妖婆伝10 「どこまで連れて行けるのやら、いやいや、ひょっとしたらこっちが連れ去られるやも知れん。ゆるりとした愛撫じゃけど、うらはらに何やら気が急いて仕方がないわ、光輝なる真珠の扱いはよう心得ておるつもり、云わずもがなこの身を探索しては歓喜にむせび、謎掛けに興じ、はたまた懊悩を呼び寄せ、日の入りと日没に想いを馳せれば、自ずと照り返しにまなこを細めよう。あたかも悲痛を待ち受ける気構えでのう。 妙のからだにはかつてない快感が走っていたはずじゃ、湯にのぼせたふうな顔は持続どころか段々と辛い表情に移りゆく。あくまでそのような風情、わしの方が先達とてよう心得ておるわ。だがの、これより真珠を磨き続けてみても果たして深海の底まで至れるものか、ましてや初の試み、とすれば花心を突き破るのはまだまだ、ここに来てようよう互いの意識の隔たりがはっきりしてきた。妙はともかくこのわしに憑いておった思いやりは波間に浮かんだ藻くずみたいに軽やかなみじめさへ変移してしもうて、それは何度もいうよう慎重な計らいであるほどに、興奮の具合がいやに冷めてきてなあ、つまるところわし自身の快楽がちっとも発生せんというわけだったのよ。雄としての幻影がつまらん邪魔立てをしよる、ああ、ほとばしるものには成りきれんのじゃ。破瓜を取り急ぐまでもあるまい、本来のものが、正式なものがあり得んのだからな。 儀礼であるなら尚更、今日ここで妙を貫いてみたとて所詮はまねごと、ついつい情を熱うしてしもうた。実のところこのときが欲の頂上だった気がする、男の意地に賭けてみる衝動のゆく先は案外尻すぼみだったわい。あたまの中を渦巻いていた念のほうが遥かに大仰だわな、そうなってくると向後はよくよく色情がもたげん限り、無理は禁物か、噴出できないものに期待なぞかなわぬ、表沙汰にでもなれば義妹もろとも共倒れ、それにつけてもこのおぼこ娘よほど痺れたのか、わしの手のさきにはすでに真摯さをなくしかけておったにもかかわらず、まだ頬を赤めとろんとした目つきで呼吸にも力がある。そこですかさず、ねえ、妙さんここではなんですから、いずれときをあらためて、そう諭してみれば、言葉が言葉であることの実用に促されたか、素直なうなずき、とはいえ何処かしらないものねだりをしてみせるような、失意を別の角度から計り直したふうな、おぼこ以前の童心を面に出し、あれほどむさぼった唇の艶も後退してもとの木阿弥、が奇怪なものでよく眼を凝らせば乾くことも忘れた様子、おさなげな口もとに笑みを生み、もやがかった景色を眺めているかのまなざしはさっと鋭い、けれども仄かで有意義な礼節をみせ、わしの言うことに従う素振り、早々に湯殿をあとにした。 うなぎの牛太郎、人情とは何ぞよ、、、あわよく貝合わせを望んだ果ては、いや、ここまでのいきさつは、転生による人格占拠、密通に殺人と来て、茶番に等しい色遊び、意識に刺激をと欲したのがゆき過ぎであったか、それともこころの持ち様がやはり歪んでおるのか、もうよい、わしはたまらなくうなぎに戻りとうなった。だが、不可能よ、万に一つは黙念先生にすがってみれば果たして、、、それもすでに証明済み、もろ助の死がなにより物語っておるわ、それに実際のこととしてあの清流をさかのぼる術などない。長生きしたいのなら堅く口を閉ざすまでか、でもなあ、どうもわしはとうに均衡を失っておるようじゃ。悶々とした日々を過ごして行くのかのう、とな。なにを隠さんこれこそ大嘘、ことなかれ第一の平和愛好者、これまでお人形さまで来れたのを幸いにまだその上にあぐらをかこうとしておる。ほんに情けなや。 煩悶の月日が腐りかかった果実であるのを痛感したのはそれから間もなくだった。普段の立ち居振る舞いに異変は見えんが、廊下ですれ違った際、妙は抑えてはいるのだろうけど、そのぎこちない会釈を羞恥とするなら、ちらりと上目遣いしてみせる素早さこそ卑屈の反動、すなわち飛び出す鋭気、上等の絹に包まれた情念の刃、きれぎれの布地、うら若き女人のときを紡ぐ、眼には映らん妖術でな。妙の面持ちに影を見た、おそらくその生涯においてもっとも盛んな濃い影を。 そりゃ仕方ないだろうって、あんたもそう言いた気じゃな、まったく認めるしかない、わしが火をつけたとも、世に恐ろしいのは老醜の怨念なぞでないわ、溌剌とした若気には鬼が棲んでおる、正確には棲む宿を提供しているんじゃ。こうも判然としてしまったからには好色に溺れるのが躊躇われるであろうが、然にあらず、ほんの二三日もすれば飢餓とはいわぬけど、果実の匂いが漂ってくる。鮮度のよさに勝る供物の誘い、日毎に隣り合わせている死臭がほどよく香る。わしはまた湯浴みのさなかに足を踏み入れ、格式を重んじるがため妙を抱き寄せた。 まえと変わらぬ色目、際立った飛躍とてあるまい、同じ加減で乳をもみしだき、くすぐっては困らせ、もう堪忍というところで海女と化し、ゆらめく潮のなかへ浅く、そして深く、、、 そんな戯れも数えるほど、ある夜のことじゃ。湯殿で交わるというてもあくまでわしの手が蠢いておるばかり、しかと組敷いてはだかのすべてを味わってはおらん、簀の子の感触では気が急いてしもうて、湯冷めがそのまま短い時間となろう。是非とも柔肌からにじむ玉の汗を真綿の夜具に染みこませたいもの、そうして敷き布団の角に足先ひやり、情事から逃れた片隅にひそむ風趣、すでにたぎった欲求を一周させ、胸元に涼しさを宿しておるわ。 どうだい、あんた、わしの気持ち分かるだろう、そうかい、分かってもらえば話しも早いわ、、、さあその夜、旦那は分家に用向きがあるとかで、日暮れまえより出かけ屋敷は増々ひっそりしたものよ、どうせ帰りは深更、いつものことで酩酊のまま床につく。ただし人智に及ばん怪しき気配はこちらが近づくほどに濃厚、触らぬ神に祟りなしでくわばらじゃ。姑の部屋は東の端、で、妙の寝起きするのが西の側、ふすま隔てた隣に満蔵が眠っておるが、これが実に幼稚な子でな、朝夕の挨拶はいまだたどたどしく、その癖まじめくさった顔をして、お義姉さま、山向こうに吠えているのは人食いおおかみではありませんかとか、港に出入りする船乗りから猛霊八惨の話しを聞いたものがいるそうで、これは本当のことですかとか、まだ見ぬ境の果てに夢を運んで悦にいって他愛もない。 今宵こそが夜這いするには絶好の機会でないか、夕餉のあと使用人らも下がり、ちょいと目配せ、察する妙の面にはさざ波、わしは思わず相好を崩しかけ、そおうと耳打ちし、湯浴みして部屋にお待ちください、きっと忍んで、と小声は動悸にかき消される按配、心音の響きこそ人情の音頭、そうと決まれば、下働きに従事しておるかつての乳母ふたり呼びつけて、さりげない要件を申す目つきでな、ちょいと妙さんの部屋におる、旦那さまがお帰りになられたらふすま越しでよい、ひとこと伝えよ、子供らを頼みましたぞ、と羽をのばし義妹とにぎやかに歓談でもする様子を匂わせた。 姑に続き急いで湯に入り、ほの暗い自室にて薄き寝化粧、灯火に浮かんだのは小夢のはかなげな面。そっと笑み一輪、鏡面に咲かせてみれば、かつての懊悩、たやすく露となり眼前に一条したたる。果たしてこのしずく、、、 愛欲にとらわれしものはすべてを塗り替えてしまうわなあ、浴衣の胸元を両手で開いてみれば、我ながらうっとりする乳房よな、これまでどれくらいなぶったであろう、しかし我が身じゃ、体温の比較などあり得ん、この鏡に映っている色艶がどこまでも冷たい感触しかもたらさないようにな。妙の乳房にこの冷たさはどう応えるものだろうか、夏の夜風にあおられ熱く燃えてくれようか。 鏡の中から小夢がささやく、うなぎであって何が悪い、今のはわしの独り言、、、それとも幻聴だったのかいな、ああ、意識もろとも闇に紛れこんでしまいたい、白い柔肌を抱きしめて。 わしのこころは冷静に欲望と見つめ合っていた。耳をそばだてるまでもなく、廊下を踏む音が誰のものか即座に聴き取れ、子供らの寝入りまえの無邪気な会話が届けられる。屋敷のところどころ軋むのが怪し気で仕方ない、鏡の奥では小夢がうなされている、、、苦悶に歪んだ、けれど嘲笑にも似て、眠りの底を揺らす。妙の純潔を汚すのじゃ」 |
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