妖婆伝25 「とまあ、その日はいつもの鬱屈した気分に傾くことなく、相変わらずぎこちなく間を置いた内弟子らに、わけても阿可女にはおそらくここに来てもっとも晴れやかな笑みを投げかけたのよ。怪訝な表情をしておったわ。古次と速やかに通じているなら、すでにわしの詰問めいた口ぶりは耳に入っていよう、しかしあの小さな困惑はどうして演技とは思えん。人間すきまをいじられると微妙な反応をしめす、日に日に落ちこんでゆくわしの顔色を順当と思いなし、説明し難いがそうした目色、なにやら透徹した意向があるとみて間違いあるまいて、その効果として意気消沈するのが自然の流れであったなら、わしの黄金の笑みはさながら気狂いに映ったのだろう。阿可女だけでない皆が同様じゃ、ほんのひとときにせよ、わしはようやく観察眼を落ち着きはらい持ち得た。あとは再び無言のあしらい、そして細々とした雑用は手厳しく容赦ない。無駄口のなかったのは幸いよ、お陰で悟らぬようちらり横目、あるいは遠目から素知らぬ顔で用をこなしながらうかがう機会は多々あり、それぞれの容姿を把握するとともに、その気質を汲み取とることが出来た。 とはいえ、所詮は阿可女のすがた追いに執心しておるのは認めるしかない、あろうことか一目惚れかや。いいや、初見に生まれるのは単なる偶然、しかしその萌芽に促されるものは、きっかけとして胚胎しているものは、かつて見知った面影に限りなく近いようで、実はとりとめなく、まだ見ぬ恋仲のひとを写し取っているふうな、恋情のみが募りだす悪夢に似てもどかしいばかり、二度三度よくよく注意し眺めるに至って胸にじんわり、気がかりな様、小雨に等しいわ。やがて強く激しく、ふと我に返ったときはすでに遅し、あらぬ恋ごころと訝るほどに初の対面が鮮やかによみがえる。気はそぞろ、掌はなにをつかもうぞや、小躍りしてみたくなる驚きとやるせない潤沢が交互に、もしくは入り乱れ、胸いっぱい。そんな胸中の片隅に忍ばす毒針、斯様な想いはまやかしぞ、仇をなす、害をなす面影にひと差し、するとちくり痛む、鋭いようで柔らかな痛み、不親切で得体の知れぬ、けれども不思議で美しい阿可女が恋しい。 わしはおのれを虜にした風姿なぞ見つめまいと片意地を張る、張ると同時にあの不安を肩代わりする仕掛けを思い出し、ちょいと舌打ち、が、この開き直りは理屈をくぐらん、新たな代替はごん随を筆頭に、の毛子、白糸ら三人の捨て置くには惜しい容色、まず随門師匠の姪御かや、しみじみうかがえば、なるほど年増に感じる所作がなくもない、顔のつくりは秀麗ながらいささか肌のくすみ、おしろいの按配を知るほどに残念なのは仕方あるまい、一見きゅっと雪を丸めたふうな美顔に感じ入れば、その控えめで優し気な目もとやつんと澄ました鼻筋の線の細さも可愛らしく、往年の色香が偲ばれるというもの。類推かや、違う、違う、熟視のさきに浮き上がって来るのは紛れもない阿可女のまなじり、やや吊った大きなまなこ、その黒目の存在に隠れ、いつぞやの柔和な笑みをもたらした、あたかも橋のたもとの緩やかな水際を彷彿させて、本来はたおやかであろうことを願わす滑らかさ。ちから強く届けられ勝ちなゆえに優しさをたたえることも、さっときつくもなる瞳に吸いこまれてしまいそうじゃ。天の悪戯か、それを補ってやまない一途に跳ねた、が、流麗な文字のような眉、、、いつの間にやらこの始末、散漫なるはていたらくかや。今は三人の門弟を、阿可女に勝るとも劣らないおなごらを鑑賞するのじゃ。 の毛子とは変わった名であるが、その由来を知り得るより、うら若さでいえば、とりすましたふうな姿勢についつい見失い勝ちであろうけど、おそらく一番の年少であるまいか。機敏な目つきはいかにも隙を与えない動きであろうが、裏返してみれば気弱なまだまだ神経の定まっていない、初々しさを、あるいは生娘らしさをよく示しておるように感じられる。わしに家事を申しつける言葉づかいもときにきつく聞こえるが、たとえば、小夢さん、戸棚の奥ですからね、間違わずに、と語尾をしっかり結んだふうではあるのだけど、ちょうど寒天でも噛みしめたように柔らかく、ひんやりした余韻を残し、それは冷たさというよりか、大人びた言い方を望んでいるようであり、その背伸び具合から少女特有の一途な純情がかいま見える。憂いを覆い隠そうと努める反面、より大仰に顔色へ浮かびあがる物怖じは、昨日今日の滅入りなぞ二三日もすればさっさと忘れてしまい、明るさを取り戻せる活力に満ちていようぞ、そっと沈める宝石のありかを信じていることでな。いらぬ事を口走ってしまった悔恨がすぐさま、陽気なさざ波となり、こころの乱れを穏やかに現すように。 雪肌とまではいかないけれど、の毛子の面や首筋には溌剌とした艶があり、ほんのり紅をさした唇の愛らしさ、頬にまで伝わったかの血色を讃えてやまん。怯懦ゆえの眼光を放っていた双眸は以外や小粒、ただ睫毛の張りは可憐というより勇ましく、このおなごの気性を物語っておる。小柄な体躯は肉付きがよさそうで格子縞の着物まで健やかに映るわ。さて少女の面影宿りしの毛子、わしをどう案じておるのやら、いやはや皆目見当がつかん、若さゆえの傲倨とてこちらの穿った見方も加担しているようにも思え、親和の情がない限り、まあ憶測を差し引いてみたとしてやはり見下した態度には変わりないわ、かといってそれが明確な敵意であるとは感じん、しばらく様子を見るとしよう。 白糸とはまた優美な響きを持っているが言葉の聞こえ、あまりしっくりいかぬわ。しっくりどころか苛立ちさえ惹き起こすあり様、そりゃ見た目には柳腰のすらりとした風姿、はかなげでありながら中々の存在感、あんただって道ばたですれ違うたら思わず振り返ってしまうじゃろうて、着物は銘仙で燻った藍色のべっ甲柄を一層目立たぬよう織られた白地の清さ、まさに呼び名にふさわしい着付けぶり、黒髪のちょっと湿ったふうなのも情趣に富み、これで流し目でもされたら背筋どころか全身おおいに感ずるに違いない。ところがこの白糸にはそんな風流な仕草なぞ微塵もないわ、白地が潔癖を主張してみせるようその性分ほんに汚れを容赦せぬ、自らの挙止は無論まわりへ対する落ち度や失策に情けはない、やり手婆とも厳格な武家の奥方とも似たる性情、あれほどの細かさは潔癖を通り越して痛々しくも剣呑じゃ。で、顔つきはといえば、決して鋭いまなざしではなく、眉間にしわも寄せておらん、いたって涼し気な表情を保ったままで、どこからあんないけずな文句が出て来るのやら、どうにも腑に落ちんわ。閉ざされた口もととて実に穏やかそうで芳しい、精々あらを探すのなら小楊枝を置いたような眉のかたち、、、ああ、またもや阿可女にそれと比較しておる、あちらは流麗ゆえ格好の対比じゃわな。 わしは幾度叱責されたことやら、思い出すと腹が立つばかり、もっともわしの方にしばしば不手際があったのは事実、悪感情を除いてみれば、さてどう察しようぞ。面映いかも知れん、しかしながら白糸の性分は激烈だろうよ」 |
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