妖婆伝2


自分の耳を疑ってみることに微妙な抗いが生じている様は、隠されべきものが隠されない、ときめきをともなう快活な胸中に薄く満ちていくような感覚へ向かっている。
最初に女から声をかけられたとき、お茶と一緒に話柄に出たばあ様の顔かたちはすでに思い描かれていたといった予見が、まるで飴色のちゃぶ台に鈍く映りこむ加減ですぐそこに成り立っていた。玄妙な思惑を振り切るように、また虚偽をあばきたてる意気もなおざりにし、老婆と孫娘のふたり暮らしから漂ってくる得体の知れぬ空気感が家屋に澱んでいて、自分の脚に重しとも虚脱ともつかない不思議なくつろぎを与えている。一度は辞退しかけた返答に秘めていた苦渋の相貌が、同じくちゃぶ台の表面に浮いて出る想いがした。
「うなぎは好きかいな」
老婆のかなつぼ眼にじっと見つめられ、そのふっくらした顔に走っているしわの数と、百をいくつも過ぎているにはかくしゃくとした体躯、白髪の色つやが妙に清潔感をたたえていることなどを、ぼんやり気にして相槌を打つごとくに「はあ、栄養がありますから」などと感情のないもの言いをする。だが、この愚純な感情の持ち様こそ、安逸を望む面であり、ひいては一夜の宿に結ばれる陥穽への願いであった。
「共食いは嫌じゃから、わしは食べんけど、あんた好物なら捕まえてこようか」
「いえいえ、そんなお手数など、、、まして、、、」
ほんのわずかなやりとりで自分のこころはこの民家に籠絡されたに違いない。老婆がうなぎだったという迷妄へとにじり寄っている、それは半信半疑とは別種の、いくらか陽気な伝承が型通りに伝わったのであって、おぼろげな記憶のなかに棲息する、あるいは遠い未来に現われ出るような謎めいた予感を従えていた。女は横で年に数度のお祭りでも見物しているふうな目もとを崩さない。そして微笑にも艶笑にも移ろいそうな顔つきはそのまま雪解けを待つ心情となり、ほとんど口をはさむことがなくなった。とめ置いた情欲の身代わりとも考えてもいい、つまり老婆の奇譚が幕を開けたのである。
「そうかい、わしも殺生は好まんからな、前世はうなぎじゃよ、まあ聞きなされ」
自分は茶を一気に飲み干すことだけ忘れず、女にならった。
「ひとつ断っておくがのう、わしが前世をあたまのなかに甦られたんじゃなく、うなぎの時代からしっかりとものごころがあって、いささか抜け落ちとるところもあるがな、そうした気持ちをずっとこの歳まで抱いていたってことなんよ。平たく言えば、人のこころを持ったうなぎだったわけでな、そりゃ、あんたにしたってにわかに信じ難いだろうけど、わしは夢をみとるのでも嘘をついとるでもない、全部ほんとの話しなんじゃ。
さすがに稚魚の時分は覚えがない、そこの流れから河口まではけっこう距離だしな、遡行したとしても川の世界を知ったときがいわば誕生のときじゃて、わしはそう思ておる。ものは喋ったりはできんが、以心伝心で通じ合える仲間がいての、まあ限られた種類じゃけど、うなぎだけでなくて魚だの蝦だの蟹、それに亀や山椒魚とかもな、わしらが言葉をあやつるよりもっと素早く、的確に意思や態度をしめせる。それと人間の考えやら暮らしぶりなんかも伝わってくるんじゃ。他の生き物から教えられることが多かったが、わしだって蛇みたいに陸地を這うたり出来るでのう、どれほどの年月かは忘れたけど、朝夕を決めているのがお日様であり、水温も変化し、それを四季と呼んでいることさえ耳に入っていたわい。どうして言葉を話せないのにって訝るだろうけどもな、風聞というものは川の流れに溶け込むのじゃよ。河口付近に泳いでいったときもあの界隈の奴らに色々聞かされた。確かに始めは想像が大半を占めておって、実際の風物を認めたのは随分と経ってからじゃな。まあ様々な生き物がいるわけだから、そしてそれぞれの寿命はもちろんじゃが、代々にわたって細々とした事柄が寄せ集められ、段々と情報が蓄積される、さながら歴史じゃわな、わしらも。水中の生活はのう、あんたも分かると思うが毎日が淡々としたものよ、大雨で激流になって身の危険を感じたことも多々あるけど、陽のあるうちは明るく、夜は暗黒になるのだから別段人間の暮らしと大差ない。もっともわしらは夜行の習性でおまけに鼻がよく利く、夜間に灯りなしでは歩けない不自由と違い、川底の様子やら岩場の陰なんぞもはっきりと識別されるわな。
だがなあ、わしがあんたに聞かせたいのはそんな日々のなりわいみたいなことではないんじゃ、そりゃ同じさ、わしらだって小魚をとって食うし、釣り針に引っかかったものもおる。こんなのは自然の理じゃ、どこにも不平を持っていけまいて。
それでな、とにかくわしは相当長生きしたみたいなんよ、人間の有り様やら言葉使いが永い永い歳月をかかけて微量に川水に浸透して行くんじゃ、むろん流れがある、だが水蒸気が雨水となって降り落ちる、雲にも流れがある、水分はあまねくこの地もよその地にもしみこむんじゃよ。区分しかねる生活排水にだって念いはこめられまた天に上っていく、それらが理解されるっていうのは一体いつの世から生きていたのやら、、、砂防とかにすがたを変えられなかったお陰もあって、あの川の脈々した様は今もこのとおりじゃ。
さてと、さっきも言うたようにわしには意識ってものがあった、だから人間の営みにただならぬ興味がわき起こるのも無理はないだろうて。陸に上がれるとてたかだかしれたひととき、何度ひとに生まれ直したいと祈願したことやら。分かるか、この気持ち、すがたかたちはうなぎでも、小さなあたまでも、考えることは途方もなく解放されており、なまじっか想いがひろがるせいでついには発狂しかけた。
やたら滅多なことでは顔合わせなど出来ないこの辺の主、大山椒魚の黙念先生を尋ねたのは一念発起したあげくでな、黙念先生こそ太古の昔に生を受け、その霊力は計り知れないものがあるとのいわば神格された存在じゃった。おっと、その前にこれを聞かせておかんといかん、あんた竹細工のもんどりって知っとるかい、うなぎ獲りの仕掛けでな、先細りの円筒をしていて出口なし、入り口は一見容易なんだが、竹のしなりをうまく利用しておって、くぐったら脱出が難しいという代物で、なかには魚の切り身やらミミズなどを入れておく、夕方に川底に仕掛けておいて朝一番で引き上げるんじゃが、おお、そうかい分かるんじゃな、では話しが早い。なんせわしらは嗅覚に長けているもんで、どうしてもあんな強烈な匂いが発散されるともう我慢がならん、わしは何度も忠告したんじゃが、なに、獲物だけ頂いて抜け出てみせるわい、そういった仲間の半数以上は朝まで竹筒のなかでもがき苦しみ流れから連れ去られた。人間だって餌を食らうだろう、それはいい、だが、眼のまえであんなだまし打ちみたいに捕らえられるのは耐えられんかった。いっそひと思いに竿でつり上げられたほうが愁嘆場を見ずにすむ。そんときじゃった。さほど古いつきあいでもないが蛇のもろ助っていう奴が現われて訴えるに、あのもんどりにおれのいい娘がさらわれてしまったそうな。まさか、蛇が川の底をうろつくなんて、なにかの見ま違いだろうと言い含めてみたんだが、千代子に違いない、あの娘は泳ぎが達者だった、逢瀬の約束の場所に来ないから、そこいら中探しまわっているうちに朝になってしまった。仕掛けた人間もなかに蛇がいるので気色悪がって、その場で中身をいじらずに不承不承持ち帰ってしまったので、おおよそ末期は見当がつき、もろ助は幽かな千代子の悲痛を浴びたまま、どうすることも出来なかったそうじゃ。
それがつい先日のこと、怒り心頭のもろ助は復讐を誓い今度人間に出会ったら、ほとだろうがしりの穴だろうがおかまいなしに突撃し、はらわたまで食いちぎってやるんだ、そう息巻いていたんだわな。
のう、牛太郎おまえらの仲間だって餌食になっているんだろう、っておいおい泣き出したのさ。わしは同情するもさることながら、斜めから差しこむよう奴の言ったほとだろうがってとこになんやら天啓をさずかった思いがしての、なるほどいにしえより言い伝わる女人の股ぐらに侵入した蛇の怨念とやらには聞き覚えがある、もしや、そうすることで雌である相手をはらませ、わしも同化すれば、まあここいらはいい加減な想像だったのじゃが、人間として転生するかも知れない、そこで念頭をよぎったのが黙念先生じゃった。かの御仁なら必ずや秘法を伝授してくれようとな、これはもはや信念に近かったわい。で、もろ助にはその件は伏せておき、いい知恵を頂いてまいるからとにかくやけをおこすなと諭し、早速伝手を頼って深山上流まで鼻息荒く遡っていったわけじゃ。
それこそ昼も夜もおかまいなしでな、決意は夢を乗り越える境地にまで達しようとしていたからのう、どうかな、ここまで来ればわしの今生が理解されやしないかい、はっはっ、ほとにもぐることで女人と交わり、妖異の類いに変化したか、その通りじゃとも。しかし黙念先生からはくれぐれも口外するべからずと言われておったので、これまで誰にも語る機会はなかった。ところがこの春先にな、先生の訃報を聞き及ぶにつけ、これまで封印してきた呪力と、なによりこのわしの業を聞かせたくいてもたってもいられなくなったんじゃ。百を越えてもその月日だけ、因業も巣くっているわい、あんなに熱望した生まれ変わりより、これまでの成りゆきを口にしたい欲のほうが勝っているようじゃわ。うなぎとて人間だな、いつも先走るものに違いはないのう。
なに、この子はわしの孫じゃさかい、語らずともよう心得ておる。さあ、あんた信じなさるか、いいや、どうでもええ、たとえ信じたとしたところで、すぐに不審の念がやってこよう。それよりな、この子にも秘密があるんじゃがな、、、はっはっは、当たりまえだろう、あんたもそんな顔しているよ、眼が輝いておるわ」