タイムマシンにお願い1


真夜中お好み焼きを作ろうとして冷蔵庫を開けたら卵がなくて悲嘆にくれていたのだが、腹が減ったので焼き飯にしようと考え直してみてもやはり卵がなくてはしょうがない。そこでキャベツと紅ショウガだけのお好みに戻って、せめてソースだけはと、ウスターとトンカツとケチャップをこの世で最高の香りまで高めることに専念した。たかが三種とはいえ絶妙の配分が世界を変えてしまうのだから、それはもう命がけだった。焼き上がりはキャベツを控えめにした結果、水分が出ず表面はカリっと中身はふんわりだったのだが、他に具材がなかった腹いせに紅ショウガを入れ過ぎてえびせんべいみたいな色合いになってしまい、味もピリピリして沈痛な面持ちで食したのであった。黄金比率のソースも成功からはほど遠く、これまた全部ぬりたくったあげく、手やら腕やら顔面にいたるまでベチャベチャになったので、ウエットテッシューを取り出したところ、ただの乾燥紙と化してした。そういえばしばらく使ったなかったことにうなだれ、渋々洗面所へ行ったら額に蜘蛛の巣がまとわりつき、絶望の渕に追いやられながらも一応手洗いと洗顔は済まし床についた。夢にオバQとモジャ公が出て来てなごんだけど、出来れば交替で登場してもらいたかった、なんて能天気な思いに耽っていたらもう翌朝でNさんから電話がありタイムマシンを製作したのだが、どうかと言われた。
どうかって、それは実験に立ち会わないかという意味だと解釈し至極冷静な口調でこう応えた。
「試運転はもう済んだのでしょうか」
Nさんは軽く咳払いをしつつ、それが威厳であるかのごとくゆったりとした声で説明を加える。
「もちろんです。私自身もう体験しました。これはいわば誘いなのです。時間への挑戦でもあります。ただし私の技量は高々しれておりましてそんなに遠い年数は無理なのです」
何を謙遜しているのだろう、タイムマシンなんて世界初ではないか、Nさんの言葉に反撥してしている間にほとんど乗り気になっている自分を確認できない。だからすでに具体的な質問は用意されているし、Nさんもその辺りは心得ているのだろう、すかさず「まず50年といったところです。過去も未来も、それから空間移動はほぼ制御不可能なのでマシンのある場所が到達点となります」と、基本が大方のみ込め、あとは体験あるのみ躍るこころは世界ーと自負した。
Nさんの自宅兼研究所に赴くと、さっそくタイムマシンを安置してある部屋に通された。眼を疑った。どこにも機械めいた装置なく、机とソファが片隅に押しやられた真ん中に何の変哲もない事務用の椅子がひとつ置かれている。嫌な予感が適中するのは慣れている。
「これが私の開発した丸出号です。一見普通の椅子に見えるでしょうが、そもそも時間軸を越えるのに仰々しい仕掛けなど必要ないのです。こうしたシンプルな形状こそ最適と言えます。疑ってますね、心配入りません、ここに腰掛け催眠術なんてまやかしなどでは決してありません」
疑心を先んじて述べられると、残されるのは異形の抜け殻、つまりは帰依みたいな心性に落ち着くこともある。
「わかりました。信じましょう、ところでNさんは過去と未来どちらに行かれました。それとも両方ですか」
「過去に決まっているでしょう、未来なぞ見てしまったら生きる張り合いが失せてしまいます。先が読めそうで読めないからこの世は輝いているのです。先を知ってしまったら人間は確実に堕落します」
「それはごもっとも、でも少しくらいならどうでしょう、ほんの覗き見る程度に」
「あなたはスカートの下の覗くとき、ほんの少しで止めときますか」
「いえ、段々とエスカレートして犯罪に至るやら知れませんから、スカートめくりは小学校以来、いえ中学校かな、試したことはないです」
「理解してもらえて感謝します」
「愚問でした」
というわけで遡行が開始された。数年前の記憶はまだまだへばりついているから、一番記憶のあやふやな、しかし一部分は鮮明な時期を選択すると、やはり小学校の低学年十歳くらいに絞られてくる。
それ以前だと記憶と記憶が交わらない、こういうことだ。幼児期に遡るすればそこはもはや見知らぬ空間でしかなく、例え現存する建築物や山河を見まわしても一風景であることのしがらみを確認するだけで、肝心のこころの芽生えと出会えない、やはりある程度の認識力が備わった頃の自分を見つめてみたいのだ。時間旅行のパラドックスも承知しているから陰でそっと様子見に終始するのだろうが、他者はともかく十歳の己にはひとつだけ言いたいことがあって、いよいよ過去への旅に向かう準備は整った。Nさんからは重要な問いかけを受ける。
「どのくらい滞在しますか」
これはここに着くまで道々思案してきたのが、ごく割り切ってみても旅であることに相違はないので寝泊まりの確保がそのまま過去への滞在日数に繋がる。数回に分けて遡行すればと思われるだろうけど、これには判然とした理由があって、この事務椅子を一度作動させる為にはある科学物質が大量に消費されるので、経済面というよりもその物質を作り出す時間が問題とのこと、なんだかんだで時間には時間が必要なんだと神妙な気持ちを抱いたのだった。
さて旅程だが、まさか生家に未来からやってきました、なんて言っても絶対に受け入れてもらえないだろうし、下手すれば不審者として身柄を拘束されることだってあり得る。かと言って野宿もこの季節は大変だろう、いやいや春夏秋冬に関係なく生まれてこの方野宿なんかした試しがないから、テント張りはおろか飯盒だって覚束ない。登山経験者とか同行してもらえば助かるのだろうけど、タイムマシンはひとりしか転送できない仕組み。かなり真剣に悩んだ、今日は断念して今後はサバイバルの訓練を施してから挑むべきとも考えてみた。ところがNさんいわく「燃料は保存不可能な性質でして、あと一回分を今日明日に使いきってしまわないといけません」
そうなると、当初の企て三日あたりが適切になってきた。仔細はまず相当なとまどいを隠しきれないという心理面からの推察、次に宿泊飲食に要する貨幣の問題、現行の通貨は過去では使用できない、残念ながら聖徳太子のお札は手もとになく、これから調達する間もない。急いで思いつき引き出しの奥から五百円紙幣を十枚を数え、その他にはまったく所有してないことを認める。40年程前に遡るわけだから、百円硬貨も昭和の刻印はなかなか見当たらなく、あっても昭和40年後半とか50年でほとんど平成の代物だった。それでも数枚かき集めてみた結果、これだけの金銭では当時の物価を考慮しても三日だって怪しくなってくる。実は買いものに対する執着も念頭から切り離せなかった。Nさんはそんな苦渋の色を見抜いていた。
「私も旧札を工面しましたよ、使いきれなかった紙幣があります。その時代でも通用します」と言って聖徳太子の大の方を数枚差し出してくれた。
「ではお借りしておきます。ええこれだけあれば上等です。あまり欲を出すのはいけませんから」
確かにこの時間旅行の最大のテーマから外れることは意味がない。答えは簡単、何をしに行くかということに尽きる。空間移動が無理な以上この町をうろつくしかないし、狭い町だから一日もあれば十分なはずで堪能するまで当時の景色を眼に焼きつけてくればいい、デジカメは無用だ。記録を収めにゆくのでななくてあくまで記憶を交差させに向かうのだから、写真は断念しよう。あの時代は港付近に宿屋がまだ沢山あったはずだから、まず一泊して費用を算段すれば何とかなる。飲食物は古びた鞄につめて持って行こう。しかし昭和の匂いが大衆食堂とか中華そばの汁が香る店先を素通りするのはしのびない。
Nさんによればタイマー設定は転送された時点で修整不能になるそうで、はっきりと回収時間を告げておかなければならなかった。あれこれ迷ったあげく計画に即し三日と決定した。さあ十歳の自分に会いに行こう。待っていろよ、きっと記憶は目覚めるはずだ、もう気分は郷愁を先取りしてしまっていた。


2012.1.6