妖婆伝36 生気を失ったのか、それとも神経を高ぶらせているのか、ただでさえ泰然としていた随門師のぬけ殻めいた居住まいに、ことさら思い詰めた情感を被せるわけでもなく、狭いだけでない、息苦しささえ提供していた茶室をひとりあとにした胸騒ぎが、如何にきらきらとしたさざ波であったか想像するのは困難であるまい。地下通路を抜け床の間返しからもとの大部屋に戻るまでの間、簡潔にときの流れているのを不思議に感じ、また信じられないくらい閑寂な気配に包まれいると思い、ほくそ笑んだ。 見えそうで透けてしまい、透けるようで浮き出てくる、、、明晰な夢想、、、随門師は「わしを疑ってみるか」と、賭けともいえる捨て台詞を吐いたけれど、小夢からしてみれば、渦中に巻かれているには違いなかろうが、家元争議など別段関わりたくもなし、両者を天秤にかけてみようとも思わない、また驚嘆で肝がつぶれると感じた、やんごとなき方だの、寵児だの、婿取りだの、気狂いの果てだのといった斬新な現実に翻弄されているとも考えたりしなかった。 もう沢山と叫べば、それなりの形式に畳まれるかも知れないが、これでは情念の先行きがあまりに見通しよく、うなぎの意気込みを台無しにしてしまう。なるほど確かに学問所とやらで閲された本性が小夢でもなく、牛太郎でないにせよ、あるいは随門師がまだひた隠しにする面目にせよ、それらは自分と関係してようがしてまいが、今こころして係らなければならないのは、まわりが面倒になり打ち捨てた、が、おそらくもっとも適切であったろう、うなぎの転生から日々を切り開くという意志なのである。だからこそ随門師匠への助力や、双子らに対する奉仕を怠るつもりはない。偽善者は偽善者らしく振る舞えば、より光沢のある重箱に収まるというもの、更に小夢の意志を背後から支えていたのは、まごうかたなき黙念先生の影、随門師とて応えにためらいが、いや、家元は真髄など会得していないのだ、とするなら、あとはおのれのひかりで照らし出すより仕方ない。煩悶そのものに立ち返り、そこで女体と雄うなぎを飼いならすのだ、愛でるのだ、安易に互いを懐柔させたりはせず、ひたすらにこの鮮明な事象に向き合おう。 小夢は着物のすそをまくり上げ、大部屋のまんなかにどっしりとあぐらをかいた。そして目を閉じ、黙想に耽った、無論ときは間違いなく逼迫している。ふすまの開ければ古次が待ち構えているだろう、、、だが、この部屋の底の方では随門師が最期の策を祈願している。火急とはいえ直ぐさま血の雨が降るわけであるまい、日輪が雲間に隠れる間合いくらい許して欲しいものよ。 小夢はすべての執着を川に流しつつ、川底の仄暗い寝床に身を沈め、水面を仰ぎ見た。このひかりでよい、燦々と降り注ぐ陽光は水流にもの申す、しかと聞き入れたり、、、 古次の正体どう判じよう、もろ助であるなら、わしを欺いておるのか、同じ熱病でも記憶の障害が異なるゆえ、本当に牛太郎を忘れてしまったか、それとも世間はせまし同様の名を用いたに過ぎんかや。ともあれ学問所の調べに対し黙念先生ともろ助の名を口にせなんだ、我ながら筋金入りの小胆ぶりよ、裏を返せばそれだけ信念があったということか。 さておき欺瞞であるならば由々しい事態、わしの恩人でありながら今度はあべこべの立場にある、訳はもうよい、いつしか聞いた幼少の意志を貫いておる、、、そうじゃ、貫いておる、、、この閃きあながち法外であるまい、彼奴どじを踏んだな、とんだどじを、、、これはわしにも言える、そもそも妙に色欲を覚えたのは蛇のすがたを庭の灯籠に見かけたという怯えに始まる、ここが肝要、妙がもろ助と認めたのでない、わしがそう聞き及んでしもうたのだ。しかし欲情とはそうも容易く喚起されるものやら、いいや、恩を忘れた呵責が亡きもろ助を引き寄せたなら、異なる方面に情念はなびこう、死骸を葬ったわけでなし、つまるところわしはもろ助の死を見届けておらん、彼奴は生きておった、そしてわしをまねて転生を図ったに違いない、あの旗本屋敷において、、、ところがそこで重大な失態を演じてしもうた、思い浮かぶのはこういう図じゃ、兄妹仲良く並んで小便を足れていた、そうだとも、阿可女と同じ姿勢でな、ひょっとしたら件の節句の折かも、、、言うでおったでないか、衣装なぞ趣向を凝らしてと、、、しかも双子、おさなごの古次の股ぐら、間違えようものか、陰と穴を、、、 この推測もすぐに明らかになろう、この耳でしかと聞き出してやろうぞ。他の事情も案ずるよりことに当たろう。 次は阿可女の番、古次との契りとは片腹痛いわ、もろ助と交わるなど考えただけで気色の悪い、そりゃ顔かたちは瓜二つだけれど御免こうむる。まず随門師からして阿可女が談判しに来おったと怖じけ気味のありさま、古次との対面を許可し、あまつさえ阿可女の機嫌を損なわぬような口ぶり、元来は師弟であろうに、借りに双子の背後に隠れた権力があったとして、何故それなら丁々発止と渡り合わん。よくよく顧みればこのわしを挟んだ牽制にしか過ぎん、弱腰にはとてもつき合いきれんわ、同時に百年の恋も興醒めじゃ、とはいえ、はなからわしは至上の愛だの恋を敬ってきたわけでもない、所詮は世界を決めつけたかっただけ、弱腰に変わりない。が、弱腰ながらうなぎは阿可女を好いておる、そして小夢は方便に迷っていた、、、なら出方は決まりじゃ、わしは古次なんかに抱かれん、阿可女を抱いてやる。 多分に先方とて随門師との協議を察しての成りゆき、攻防戦ならわしが先制攻撃にでようぞ。「はい、阿可女さん、自ら思案しました」これでよろしい。 残りはごん随女史の婿取りじゃ、このわしの子であるとな、、、うなぎ以前のことはきっぱり切り捨てたわ、情にほだされたりせん、ただわしの出方次第で人々に影響を及ぼす。しかし、それぞれ勝手に思惑を描いておるのだろう、なら勝手にすればええ、わしは人情家でも篤志家でもない、そりゃここに住まわせてもろうとる恩義は片時も忘れはせんが、それだけ下働きに従事してきたつもりだし、実際にはわしの出自を承知で、つまり後々家元にとって余得にあずかる胸算用があってのこと、差し引きしてもおつりが来よう。 と、まあ腹づもりは出来上がったわけだったが、心残りがなかったといえば嘘になる。封じ込めたうなぎを泳がせたまではよかったし、観念したごとく情況を見切ったこともいさぎよい、しかし世界を決定したとは語弊があり、却ってよそよそしさをちょうど背中のかゆみのように感じていた。 かゆみであることが肝心であった、何故なら黙然先生が実在するなら、うなぎの転生は夢物語でなく現世では信じ難い真の奇跡として輝くであろうし、来たるべき将来、この時代では想像もつかない光景と出会ったとき、いや、そう想いを馳せるとき、ひとのこころもすっかり変わってしまって、男女の区別はなくなっているかも知れない、子供が大人になるのでなく、反対に大人は子供に成長する。この国は世界に向かって羽ばたいており、鳥が文を運んで来て、魚はひとを海中に住まうよう提案してくれる。黙念先生の銅像が国中の学問所に設置され、残念ながら随門師匠や公暗和尚は歴史から抹消されてしまう。そして空に向かって雨が立ちのぼって、ときには人々の涙も入り交じっていることがあり、海の表面が巨大な鏡になって夜空に瞬く星をすぐそこまで近づける。 他愛もないかゆみだったが、小夢には美しい幻想であった。立ち上がりすそを正し、外の気配から枯れ草の気持ちをもらい受け、ふすまを開くと、斜陽で色づくべっこう飴に反照をした長い廊下をゆっくり歩いていった。 |
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