タイムマシンにお願い2 「さあでは椅子に掛けてください」 「目は閉じてたほうがいいんでしょうか」 いよいよ時間の旅が待ち受けているかと思えば心音が激しくなるのは自然だろう。死刑囚の心境を察してみるのは難しいけど、直ちに開始されるのか、それとも儀式めいた猶予があるのか、いやいや、遡行に対するNさんから何らかの注意事項があってもいいはずなのに、、、そんな狼狽をただそうしている自分が情けなくもあり、また曇り空を見上げるとき上澄みみたいにかすってゆく憤懣のあり様のごとく、落ち着きの悪さは保全を願ってやまなく、尋ねる言葉はやはりか細かった。 「開けていてもかまいませんよ。飛行機から下界を眺める要領です」 Nさんの表情を形成しているものを額面通りに信じるなら安心を得るところだったが、患者が医師に対しより確かな処方を求めてしまうのと同じで、もっと明白な助言を優しく受け取りたい。例えば、過去に生きる人々への接触はどこまで許されるものやらとか、野草の一本まで慎重な態度を保つのは鉄則であるとか、時代の眼は案外厳しく不審者として詰問された場合いったいどう対処すればよいのだろうとか、短い間とはいえそれなりに思慮した事柄が出発まえからこうも噴き出してしまうのは潔くなく、見苦しいのかも知れないが、開眼されるべきものはそうあるほうが正しい、自分の質問は時間の移動に向かう態度である、だからNさんはもう少し丁寧な表情をつくる義務があるはずだ、唐突な誘いに乗ったのは自己責任に違いないけど、こんな世紀の発明を自分に試させる意義を問うてみたくなるのは当然だろう。が、憤怒が急速になだめられるよう、喜悦が一気に醒めてしまうように、Nさんに向けられた情意はまるで夢のなかで霧散する光景となって鎮まり、ただ一縷の思いだけが魔法の呼び子となって残され「下界だけでなく、天界も同時に目の当たりにするわけでしょう」そうもらした。 そのときようやくNさんは口角を上げた。実験に魂を捧げてきた学者が見せる至情の笑みだった。決して人懐かしい笑顔ではなく、どちらかと言えば月影に照らされた鬼神の面が放つ、妙えなるひかりに似ている。そして光線を追いかける勢いで訪れた一陣の風に乗り、幽かな笛の音が耳の奥へ静かに鳴っていた。 自分が憂慮しているすべてを柔らかに包みこんでいるふうな、夢とうつつの境目にたゆたっているときの充足感は精緻な言葉を退けようと努めている。ちょうど芝居の決め科白みたいにひとことだけ吐かれる。 「Nさんはどれくらい遡ったのですか」 それは意識の方角から落とされた小石だった。鬼神の面貌にわずかな、もちろん肉眼では窺えないほどの亀裂が現われ、そこから隠された素顔に水がしたたるよう情感がこぼれ、こう呟いた。 「いわば個人史です。秘密にしておきたい。でも安心なさい、その貨幣が使えたのですからあなたが望んでいる時代とそう大差はありません」 Nさんは微笑を保持したまま腕時計を差し出した。そして穏やかな笑みは日輪を霞める雲影を映しとりながら、冷徹な発明家の矜持に返り咲き説明してくれた。さながら花陰を指し示す按配で。 「シチズンのアラーム・4ハンズです」 くすんだ金色の縁取りは秒針を巡らす為にこんなに丸みを強調しているのだろうか。見るからに昭和三十年代が懐古される古びたねじ巻き式腕時計、竜頭がふたつ付いているのがアラーム仕様なのだと認める。 「いかにも表面は当時のモデルですが、これもタイムマシンの付属なのです。時刻設定は為されています。ええ、ですから竜頭は絶対に動かさないでください。これより72時間先、午後3時にプログラム済みですから」 「なるほど分かりました。それではこの時計は預かっておいてください」 これまで着けていたものを外しNさんから受け取った時計をはめ椅子に座った。もうため息さえ空気と不分に交わっている。 「おっと、いけない。言い忘れるとこでした。空間移動が不可能なのは先ほど言った通りで、つまりあなたは三日後のこの場所に帰っていなくてはなりません。40年前この辺り一帯は竹やぶでしたが」 「はい、だいじょうぶです。学校の裏手に広がったところですから」 「必ず午後3時までに戻っていてください」 「それでこんな折りたたみが出来る事務椅子が選ばれたんですね」 「まあ、そういったところです。それから操作などはいりませんよ。ただその時刻に椅子に座ればよいのです」 「分かりました。ではお願いします」 あれこれ危惧したことなど最早すっかり消去されていた。操作は始まったのだろうか、腰掛けた身体には吸盤の圧力が稼動しているみたいな感覚が生じている。すぐに全身が硬直しだし、今度は強烈な暴風にさらされているときの身動きに近い心細さをともなった威圧が胸中に広がった。肉体の痛覚よりも遥かに神経が波打っているのが実感できる。ピリピリと小刻みに震えるのではなく、妙な表現だがもっと大らかにそよいでいるような、あたかもススキの穂に光芒が発し、見極めつかないはずの外敵にとめどもない信頼を寄せるという転倒した物怖じが、それはこの世のものとは俄に認められないにもかかわらず放心を肯定していて、ただの虚脱に思えてしまう。自分の心身が離脱していく瞬間をとらえるなら、まさに今がそのさなかではないか。Nさんも認可した意味をかみしめる為にこうして目を閉じたりはせず、四肢を貫いてゆく圧力も見定める気概でひかりの渦が発生するのを心待ちにしている。脱却するに当たって時間軸はどう抵抗するのだろう、神経の所在はまだ失せていない。いや反対に非常に澄みきった意識が幾重にも折り重なっているみたいで、俯瞰図を眺めている猶予がさずけられているではないか。希望と絶望、親和と疑心、跳躍と停滞、好奇と恐怖、曖昧な夢と偉大な不安、これら相反することや時には歩み寄ったりする心象が、畳まれた襞を這ってゆくよう深く浅く、気圧に左右される自然現象と化して脳内に反射している。そうだ、これがひかりなのか、、、泥酔者がその意識内でもまずまずの機知を働かしていると感じてしまうのと等しく、自分の思考は平行線に定規を当てているのかも知れない。定規が時間、それなら平行線は何なんだろう、、、待てよ、渦が巻くのだ、定規みたいに時間は短くないぞ、巻き尺が入り用だな、とすれば思考が怪しくなるまえに世界はねじで操られ途方もない円環に収斂してゆく。その先を計れるなんて考えるほど傲慢ではない、もっともだ、時間を歪めるどころか逆行しているのだからな、、、意識の俯瞰は案の定、こじんまりとしたあばら屋の見取り図だった。 気がつけば葉ずれの音が身近にあった。歓迎のしるしにも聴こえる。特別に耳をそばだてることもあるまい。竹やぶには冬空がよく似合う。空気はありていに冷たいだけでなく、緑に囲まれているだけでなく、経年に耐えてきた飾り棚にしまわれた置物たちから見届けられているような、塵埃さえも静まり返って朽ちるすべを忘れた奇妙な冷ややかさがあった。 町並みが覗けるところは目と鼻の先なのに、さっきまでの混濁した意識にもう少しだけ浸っていたい気がした。同時に開き直りにもとれる馬力がみなぎってきて、ここが本当に40年前なら三日などとは言わずに心行くまで留まってみたい、野宿や金銭にとらわれたにせずに、、、そんな思いが波打ち際に立ったときのようにゆっくりと去来はじめ、瞬きに沁みる時代の呼吸は悲哀を呼び寄せ、早くも自分を透明にしていた。 2012.1.17 |
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