妖婆伝29


「そうさな、かまわんとも、わしは愛しい阿可女の段にもってゆこうとしたけれど、なるほど古次のその後は捨て置くわけにいかんな。生き写しであるからのう、いいや別に顔かたちだけでついでのごとく古次を語るのではない、確かに仔細とまではいかぬが、わしの知りうる限りは話しておくべきだろう。それに言い忘れた箇所もある、では続けようぞ。
あんたの疑点もっともじゃ、いくらなんでも古次って奴かなりの楽天家でないかと、それはそうさな、幼年ならまだしも、いい大人になってまだ阿可女に執着しておる。で、兄妹どうしで婚姻できると思っているのか、そこが解せんのだろうて。わしも同じよ、しかしこの世に常軌を逸した情愛が見受けられるのは上田秋成をひもとくまでもあるまい、現にわしはかの屋敷で近親者の糜爛した肉欲に携わったからのう、そういう意味合いで古次を糾弾するわけにはいかん、逆にどうみても引き裂かれたとしか言い様がないにもかかわらず、あそこまで気高く清い愛を抱き続けるほうが余程、情熱があり不思議に感じられるわ。いや、こんな穿ちも可能でないかや、古次は初めから血のつながった兄妹が結ばれるなんて信じていなかった、信じていなかったがゆえに、どうしても離れられず、平素の意識とは異なる働きがああした情況に至らせたとな。つまり異相から眺めれば中左衛門とて、本願成就の為の足掛かりでしかなく、験者の死に及んではまたとない好機であったのではなかろうか。
さあ、では赤子の首は果たして何奴が切り落とし隠してしもうた、そしてその動機は如何に。残念ながら異変の詮索が開始される以前に古次はこの土地に身を寄せていたから、どのような探査がなされたかはうかがい知れぬ、もちろん外よりの報せは皆無じゃ、ひとつだけ光明を見出すなら、それは阿可女のこころに隠されていると察せられようぞ、これは後日古次にそれとなく問いかけてみたのだが、、、
それで身分を定められ阿可女さんとは昔のように気軽に喋ることも出来なくなってしまったのですね、どうでしょう、わたしには中左衛門なる若侍がふたりの約束ごとを見抜いていたとは思えないのですけど、、、すると古次は、はい、ひとの胸中を探る才にたけていただけのことでしょう。と、申しますのは、はてどのような、、、わしはそれとなく分かった気がしないでもなかったけど、あえて謎めいた顔をつくり返答を待った。
せいぜい聞き耳でも立てていたのではないのでしょうか、わたしらもまだ幼かった用心したつもりでも壁に耳あり天井に目あり、中左衛門がなんらかの目的で家屋敷を混乱させようと企てをしていたなら、日頃からわたしらを気取られぬよう監視していたと思われるのでございます。阿可女には、、、えっ、どうなんですか、わしの口調は次第に激しくなり、では、どうなんです、確かめてごらんになったのですか、ほとんど詰め寄る勢い、これには古次も閉口した顔つきを示し、間合いを取るよう背筋を延ばすと、いいえ、阿可女に訊いたことはありません、ここでふと我に返ったわ、まえに語ったように古次にとってそれは最後の砦であり、禁断の園であったはず、これが露呈してしまえば、この男の夢は途端に崩壊してしまうだろうよ、儚さを知りつつひたすらに耐え抜く意思が。
さあ、どうしようぞ、実はな、阿可女との出来事に取り急ぎたいのはひとつは中左衛門や怪死の謎に迫りたいからじゃよ、古次の世界は閉じておる、ほんに見事なまでに閉じておる、ところが阿可女が醸す雰囲気はまるで正反対だわな、今いうた謎そのものを包含しているのがこのおなご、世界は開示されているようにさえ思えてくる。じゃあ、いいのかい、では端折るとしよう、そして阿可女から聞き出した驚きの事実を話してあげよう、おっとそのまえに阿可女と親しくなった経緯を簡単に説明せんといかんな、これは肝心なことだからなあ。
手掛かりはあのうら若き娘の毛子に発する、そう言えばどうかな、狐にでも騙された心持ちがせんかい、が、本当だから仕方あるまいて、小生意気な口ぶりは相変わらずだったが、見た目は随分としなやかになり、からだつきにも色香が存分に備わって、中々そそるものがあったわ。それはさておき常日頃から古次と同じよう下働きばかり、そのうえ小言の治まる兆しもなく、その頃にはこれは目論見というより逆らえぬよう押さえつけているのだ、ただ単に逃げられでもしたらことなので、生かさず殺さずの精神を敷衍しているのだ、そう思いなすことで悔しいけどおのれを丸め込んでおったのじゃな、もっとも阿可女だけは恋しいあまり、用向きとはいえ口をきいてもらえるだけでこころ弾んだ、弾んだというても手放し満面の笑顔なぞは禁物、誰にも悟られぬよう警戒したものよ、特に古次にはのう、、、あの男は半ば共犯者、はてはて、裏切りでありながら同情さえ感じていたから余計になあ。
で、ある日のこと年の瀬に近い、あわただしさが寒気によって的確に包まれているような昼下がり、珍しく随門師が炊事場やら玄関口にすがたを見せ自らあれこれ皆に指示をしておった。そこで又わしの手違いかや、年代ものの掛け軸を納戸から運び出したのだったが、どうやら絵柄が異なる、めざとく察知したの毛子、いつにない高圧な口ぶりでわしを叱責した。ところがじゃ、随門師がさも大義そうに、つまらぬ諍いなぞやめてしっかり働けと言わんばかりの顔つきで、どれどれと掛け軸をのぞき込んだ。そして、こともなげに、ああ、これでもかまわん、そう言ったのじゃな。安堵を覚えたわしはよかったのだが、いらぬ癇癪を起こしたみたいな態だったの毛子は引っ込みがつかんのか、さも歯痒そうな顔つきをしておった、それで随門師が立ち去るやいなや、つかつかと歩み寄りいきなりわしの頬をしたたかに打った。目から火花が散ったとき、あたかもそれが火種であったかのごとく、わしの溜まりに溜まった怨念らしきものが爆発してしもうた、気がついたときにはの毛子へ逆襲、めった打ちにした挙げ句、足蹴にし、まわりから取り押さえられる始末、ようよう気を取り直したけど後悔は感じなんだ、と並んでさほど憎しみも抱いておらんのがわかった気がし、まあ、これだけ乱暴したのだから当然じゃろうがな、髪を乱れに乱し、薄くはない青あざ、口から血を流しているすがたに痛々しさを覚えると、その場にへたりこんでしまった。
の毛子は悔しさより恐怖に襲われたふうな本能をはっきり面にしており、何度も瞬きをしていたので、思わず土埃にまみれた手を握りしめると、おいおい泣き出し始め、わしはそのとき、初めてこのおなごが可愛らしく見えた、いいや、すがたかたちでない、そのこころがじゃよ。
そんな出来事があってから、いつしかの毛子の態度に変化が現われ、といっても徐々にで、さほど劇的な和睦が演じられたわけでない、流れは割愛するとして、まあ、それが縁となってわしは内弟子のひとりと仲がようなった。考えてみれば、わしの方が負い目をいつも面前にし、まわりに打ち解けようとしていなかったように思える、無論うなぎの秘密のせいなのだが、随門師を畏怖するよう他の者らにも一線を引いていたのは間違いあるまいて、まったくお人形さまの独り相撲は救いようがないのう。
そういうわけでの毛子とはほんに気安くなり、いつしか白糸やごん随、それに阿可女とも他愛のない話しを交わしておった。で、阿可女と親密に、といきたいところだが、おいそれ容易く恋は成就せぬ、まずはの毛子とのやりとり、そこでようやく判明して来た家元の素顔など、これらを通して物語は発展するのだから、もう少しだけ説明がいるというもの、あんた、ほれ呑みなされ、そのうち酔いなど吹き飛んでしまおうぞ」