妖婆伝28 「続けて古次は語る。これらが古次の知るところのすべてだったのだが、、、 絶縁を申し渡されるに及んで、父母からこう諭されたそうじゃ。当家は汚れてしもうた、赤子の怪死に限らず、そなたら兄妹はまことに見目麗しいのだが、生誕の折より世間では双生児を不吉の報せと忌む者あり、斯様な惨状を呈したのもその由縁なりと陰口甚だしく、このままでは体面が危ぶまれよう。瑞祥と思いなし、嫡子としてより愛おしさが勝っておるのは言わずもがな、断腸の思いである。勘当とて表向きと心得よ、いずれ機を見て、当家に戻れるよう取り計らおうぞ、、、それまでの辛抱よ、と苦し気な面持ち、脇の阿可女を見遣れば恐れ入っているのか、よく呑み込めたのか、いかにも家名に従っておるような顔つきだったそうな。 さて古次、年少とはいえ、事態の過酷な様はちゃんと理解できておる、復帰なぞあり得ん、これは父母の悲嘆からついて出たなぐさみの情、惑うも惑わぬもない、いざ今生の別れ、そう自身に言い聞かせ、翌日には身支度を整え屋敷をあとにした。が、ふた親の口上に偽善が染み込んでいたように、古次がわにも偽りがあった。ことの起こりは中左衛門の不審に違いなかろうが、その委細が異なる。端麗な面に朱が走ったかと思うと、目つきに妖しさを帯びて、ややうつむき加減でこう切り出したのじゃ。赤子を死なせたのはわたし同様、いえ首が落ちるなどとは考えてもおりませんでした、けれど、、、そう願っていたのを打ち消すことは出来ません。 話しを急ごう、次子誕生から間もないある日、古次はあの中左衛門からこう耳打ちされたという、おめでたいのはもっともなのでございますが、これはいささか困りものではありませぬか、そうです、阿可女さまとあなたさまとの婚礼、溝が入りましたようで、、、つぶらな瞳の奥に邪心のあるなしを計れといわんばかりの中左衛門の言い草、はたと胸を突かれた。何故なら古次と阿可女はゆくゆくの婚儀を交わしていたというのじゃな、いやいや、あくまで幼い口約束まで、だが古次にとってはその将来のみがあって、日々の暮らしも遊びも宙に浮いたごとくに実感がない、一刻も早く晴れて夫婦となる身を念じておった。念じるがゆえに他言は禁物、兄妹だけの固い絆に守られ秘匿されていたはずなのに、如何なる事情で中左衛門、普段はほとんど会話する機会がなかったにもかかわらず、絆を見知っているのか、まさか阿可女が口外したとは信じ難く、しかしそれより他にそとに漏れようはない、困惑すると同時に古次は萎縮してしまい、とうとう阿可女に真意は問いただせずじまいの有り様、妹に対する詰問によってすべてがご破算になってしまそうな不安に駆られたゆえに。その代わり不安はそっくりそのまま、不慣れな若侍に委ねられ秘密は遵守されようとしている。中左衛門の憂慮とは次子に阿可女を譲り渡さなればならないという、古次がこころの奥底で燻らせていた根拠をもたぬ怖れに相違なかったので、不安は怖れの相貌をより際立たせ曖昧を許さず、すべての気力はそのような成りゆきを是が非でも阻止するべく方へと流れ落ちた。 話しの様子から察するに中左衛門なる人物、かなり悪知恵が働くうえにその手際も嫌らしい、幼い古次をまさに手玉にとるよう忠義立ての精神だけはまっとうに、我が一命に代えてお力添え申しあげましょう、と迫る。が、これといった秘策を授けることなく、じっと古次の目をのぞき込んでは力む素振り、それよりのちも当人は何の援助らしい挙動を示すことなく、ただひたすら嫡男としての自覚を促すのみ。そして遂に堪えきれなくなった古次、尋ねるに、赤子に悪戯してみてはどうだろう、手を上げるような折檻はいけない、もっとも効果があり尚かつ確証など一切残さないよき方法は、、、そう口を滑らしてしもうた。案の定、中左衛門は目を見返すばかり、そのときだった、閃きがよぎったのは、、、その眼光よ、赤子に言葉は通じぬ、けれども目は見開いておるではないか、来るべき行く末まで見通すごとくに澄みきったひかりを宿し、、、ならば、その行く末を狂わせてみようぞ、思うが早いか、乳母のもとにあっても古次は異様な目つきで次子を睨みつけていた、いや、正確には口もとを綻ばせ、眉を下げ、あたかも肉親の情愛を振りまいているふうな表情のもと、暗きまなざしを送り続けていたのだった。 赤子に異変が訪れるまでにそう月日は要しなかった。以後の顛末はさきに話した通り、ただし中左衛門が験者を招きいれる際、古次にはひとことのことわりがなく、待ってましたとばかりの狡猾な素早さ、これには仰天、震えおののいたのは至極当然、よもや赤子に斬首の刑が処されようとは、、、が、事態は急展開、験者は頓死、肝心の参謀はみごと雲隠れ、二度と当屋敷にすがたを現しはしないであろう、そんな予感も生々しくあとは野となれ山となれ、脱力にまかせ思念が停止しかけた古次を見舞うのは風塵だけぞ、ついでに秘めごと一切合切を粉々にし吹き流してしまえ、追放の身がひねりだしたせめてもの発意、阿可女の顔色をも染めよう、、、 これが古次の悪業じゃ、ああ、分かっておるとも、あんた、そんなに乗り出さんでも、こうであろう、まったくそれしかないわな。 家名とひきかえにいわば島流しの憂き目、だが古次は落胆なぞしていなかった。いやむしろ晴れやかな気持ちを抑えるのに懸命だったそうな、これで阿可女と離ればなれにならなくてよい、婚礼は夢かも知れんが、おさなごころに芽生えた信念が勝利したわけじゃ、浮かれるなという方が無理よ、どの様なところだろうが阿可女を暮らせるならこれより他の幸せはない。紛糾した過去には未練どころか、引導を渡したい心持ちだった。 で、この港町に落ち着いたのだったが、その架け橋の仔細はおろか、随門師匠の思惑とて触れるは御法度、それは口頭で諭されたのではく、ふたりの兄妹は肌で感じたそうな。諸事情は随門師に通達されているのは確か、家門の汚れゆえの、いや世間体を慮っての決断、ならば師はふたりをどう裁定したのであろう、古次は口をつぐんでおった、赤子の怪死がすべてであり、くだんの悪戯、中左衛門との結託は決して口にせなんだ、ところが随門師はいとも簡単に古次の奸計を見破ってしまった。多分に緊張が禍いし、面に色濃くにじんだと思われる、古次もその辺は認めておった。そうなるとふたりの仲に収まっていた夢の世界は幽閉ならぬ、開城を余儀なくされ、実に適切な、あまりに悲愴なを審判を甘受するに至ったわけじゃ。おそるべき随門師、村最後の晩、公暗和尚と向き合った際の重圧がひしひしと呼び戻される、あのときの心境、古次のそれと比べ遜色はなかろうよ、互いに死守しなければならない黙約を抱えておったのだから。 しかしわしの場合はまだ救われていた、まるで肩透かしをくったような按配でさっさと所払い、ほんに安楽な身に上に思えるわ。それにひきかえ古次に下った裁定は生き地獄に等しい刑罰、婚礼を夢見たはずがその身分には容赦ない差別が設けられ、同じ屋根に下とは申せ、かつて兄妹であった名残りはどこにも見出せん、絵図にたとえるなら家僕の古次、妾に甘んじた阿可女の影を眺める、とな。 実際は知らぬよ、何せ内弟子と師の間をかいま見ることままならんのだから、だが、古次の面目はかろうじて影と寄り添うかたちで保たれたのじゃ。ああ、訊いてみたとも、まことに言い辛いのですが、引き裂かれた双子と、そんな言葉がかすめてゆくのです、この胸をさらってしまう勢いで、、、古次はそれでも平淡な表情を崩さなかった、反対にわしの空想が先走り過ぎているのかや。そうであろう、古次はこう言い切ったのだから、、、いえ、わたしどもはいつも一緒でございます、身分に隔たりがあろうとも、それはあとから形式として与えられだけです、こころは常に阿可女とともにあるのです。 わしは何となくこの男が寡黙であるのが分かった気がした、それは性分なんかじゃない、情感の逼塞でもない、古次は強靭な意思のもとにおいて現状を引き受けているのじゃ。 これが戦きの重しかと、いいや違うよ、わしはわしで古次の意思を見届けたまで、さほど人情家でもあるはずもなかろうて。怖れたのは随門師の得体の知れぬ、底なし沼のような暗い深みと、そこにこうして臨んでおる疑いようもない現実だった」 |
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