タイムマシンにお願い3 そこは見渡すまでもなく奥深い懐かしさで囲繞されていた。透明人間の心境を取り寄せたのも時間の為せるわざであった。そう考えても罰は当たるまい。悲哀とは聞こえこそ角を立たせないけれど多分に泣き言を孕んでいる。これもあながち的から逸れてはないと思う。 懸念した動揺を緩和すべく、気抜けした一こまに乗じたわけだが、残念ながら本来の時間とはかけ離れたところで懸命に演じてみても、自画自賛の寸劇の域から脱することは不可能だ。しかし磁力の治まった椅子から立ち上がり竹やぶの先にあつらえ向きな灌木の茂みを見つけると、あらかじめ内蔵された機械の働きのごとく素早く椅子を折って隠し、にじみ出るはずもない汗を想像したりして我ながら先行きの好調に胸をふくらませた。もちろんよくまわりを観察し人気のないのを知ったうえでの小さな満悦だったが。 世紀の大実験に携わっているんだ、これくらいの自負は大目にみて欲しい。とはいえ実際のところ、開発者のNさんから念押しされた通り、竹やぶはともかくこの椅子をなくしてしまった暁には取り返しのつかない結末へと転じてしまうから、傍らに抱えて行くのが最善だろうが、もう一方では割と大きな鞄を手にしているわけで、道中の不便というよりも変に目立ってしまうのでないか、そう危ぶむのも無理はないだろう。今の時代だって40年前だって、事務椅子を脇にして町中を歩いている人間をそうそう見かけはしない。風呂敷包みでもすればよかったかも知れないが、今度は紛失なり万が一の盗難などという危惧が念頭から放れず、転送直後に見いだした隠れ蓑がやはり最適だと判断した。多少汚しても機能に弊害は及ぼさないないだろう、そう勝手に解釈して地面の土をまぶし、枯れ葉を乗せ、小枝を如何にもありふれたふうに被せておいた。その間も人目を気にしていたけど、この竹やぶの向こうに民家はまだなく足を踏み入れる人影も探すほうが大変だ。過去の情景は記憶からずれていなかった。これでかなり安心したわけだけれども、野ざらし状態には違いないので、もし雨に降られたらとか、この地域は滅多にあり得ないが雪でも積もろうものならとか、結果タイムマシンに不具合が出て来るのでは、そうした不安の種はつきないながらこれより他に妙案は浮かぶこともなく、精々どこかでビニール袋など調達しようと考えみたが、不自然さを増すだけかもと、隠し場所と転送位置の目印も計りやすかったから、帰還の利便を優先すればおのずと最前の処置に落ち着くのだった。 懐古趣味の予告に付随しているようなこんな注意深さも、旅の道具だと例えるならバイクなり車なり船なり馬なり、そう考えてみれば大切な作業である。 さて熊野の深い山中でもあるまいし、いくら竹やぶに差す明かりが40年前の光線だとしても山林へと連なる方向とは反対に抜ければ、そこはすぐ湾岸に臨める狭い町並みだった。数回迷い犬を見届けるようにタイムマシンの隠し場所を振り返っている間に小高い土地は、この胸になかへ見事なまでの眺めをあたえてくれた。 なだらかに続く下方の畑に緑は濃密でなかったが、うねが線状に居並ぶ光景は足もとまで匂ってきそうな土の香りを含んで、北風に運ばれてくる町全体の息づかいを背景に過ぎ去った時間がめぐって来た。 見るからに走行車がまばらな国道を境に畑はいったん途切れながら、点在する民家を取り巻くよう再び土の領分は広がっており、瓦屋根の平べったくも夜空を吸い込んでしまったふうな燻った色合いの均一なこと、曇天の本意を汲んでいるのか、陽光と風雨の日々を寡黙に見守っている青銅の屋敷神を彷彿させれば、道行く人のすがたも生き生きとした歩行に見え始め、顔かたちがまだ明瞭ではない距離を計るまでもなく、自分の両足は軽やかな風に吹かれた調子でこの界隈の大きな交差点まで進んでしまっていた。現在では削りとられ面影を残しているとは言い難い中央公園の小山もほぼ原型をとどめているのが分かる。信号機が青に変わる合間さえ慈しむよう視界の映りこむ光景に陶然としていれば、休む暇もあたえまいと、建設予定地になっていたグランドに行く手をはばまれ、以前写真に収まっていた雰囲気とはまったくの開きがあるのを知る。さほど遊んだ思い出もないけど、生家がこの道筋沿いであるから遠目にしろ、日常のうちに連なっていた場面は記憶の欠落も手伝って、どこか見知らぬ空間に赴いたときみたいな疎外感を招いていた。だが、野球場としても利用されていた名残りが一部の金網からうかがえるし、何より小道をまたぐのを諌めているとも言える銀杏の黄色が道のすがたを塗り替えている。落ち葉はまるで絨毯を敷き詰めるために空を舞ってきたのだと聞かされても違和をとなえることはないだろう。やや深みががった、けれども鮮やかな黄が放つ色調に枯れ葉の名はそぐわない、幾重にも積もった銀杏の木の下こそ町のなかの森ではなかったか。 屋根のうえまで枝が垂れていても営業していた食堂も目に飛び込んで来た。どぶを挟み暖簾をくぐるような店だったから一度も入ったこともない、小学生の低学年の時分だ、この店に限らず子供同士の小遣いには幾らか足りなかった。記憶のなかではこの数年先に閉店し取り壊してしまう、食事はなるだけ鞄につめこんだものを食べるよう努めるつもりだったが、一面銀杏に支配されているなか、黒ニスもはげかかった店構えには相当惹かれるものがある。夕飯には早いに決まっているけど、おやつがわりにかやくうどんってはどうだろう。ほら品書きが戸の隙間から見えている。いきなりの外食もどうしたものか思案してみたし、鞄の中身は下着と乾パンみたいな軽い持ち物で、重量がかかっているのは桃の缶詰二個だけだった。 記念すべし40年前の食事じゃないか、何を躊躇しているのだ。身なりだってこの時代にありふれたねずみ色の上下に白シャツ、おまけにコートはたいぶ前に古着屋で買った同じく灰色に少々だけ暖色で織られた年代ものを着用している。頭には地味な鳥打ち帽で出立ちに落ち度はないはずだ。 普段あまり頻繁にしない仕草、そう腕時計を顔下に向けるせわしなくも優雅な素振り。予行演習ではなかったけど、そんな自分の心中とはうらはらの大人しくしていられない子供の感覚が、すっかり目覚めてしまった。「午後3時20分」まだ時間はたっぷりある。そう思案していたところ、下校時の学生らがいっせいに銀杏の木を通り過ぎ出した。高校生にしては随分しっかりした顔つきしているじゃないか。男子より女子のほうが更に大人びている。あの頃の憧れにはどのくらい卑猥な成分が含まれていたのか、結構まじめに考えてみたつもりだったが、笑いは抑えられなかった。 2012.2.6 |
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