妖婆伝12 「冷や水を浴びた心持ちとは申せ、もとより隣部屋に満蔵の寝ているのは承知、過敏な驚きはいわば念押しを拠り所としてみる几帳面さによるもの、覗き見されたとて頑是ないわ。 どうしたの満蔵さん、こっそり盗み見などはいけませんよ、もう夜更けです、早く寝ないと山からモウモウさんがつかまえに来ます、妙さんとわたしは按摩をしてからだをほぐしているのです、大人になればあちこち凝ったり痛んだりするものよ、はだかになってお互いの悪いところを指圧してるの、でもね、あまり大っぴらにすると、やれ嫁は気づかいも働きも足りん癖にようもなあ、なんて嫌みを言われるのです、満蔵さんはおとこの子だから、こんなこと分かりにくいかも知れないけど、、、と諭して聞かす光景がすでに先行していた。 妙の表情にも一抹の陰りが差しこんで、わしは反射するよう細く開いた闇に手をかけたんじゃ。日頃から恐がりで現にこうして妙の隣に寝起きしておる。声も殺し、音も立てまいと気はもんでいたけれど、物おじの満蔵には異変と感じたのか、ならばあたまから布団を被って震えておればよいものを、どうせ寝ぼけまなこの挙動ぞや、いやいや、小胆にも確かめるべく胸躍ったのなら捨ててはおけん、先の小言はその際の方便よ。 ぱっと怒気を放った手つきでふすまを開ければ、八畳間の隅に薄暗く敷かれた布団、その寝顔もどことなく陰気臭く、かといって嫌みのある面でない、無邪気なものよ、すやすや夢のなかじゃ、忍び足で近寄り寝息のかかる距離から顔を眺めた。わしとて微動だにせん、狸寝入りなら看破しようぞ、後ろから妙も摺り足で、ふたりして小さな邪魔者を睨みすえておったわい。襦袢を羽織っただけであったのと、いつまでも満蔵の表情に動きが見られないのが潮時、肉欲の炎はたち消えとなってしもうたわ、というのも廊下より旦那さまがお帰りでございます、そう下女が声をかけたのじゃった。又とない機会を逸したからには、潔く汗を拭い、浴衣の帯も凛々しく、微笑は涼し気に。 妙さん、いつの日か、、、それだけ言い残してわしは部屋をあとにした。呆気にとられているふうに映るのは義妹があらわにした精一杯の演技だろうし、その心身から急に冷めたりしない熱意のやり場に困ったからに違いない。断ち切られた肉欲は陽炎となり、行方を失った影をあおってみせる、淡い色情は深くつつましい願いのなかに消えてなくなってしまうのか。妙の失意は軽い火傷にも似た、ひりつきをその眼に余し、夏の夜を恨んでいるかのよう。 口惜しいなあ、妙の裸身の見納め、まったく、わしとしたことがしくじりおって、と自責の念にかられるところだったが、こればかりはどう慎重に臨んでみても結果は同じだったろうよ。満蔵を侮ったのがいけなかった、お化け幽霊なぞと稚気に流され、同じ年頃の子供らよりあどけないのを容易く引き受けとったわ。失態じゃ、大失態じゃ、あの世の不思議も山の怪異も、わし自身がよく心得るべき領域でないか、うなぎが人間のおなごになった、まわりにも数えきれんくらい奇妙なことばかり、それなのに、ついつい子供じゃと軽くあしらってしまい、それはこういうことだわ、人間の無心と変化の意識を同列に並べられん、何とも不愉快で、汚されるような、うしろめたく気乗りがしない、そんな心持ちがいつの間にか、満蔵を幼稚で未熟な人格とみなし封じこめていた。小夢に許しを乞い、哀切に打ちひしがれながらも決しておのれの意識を立ち切れんようにな。 あの夜以来、どうも気分が落ち着かなくてのう、そりゃ確かに不埒な色欲を抱いたのを悔やんだりしたわ、ふすまの隙間さえなければ、ことが成就したなどとも、更には隣の満蔵に注意を怠ったのが一番の汚点だったとか、愛撫もほどほどに素早く破瓜を実行すべきで、あのもさもさした、ねちねちした嫌らしさに溺れるんじゃなかったとか、しかも仕損じた挙げ句に待ち受けておったのは、果たして妙の を破ったとしてどんな意義がある、何かこころを満たしてくれようか、単なる業腹としても、誰に向かっての憤りじゃ、さっぱり合点がいかん、これでは盲目に独り歩きした欲でしかないわ。 とまあ、悶々しておる次第で、それも意識の持ち方だけに徹底していて、実は小気味がよい。言うまでもないわなあ、それでこそお人形さんの面目躍如、ここに到ってどうして奈落になぞ落ちるものか。 わしのお花畑はそこで取り上げられてしもうた。つまり苦悩しようが、内省しようが、開き直ろうが、健気になろうが、ほくそ笑もうが、小夢の器量は歯牙にもかけられず、これまでの待遇が一気に逆転、はあっ、あんた、やっぱりだった、予期した通り、満蔵じゃよ、あのこわっぱめ、しっかり覗いておった、あの情景を食い入るように見届けておった、それをな、一部始終をな、旦那すなわち長兄に言いつけたのよ。 いや姑の耳には入っておらん様子、旦那には勘案あろうて。なぜと言おうに日輪の盛りが過ぎ、それとなく秋の気配が見慣れた庭先に感じられる頃、その晩、どうしたことやら執拗にからだを求めてくる、季節のめぐりみたいな優雅な趣きでなくてな、もっとこう、さばさばしていて、かと思うと陰湿な感じさえあって、いつぞやの真言立川流の興奮を彷彿させる勢い、あれから色事は遠のいていたので、わしも久しぶりにおなごの楽しみを堪能してしもうた。で、肌に余韻の消え去らないうちと案じたのか、こんなことを言い出したんじゃ。 あのときの身震いは忘れられん。のう小夢、おまえは相当の好きものだなあ、なに、今さら隠さんでもよい、春縁のこととて一言も口を挟んどらんだろ、しかしなあ、妙はいかがなものだろう、仮にも義妹ではないか、、、おまえにその方の気があるとは知らなんだ。まあ、いいさ、他所ではなかなか貝合わせも難しいしな、身内で済まそうとは見上げた性根よ、ところで格式って、あれはどうしたものなんだい、妙は素直に信じておったぞ。まったく酷いつくりごとしやがって、おまえは家の家風を茶化しているつもりだろう、そうだ、そうに決まっている、でなけりゃあんな馬鹿馬鹿しい戯言なんぞ出てこんわ、魂胆ないのも分かっておる、おまえの里にひとをやってよう詮索してみたけど、婚儀に及んだ際に調べた以外はなんもなかった。そうとも村一番の器量よしで気だても悪くない、発作持ちでもあるまいし、考えつくのは自虐の思念、これより他になかろう、家のなかの人気がなくなったからか、それで格式などと戯け、この家をこけにして、妙を好いておるのでもあるめえ、気がふれてないなら、おまえに相応しい役目をやらあ、といつもはおっとりした口ぶりの旦那、酩酊でもないのにべらんめえ調で。 更にまくしたてる、そうさ、いい役目だ、うれしくて涙を流すなよ、おっと、妙には指一本触れてはならん、可哀想に、すっかり格式に怖れをなして苦労したぞ。どうした鳩が豆鉄砲くらったみてえな面しやがって。そこでそっと耳を貸せとの仕草、胸騒ぎの波にさらわれるよう言われるがままに。 よくもあのおぼこを仕込んだもんだ、あとはすんなりだったわ、おまえから教わったとかいう手管もちゃんと知ってらあ、おれがおなごにしてやったのさ。どうだ、役者が違うだろう、、、 わしの脳みそが湯気を立てている。実の兄妹でありながらかや、おのれが犯した罪科はどこへやら、よくまあ妙も股を開いたものよ。おののきはめまいとなり、この家の住人の顔かたちを歪めたまま、一点を軸足にくるくるまわり出した。顔と顔の間に人とも獣ともつかぬ魔物がかすめて行く、得体の知れない恐怖じゃ、これは牛太郎の本能が察知したのか、とにかく身の危険を感じる。感じては逃げてゆく。 旦那の語気は甚だしく荒れる一方だった。これがわしのお役目とな、聞いてるはなから吹いてしまいそうだったわい。いわく、満蔵には目の毒よなあ、誰だってあんな場面を夜中に見てしもうたら救いようはない。妙はわしがけじめをつけてやった、とまあ、えらぶって尻拭いもしたのだから承知せいとな、異様なもの言いをする。それから妙には荒療治が相応しかろう、でもなあ、そこで唐突にやわらぐまなじり、満蔵はまだ子供、手をとるように介抱してあげんとな、何を知らしめるのかは瞭然だった。 ここまで来たら突き進むしかないわな、それにわしは別段不快な気持ちもせなんだ、反対にあのこわっぱのものをひんむいてやる、そう意気込んでおったくらいじゃ。この屋敷の家風なぞ痛くもかゆくもない、が、離縁されるのは困りもんで、わしは生計の術にはとんと疎い。なに、役目も果たせんのなら出て行ってもらう、里にも戻れんぞ、醜聞がついてまわるわ、と含められておる。おお、おお、居たたまれん、お人形さまに治まってしまおう、満蔵でも小僧でも持ってこい、たいらげてくれようぞ。 旦那の卑しい笑いすら日々の光明、妙に抱いていた恋慕も夜露と流れ、思いのほか晴れ晴れしい気分になった。少年をなぶるのってみるのも一興、しかも公認じゃ、姑や他には内緒だがな。 わしから切り出すのもどうかと渋面をつくっていたら、あの子の部屋でことに及べときた、これには裏があっての、妙はあれから顔には現さなんだが、実情を聞き及ぶに到って、内心ひどくわしを恨んだらしく、それは無理もないわな、さて兄妹の絆とやらは肉欲に通じたくらいだから、どうにも意趣返しを目論んでおるのが感じられてのう、で、案の定こんな思いつきを持ちかけたらしい。 お義姉さまは嘘つきです、わたしは許せません、けど、あにさま、満蔵は変な執心にとらわれいる様子、だったらいっそのこと、、、お義姉さまにおまかせしましょう、今度はわたしがふすまから覗いてやるの、満蔵にもいい薬よ、と申したそうな。若いおなごは怖いのう、これで段取りはついた、あとは月夜を待つとしようぞ」 |
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