じているのが金目流に違いなかろう。駕篭かきに問う気力は抜け落ちていた。小夢の瞳の奥にまで確実に満たされているもの、それは廃墟に残された陋屋でしかなかった。 「あっしらはこれにて御免仕ります」 一礼に応えてはみたものの、又ふたりのうしろ姿を見つめていたけれど、切り開かれた山間の荒涼たる風景にたたずむ意識が遠のいてゆくのを放置したまま、目線を那辺に泳がせればよいのか判断つかず、茫然と立ち尽くすとはまさに現状を指し示すのであろう。 牢獄でも処刑場でなかった、、、では姥捨て山か、ふたたび狂女の笑いがこみあげて来たが、無垢と擬態の相違に悩まされ煩わされることはもうない。随門の悪巧みに関心する間も無用、の毛子の言葉は枯れ葉のごとく空を彷徨うけれど情感と切り離されている、阿可女の姿態が寒空に大きく広がったのも錯覚なら、金目流の栄華こそ、この寂寞とした枯れ野に眠っているのだろう。正午らしい天上に太陽が輝いている。木漏れ日には格子戸の向こうを想わせる隠微な陰り、そして奥床しいさがあったけれど、こうもありありと頭上を占領されてしまえば、だらしなく降参するのが似つかわしい。白日のもとに晒される気分は決して惨めではなく、却って清々しかった。朽ちた礎とまではいかないが、土中に半ば埋まった門柱らしき木片や梁の残骸が風雨に蝕まれ、土気色に同化しているのが侘しくもあり、ところどころ青みを帯びた雑草の意欲がよく映える。 背後に気配を察したのはどれくらいしてからであったろうか。失意の底を徘徊するのが任務であると思いなした小夢にとって、ひとの息づかいは同調によるものでなく、いにしえに文献を漁っているときなぞに感ずるものでしかないような気がしていたので、足音と同時に自分の名を呼ばれた刹那、夢幻の彼方からの、死神からの招き声だと肝を冷やした。おもむろに振り返る仕草こそが天上への忠誠であり、復讐である、懐剣にそっと手をやり、 「どなたでございます。わたしの名を知る、、、」 と言いかけたのだが、目を会わせた途端ほとんど忘れかけていた緊張の糸が少しだけゆるむのを感じ、あらかたの謎が解けたような奇妙な確信を抱いた。気抜けもあろうけど目尻がやや垂れるのが分かり、痴呆みたいに口を半開きにし声の主の風貌をまじまじと見つめた。 「怪しい者ではありません、小夢さま、それがし根図中左衛門と申します。すでにお聞き及びでござろう」 「あなたさまが、、、根図どの」 「いかにも、古次さまより仔細は承知されたし」 「では、わたしを討ち取りに参ったのですね。あなたさまの素性は知ってか知らぬか」 「早まってはいけませぬ、討ち取りなど、左様な物騒な」 「もう、たぶらかされませぬぞ、密偵として暗躍、旗本屋敷から随門流、そして荒廃の館、金目流」 目尻ははやつり上がっている。小夢は興奮と動揺の渦中にいた。が、激しい怒りに任せての忘我ではない、反対に激昂を眺めているふうな渇いた交誼を介し、疲弊したまなざしの回復を暗に願った発露であった。ゆえに中左衛門からの厚い慈愛と、流暢な言い開きに小夢は耳をしっかり傾けた。恰幅のよい威厳ある容姿で立ちはだかっていたけれど、若侍を偲ばせる雰囲気が幾ばくかその月代にかいま見える。 「古次さまより、いかが承ったかは存じませぬ。いえ、他の方々も同様でござる。さて小夢さまがこれまでの辛酸、それがし失礼ながらよく存じ上げております。不本意ながらの刃傷には察するところ余りあります、くれぐれも自責の念に執着されることなく、平静を保ち頂ければと願っている次第、はい、古次さまとて決してお恨みなぞいたしておりませんでしょう。随門師の申されるよう自害と裁定されうるべき所業、小夢さまもお察しくだされい。またそれがしの身上についてはあからさまに出来ぬところもありますゆえ、平にご容赦のほどを。 まずこの地についてひとこともふたことも述べなくては小夢さまには得心いただけまい、見てのとおり金目の本山に偽りはありません、が、昔日の名残りは連綿と今だ絶えることなく続いています。金目の家元、幻滅斎どのも高齢ながらご健在、第一の気がかりでありましょう、いや、これは失言、ごん随女史からの任務でありましたな、阿可女さまもご別状なく、ご安心くだされ。今すぐにでも韋駄天のごとくお連れしたいのですが、ほんの猶予を頂きたい。それというのもあなたさまの疑心を解きほぐすのが先決、随門流の甘言にはまってしまわれたのは災厄でございました、古次さまよりの言説にもあやまちあり、いえいえ、それがしの弁明ではありません、では絡まった糸をひも解く要領でお話いたしましょうぞ。むろんでござります、金目道場までさして遠くもありませぬゆえ、道々ながら」 |
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