妖婆伝32


流派の秘技は極めて厳かな気配を要請された。何故というにこの情景がかりに茶屋の広間で催されたなら、大方の者は低俗な趣向と半ば嘲りをもって喝采し囃し立てはするものの、決して気高い芸道とは認めたりはしないと思われるからである。小夢にしてみても、緊迫を背負った特異な状況であったから、不意をつかれたような、異変が生じ乱心に至ったような、茫然自失のさなかに放り込まれて、四囲の出来事に立ち会うというより、自身の狂乱を鎮めているみたいな錯誤を発生させたのだった。そうしなくては、村八分の憂き目に合ってしまいかねない戦慄に覆われて仕方なく、恐怖の感情とは異なる沈着なまなざしが予想だにしなかった光景と向き合うことによって、そして何より阿可女への偽装じみた情愛がこの場を喜劇とも悲劇ともつかぬ、異形の空間に昇華してくれていた。小夢の目線は宙を泳ぎながらも、ある一点に収斂しようと努めていたのだ。
信じ難くも信じざるを得ない、愛なのか、取り繕いなのか、ただの邪心なのか、めぐりめぐって行き着いた土地はこの港町であったが、当人しか握りしめていない錠前の鍵はどこへ隠すべきなのだろう、煩悶の末に選んだのは愛妾の身にやつしてでも、屋敷内の修羅から逃げだしたい一念であったし、その修羅に加担していた消すことの出来ない事実は終生つきまとうであろう、所詮は疎ましさから遠のきたいだけ、生命保持は抜かりなく心得ていた。そんな自嘲めいた考えも新鮮なひかりと共に放たれると、都合のよい具合に鍵の隠し場所は目がくらんだのを幸いに、等閑に付されて更なる延期、突き詰めるべきものはそつなく風化されよう。
小夢の眼前に展開する珍妙な芸に半畳を入れるような無粋なまねは許されない。瞬時にして悟ってしまったのだ。直感でひも解いた色欲がこうも鮮やかに成し遂げられるとは、、、阿可女の顔つきは間違いなく柔和であったし、より深い情を胸に焼きつかせた。いや、そう感じ入る必要に促されたともいえるだろう。どちらにせよ、小夢の執心に変わりはなかった。あの時点では想像にも及ばなかったが、いつかは我が身に降り掛って来るに違いない家元の教えに身震いを覚える反面、引き受けてしまうことの葛藤は生じておらず、うなぎ魂を讃えてやまない傲岸な痴情がぬるりを顔を見せていた。あとは呻吟の末に派生する泣き疲れた心情をいたわるふうな薄笑いにまかせ、というものそれは鍵の置き場の見失ってみるに等しくて、至極まっとうな流れであると思われたからである。川の流れに罪などあり得ないように。
日々を一緒に過ごしたおなごらが裸になった、揃いも揃って、これは演芸かや、、、下女扱いに不満を拭いきれなかった憎悪に寄り添った情念は、奇妙な転倒をまえにして安楽な悦びに浸りかけている。わしが姫さまじゃ、もとはお人形さまだから、そしておまえらは女中に過ぎんのだ、何と愉快な見世物であろう、、、小夢のこころに悪心が芽生えたとして、それは致し方ない、あまりの事態に収拾がつかない分なす術は開き直りにも似た安逸な心構えに落ち着くしかなかったのだから。
風変わりな秘技は忘れかけていた生花の差し入れによって一段と風趣に富んだ。別段すがたを包み隠す必要もなかろう、劇中における黒子の役割に徹したまで、古次の両手に束ねられた生花がふすまの奥から届けられる。小夢は古次をこのときほど健気に思えた試しはなかった。梅に菊に寒椿、水仙あり、名も知らぬ草花あり、ただし以外や数は少ない。やや小首を傾げた程度で済ましたのは正解であった。訝しがるよりか、華麗なる秘技に瞬きする間を惜しむのはすぐさきのことだったからである。一方、随門師といえば悠揚と構えたまま微動だにせず、さながら熱い茶を冷ましているような自若の境地にあった。
さあ、空想の翼さえたどり着けぬ芸当が家元の鎮座に奉られる様相で開始された。内弟子たちはまるで武術が編み出した技のごとく素早く一斉に畳へ伏せたかと思うと、各自あたまを縦横にごん随との毛子が縦、白糸と阿可女が横に組んで両の腕は脇にしっかり添えられ、ちょうど十字の形をなし、ほぼ髪をひっつけたままうつ伏せになった。それは鑑賞に値する凄艶なすがたで官能を漂わせていた、現にそう裏付ける為に四人は息を殺し沈黙に身を捧げ、一糸まとわぬ裸身から香り立つであろう肉感を棺桶に封じたような蕭条たる生命に殉じている。だがを模した形状は形状であることにより却ってその生々しさを嫌がうえにも匂わせ、者を演じる意想は虚言に対する反撥を招く勢いと同じで、強烈なまでのなまめかしさを振りまいたのだった。おそらく身動きを認めさせぬこの姿態は相応の効果を引き起こし、さぞかしこれまでの客人を悩ませたであろう。それほど内弟子たちの異様な伏臥は堂に入っており、ひかりは沈黙の彼方に吸い込まれていた。
やがておもむろに師匠が腰を上げたとき、小夢ははたと膝を打った。先程ごん随女史は、わたしらが花と大言したけど、どうにも大雑把に聞こえる、四人の裸体は花であると同時に器でなかろうか。尋常の花器などでない、それはとてつなく淫靡であり醜猥であり、例えようもなく秀麗に違いあるまい。年齢こそまばらだが見よ皆のあの腰つきを、脇腹から優雅に下ったくびれを、それもひとえに至上の器と化す臀部を飾りたてるがゆえ、かくしゃくとした足取りで手にした菊の枝葉は今まさに生けられようとしている。
小夢は目を見開いた。これが家元の秘技、数年もの間いっこうに授けられる素振りさえなかった暗黒の極意、随門流すなわち肛門生け花、、、それぞれの尻に一輪差しの清さ、ああ、何という美しさ、手折られた菊や梅の花弁が急激に色鮮やかに染まるのは気の迷いで済まされるのか。しばし玩味のあと尻に吹きつけられるは焼酎、消毒なるか、はたまた浄めなるか、それはさて置き、糞尿をひりだすとなれば、肛門のみとは片手落ちなのでは、、、小夢は動悸が高まるなか女陰の役割がおぼろげながらよぎっていった。だがそれはまだ目の当たりにしておらず、確証を得る猶予が快楽に連なると見込んで十文字に伏せた内弟子を尊敬の念で凝視する。ほぼ推測に誤りはなかった、ごん随女史を筆頭におなごの面には悦びが溢れ出ているではないか。わしが悶々とした日を抑えこんでいるなか、四人の愛弟子は華道の名分において斯様な快感を享受しておったということ、芸道そく官能であったわけじゃ、、、歯ぎしりに身悶えしつつ、悲境であるとか、貧乏くじを引いたなどとは考えず、ここに臨席している紛れもない現実に夢を託し、それはそっくりそのまま肛門の卑猥が華やぎに転じる様態へと受けつがれた。気ままでは成立しない闇の穴との触れあい、生花とはいえせる生もの、だが肛門は異なる、隠微に排泄物と関わりながら栄養素の残滓を愛でたりせず、憎みもせず、ひたすら生命体の器官に徹しているに過ぎない。随門流はよくぞこの不毛な肉の躍動に着目したものよ、花器としてこれほどの逸品はあるまい、、、小夢のこころは阿可女のとろんとした目もとを引き寄せ、排泄物の臭気を芳しさに移し替えようと躍起になった。つまるところ観念が優先されるべきなのだ。しかし臭いものは臭いのであろう、家元の神髄は如何に、、、