妖婆伝1 先日ある人から風変わりな手記を拝借した。何でも当人も人づてによりその褪色した冊子を手にしたらしく、明治四十三年に筆を起こした形跡はあきらかなのだが、肝心の書き手の姓名と出自がどこにも見当たらない、とはいえ、意図的に無名で通したにせよ、その如何にも腺病質な字面で(実際の文字も極めて細かく、ひと昔まえの岩波文庫に見る訳注を想起させる)紡ぎだされた内容は一読ならず、再読三読に値するものと思われたので、ここに紹介する次第である。 文面から察するところ書き手は当地の民話や伝承に関心を寄せているらしく、尚かつ思想宗教といった方面にも学識ぶりがうかがえ、一種独特の世界観を掘り下げていることに異論はないのだが、煩雑な思惟へ巡った結果として、専門用語やら難解な数式が縦横無尽に飛び交う様は下手をすれば衒学趣味に映じてしまうかと危惧されたので、筆者は原本が含有するエッセンスのみに執着し他の学術的な論旨からの解放を目した。次の理由は紙幅の制限もさることながら、読者諸氏が魅入られるのは原本が孕んでいる妖気というか、心身をしてその時、その場から浮遊していくような、まぼろしの到来にあるはずだから、閑雅な語り部に徹しようと考えた。よって本来の形とは掛け離れた物語に流れてしまうけれど、僭越ながら抄訳とは異なる意趣を汲んで頂ければ幸甚である。 峠に差し掛かる開けた山道と聞けば、商いの衆や旅装の行人のすがたに思い馳せることも遠い昔の風情、いやなにね、あたしのばあ様の時代の話しだよ。こんな山奥なんぞも、そりゃにぎやかで、茶店の数軒もあったっていうから文明って奴はどうなんだろうね。で、あんた見たところ呑気に物見遊山って雰囲気じゃないけど、峠を越えるつもりかい。 女の口調に賛同したのは、この土地に不慣れというよりも行くあてもなく今ここに佇んでいる自分を不甲斐なく思い、そしてほとんど同時進行の按配で感情が晴れ晴れとした空に舞い上がっていたからだった。その感情とは色紙を模した華やかなものであった。陽が真上にいる。ちょうど弁当のにぎりめしを風呂敷から取り出しながら田畑に沿って緑を眼に泳がせていると、不意にうしろから声をかけられた。甘ったるいがきびきびしていて頼もしい、そういう響きが更に底抜けに愛くるしく感じてしまいそうな、どことなく一目惚れを容認してしまう声の持ち主は、この辺では滅多に見かけるはずのない、鮮明な色合いの着物がよく似合う若い女だったので、自分の眼中からは色彩の高じる綾がかき消えてしまっていた。 「ばあ様はお元気で」 新緑の気候は掌を潤わせ、額にも涙のような汗を滲ませれば、何を動揺したのか、そんな言葉がついて出る。 「元気さ。あんた昼飯ならあたしとこに来ればいいよ。お茶ないんだろう。ばあ様の話しなんぞ聞いてきな。すぐそこだから」 光線が強く注いだまわり一帯の田畑のきらめきと女の容姿が映発し、自分のこころは数えきれない眩しさにとらわれた。蒼穹に笑いかけては挑んでいるような大きなケヤキの茂りの裏手に家が見える。峠越えは真新しくない目的だと、何やら絡み合った意想が浮上したり、初夏に最適な感覚の真っただ中に立ち止まっているという新鮮な文句を呼び寄せ足もとの影に合わせてみた。 女が笑っている。自分は意識しトボトボとした足取りで木立の方に着いていった。農家というには立派な家構えだったが、玄関をまたいだ刹那どうしたわけか、埃くさくて愁いのある気分に襲われた。 「今日はばあ様とあたしだけしか居ないの。さあ、遠慮しないで上がりなさいってば」 「それじゃあ、ごめん下さい」 胸のうちではまんざらでもない気が張り出していたのだったが、女のうしろ姿に引き寄せられた弱みが形式上、脆弱な態度を示そうと努めている。しかし動悸と一緒になって刻の単調さから脱する打算を働かせていることは確かであり、まったく予期していなかった午後の光景に対し有りあまる感謝で一杯にする以外すべを知らない。 奥の間の飴色をしたちゃぶ台が目立つと、さっきからこの屋内を舞っている埃を寄せつけていないのが、どこかずっと以前この眼にしたようで、又ほんのわずかに違う笑みをあらわにして運ばれたお茶の湯気も、過去に夢見た情景へとかすみをかけ、意識を近づけたり遠ざけたりしているよう想えてきて、増々打ち消したい思惑の輪郭がはっきりとつかめた。 「まやかしならどうか覚めないでくれ、、、」叫びからは拒絶され、祈りには融和を提示され、諦観の彼方には極めて生物的な指弾が待ち構えており、自分の為すべきは、この埃が演じる不思議を、微細な、けれども時間に向かい静かながら反逆する意志を、何より重視することしかなく思われた。湯気の気配で老婆が現われたとき、確信ともいえる夢想が眼前に展開したと身震いし、湯飲みに並んだ青磁の急須に顔色を被らせ昂った気分が治まるのをほくそ笑んだ。 「あんた、峠はじきに雨になるでな。ちょうどよい、ゆっくりしていきなされ」 開口一番この調子であったから、それから始まった移ろいやすい天候の妙やら、年々の田畑の収穫やら、地霊の恐ろしさやら、この付近にまつわる怪異などを喋りだせば、いつの間にやら外の気配はどんよりと陰鬱になっており、よい日和が失われ、山間の僻地だから天気の変化など当然と念じているものの、齢いくつか考えてみるだけで生気が吸い取られるような臆病風に吹かれては、見事にこの老婆にしてやられたと痛感したのだった。そこへ畳み掛けるよう女が「ばあ様はとうに百を過ぎているのよ」と、こちらの心中を透かし見たごとく言いきかせれば、あたかも真夜中にさえずる小鳥の音に耳を澄ますとき、その彼方に不穏な風のうなりを味わう心持ちを彷彿させる。 余韻を噛みしめろ、そう促している女の眼には針先ほどの慈しみのひかりが隠されているようで、哀憐にも似た艶治な情を見つけだしかけたのだけど、ばあ様の「今晩は泊っていきなさるがよい」との一言で、一点の甘い香りは鋭い、そして濃密なからくり仕掛けの茨に転化した。 女は作法に従うよう居住まいを正し、花の開花を満面にたたえ、今日一日の運命を占っているみたいな高見からの目線を投げかけた。花の名は思い出せない。自分の影を熟視する。空模様は予報通り、驟雨の激しさで自分の曖昧な気持ちを洗い流している。安達ヶ原の鬼婆でもあるまい、仮にそうとしたところで、鎌を研ぎ出すまえに駆け出すのも一興、覚まさぬ意識との攻防であるなら本望ではないか。 「どうしたの、そんな苦虫を潰した顔をして。早く弁当食べなさいよ、ばあ様のいうように泊っていけば、この分だと雨はやみそうもないわ、夕食はたいしたものないけど、いいのよ本当に」 はっとして空腹感すらなくしている自分に返る、まったくどうした因果でこの家の畳に座っているのだろう、、、女の声色がありきたりの伝わりで耳になじんだので却って違和を覚えた。自分は過剰な想像に耽っているのでは。因果などと含めた内語からしてそもそもいかがわしい。この土地の人はこんなふうに気安くて親切なのだ。混淆した思考を整理するのが煩わしいのでこんな彷徨をしている。奇妙な場面や数奇な境遇に無責任な夢を乗せているだけなのだ。その証拠に女の厚意を別な角度から斟酌しては妖異の渕にこの身もろとも飛びこもうと企てている。何というお粗末、、、急いでにぎりめしを頬張りながら、茶を飲み干し「折角ですけど、実は用事がありまして今日中に峠の向こうに行かなくてはならないのです。これで、ああ、合羽は用意してますので、どうもお邪魔しました」そういい残して家を出ようとした。 「あんた、無理じゃって、もうどしゃ降りじゃあ、わしの言うこと聞いたほうがよい」 今度は老婆の口調に変化がうかがえた。まるで情夫を引き止めるような痛く切ない願い。しかし自分の妄念がすべてを曲解してしまうのは耐えがたい苦しみを養うだけであり、ここの住人に難儀をかけないという保証はない。 女は哀しい眼をしていた。そして老婆は思いもよらないことを口にした。自分は困惑し血管が脈打つのを明確に実感した。 「この家にはわしらふたりしかおらん。あとは黄泉の国に旅立ったでな。あんた、わしの話しを聞かんといかんよ。それが宿命ってもんじゃ、わしはうなぎだった。たんぼの先に川が流れとるじゃろ、あそこで生まれた、うなぎの牛太郎って名で、それはいい男振りだった。これでも帰りなさるかのう」 |
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